colorless | ナノ


雨夜の水葬





 俺は小学生の中学年くらいから中学三年生まで、紅とずっと同じ学校に通っていた。それ以前の紅の学校生活についてはあまり知らない。だが俺の知る学校生活の中で、彼女は友人を作るのがそれなりに上手かったのだと思う。俺と違い、特に孤立したりなどという場面を見たことが無かった。しかしそれと同時に、あまり人と深く関わろうともしなかった。知り合い以上親友未満。そんな浅い関係の人間関係を彼女はたくさん持っていた。

 高校に上がり、俺達は別々の学校に通うこととなり、それから少しの時間が経った。紅は前触れもなく、突然俺達の家に友人を連れてきたのだ。両親は共働きなのでその時はいなかったのだが、俺は普通にいた。普通に家の居間でソファに座って飴咥えてた。何故って俺の家だから。
 とにかく、その紅が連れてきた友人は、家に上がる時「お邪魔します」と礼儀正しくそう言って、俺を見るなり軽い会釈をした。紅のそれよりも若干明るい色の赤い髪が揺れる。上げた顔の右目部分を覆う眼帯に長身も合わさって、覚えやすい特徴を持った人間だなと思った。少なくとも、人混みでは見つけやすいはずだ。
 紅が台所に飲み物を取りに言ったのを見計らって、彼は俺の目を真っ直ぐに見ながら口を開いた。

「俺は鰐淵秋緋、紅の友達です」

「…雨宮灰、です。どうも」

 鰐淵秋緋。そう名乗った彼は、今までに紅が作った友人達の誰とも違って見えた。何より、彼女がこうして放課後や休日に誰かを家に呼んだことがなかった。多分そこが一番大きい。
 驚きと感心を持って彼を眺めていると、鰐淵秋緋は人当たりのいい笑みを俺に向けた。少しだけ紅に似ているように感じたのは、髪の色の所為なのだろうか。恐らく世間一般で、彼のような人間を“好青年”と呼ぶのだろう。俺は口の中で、まだ溶けきっていない飴をがりっと噛み砕いた。俺の大好きな甘ったるい味が口内を侵す。


 それから、紅が気まぐれで家に連れてきた彼は、どうしてか俺とも関わりを持つようになっていった(結局あの日は俺を巻き込んだ三人でゲーム大会が行われた)。


「オレのことは秋緋でいいよ」

「……灰でいい」


 きっと彼、秋緋は俺が人と関わるのを不得手としていることを気付いているはず、なのだが、そんなことお構いなしにいつの間にか俺の内面に上がり込んできた。俺が普段他人と一緒にいることを避けるのは、つい口を滑らせてしまうかもしれない、からで。紅がいるときは彼女に任せればよかったものの、俺と秋緋しかいない時は決まって飴の消費量が多くなった。嫌悪を覚えたのはその味にでも、秋緋にでもない。俺自身にだ。いつでもこうして腹の底に何かを留めておかなければならないむず痒さ。吐き出す場所はない。だからそれが外へ出ようとしたら飴と一緒にまた飲み下す。そうしていればよかった。なのに紅や秋緋に連れ回されることが多くなった俺は、それじゃあ間に合わなくなってくる。

 紅はともかく、秋緋は俺がどんなに素っ気ない態度を取っても友好的な態勢を変えたりはしなかった。根っからのお人好しなのだろうか。
 俺が話さなくてもあちらが色々話してくれるので、自然と彼の周囲についても知ることとなる。秋緋には一つ上の兄がいて、紅とは仲がいいらしいこと(その人物については紅からも少し聞いている)。同じく一つ上の恋人がいて、生活が充実しているということ(そちらも紅と面識があるそうだ)。
 対する俺は特に自分に関して話す機会はなかった。話す必要も理由もないと思っていたから。

 そして、ある日の夕方のこと。紅と秋緋は、もう夏が終わるからと花火を買いに行こうと言い始めた。やはりというべきか、計画性は無くただの思いつきで。更に何故か俺も引っ張られ、近場のスーパーへと向かうことにった。幸い、花火大会を実行するのは後日ということだ。そこまで計画性が無ければ俺はもう何かを通り越して感動を覚えていただろう。
 普通の手に持つ花火から打ち上げ花火、鼠花火や蛇花火まで大量の花火を買い込み、秋緋と紅が帰り道で盛り上がっていた。花火大会の当日には秋緋の兄と恋人を呼ぼう、と主にそのような話題だ。俺はきっと断っても強制連行される確率が高い。安易に想像できて思わず溜息が零れる。その時だ。
 俺の頬にぽつりと冷たい何かが降ってくる。考えるまでもない、雨が降って来たというだけのこと。

「うわ、花火湿気る。ちょっと私傘取ってくるからそこで雨宿りしてて!」
「あ、紅!それならオレが…」
「秋緋ちゃん鍵持ってないでしょ。灰ちゃんと待っててね」

 家まで少し距離があるが、紅なら問題は無い。多分彼女は俺より脚が速いから。必然的に俺と花火が入った袋を持つ秋緋が残ることになり、すぐ傍にあったバス停の待合所で雨宿りをすることになった。雨の所為かもう辺りは暗くなり、待合所にも俺達二人以外誰もいなかった。俺は特に話しかける意志もなかったが、秋緋が何かを言いたそうにしてこちらを見ていることに気付いていたので、不自然な静寂が煩わしかった。
 一応断っておくが、俺は秋緋を嫌っているわけではない。ただ、苦手なのだ。俺が露骨に人と関わることを拒絶していれば、相手もそれを察して無闇に踏み込んできたりしない。でも、彼は違う。その一点だけが、苦手。俺は少し離れたところから人を観察するのが好きなのに。


「なぁ。灰はさ、いつも何か言いたいことを我慢してるだろ」


 突然秋緋がそんな事を言い出すものだから、俺は思わず咥えていた飴を噛み砕いてしまう。ついでに舌も噛んでしまって痛い。「さあね」と返せば彼は困ったような顔で笑った。

「紅にも言えないの?」
「…きっとあいつは知ってる、勘がいいから」
「じゃあオレは?」
「……あんたは、知らないと思う」

 誰も知らなくていいことだ。本当は俺も知りたくなかった。がりがりと飴の破片を磨り潰していく。雨が酷くなっていく。ざあざあ、ざあざあと。
 秋緋はまだ困ったような顔をしていたが、その隻眼はどこか俺を探っているようだった。止めろ、俺を知ろうと、するな。俺のことは俺だけが知っていればいいんだ。俺、だけが、  。


「 ――― だ 」


 不覚にも唇から零れ落ちた言葉は、雨が地面に打ち付けられる音に飲み込まれてしまうほど小さなものだった。この呟きが秋緋にまで届いていなければいい。誰だって汚いものは嫌いなのだから。
 だけど彼は、俺の声が聞こえてしまった、らしい。

「そ、っか」

 やはり困ったように笑っているであろう秋緋の顔を見る勇気はない。その代りにとでも言うように、どうせ聞こえていたのならと、俺は開き直って今度は先刻よりも大きな声で汚らしいそれを吐き出した。


「だいきらいだ」


 誰が、ってわけじゃない。全部、大嫌いなんだ。
 いずれにしろ今は、普段から栓の役目を果たしている飴玉がないから遅かれ早かれ口をついていたに違いない。

 あーあ、言っちゃった。ずっと、ずっと隠してたのに。誰にも言うまいって思ってたのに墓の下まで持っていくって決めてたのに。これで完全に秋緋に嫌われただろうな、もうきっと俺に友好的には接してくれないだろう。でもだからと言ってどうってことはない、俺が彼に出会う前に戻るだけの話。花火大会を断る丁度いい理由が出来た、それだけのこと。

 それだけのことなのに。
 相手にとってはたまらなく不快に感じるはずなのに。


「それでもいいよ。けどオレ、灰と友達になりたいな」


「やっぱり駄目かな」、なんて笑ってみせる彼は、根っからのお人好しだったに違いない。呆れに近くも遠い感情を抱いた俺は何となく悔しくなったので、「ばーか」と返しておいた。酷いなーなんて声が聞こえたけど、雨の音にかき消されて聞こえなかったことにしておく。
 それから、傘を一本だけ持ってきた紅に俺と秋緋は二人して苦笑し、三人仲良く相合傘(というか相合々傘)をして土砂降りの雨に肩を濡らしながら帰ったのは、ある意味いい思い出になった。もしかしたら紅は確信犯だったのかもしれないけど追求する気はあまりない。

 友達の定義って奴は俺にはよく分からないけど、あの時長い間隠していた本音をぽろりと漏らしてしまった時点で、俺は秋緋にそこまで心を許してしまっていたということ。後からそれに気付いた俺は、自分の単純さに若干引いた。

 まぁ、あまり口には出したくないけど、俺と秋緋は友達になっていた。つまり、そういうことだ。

fin.
10.0911.
ダイチ様宅秋緋くんお借りしました。灰はああ言ったけど08は秋緋くん好きです。紅の一番最初のお友達。あと灰も本当は秋緋くんのこと好きなんじゃないかと思う。大嫌いとか言ってごめんね!許可くださってありがとうございました。


title by にやり