colorless | ナノ


向日葵日和




 カランカラン。頭の上でバケツの取っ手が本体に当たって間の抜けた音を鳴らす。空はいつものように煙草を咥え、バケツを被り、デッキブラシを担ぎ、調子のずれた鼻歌を歌いながら囚人の房を歩いていた。今日のノルマである掃除は終わった、だからさっさと部屋に戻ってごろごろしたい。そう言えばもうすぐ煙草が底を尽きそうなので、ブローカーにでも頼んでおかなければな、などと考えながら彼は扉の前で足を止める。

 現在地はこの刑務所の第三棟。関係者専用遼東棟、つまり空の部屋がある棟からは運動場を挟んで真向いの位置にある。六角形を描いた形の刑務所をわざわざぐるりと回って部屋に帰るのもばかばかしいので、運動場を横断して帰ることにした。


 ぎぃ、と少々耳障りな音を立てて開いた扉。容赦なく襲いかかってきたのは刺さるような日光で、思わず空は眉を潜める。
 これは所謂真夏日だ、太陽は元気一杯に青空の真ん中で輝く晴天。囚人が外出を許可された時間であるはずなのに、運動場の様子を見れば囚人、患者、どちらの姿も疎らだった、というかほぼいない。皆この日光の下で動き回る気になれなかったのだろう。
 バケツが遮ってくれる日光など申し訳程度なもので、空の足取りも自然と早くなっていく。だが、運動場の隅、丁度一番日光が当たるであろうその場所にある人影を見つけて、思わず空は足を止めてしまった。

 そこにいたのはレレリアだ。初めて会った頃はまともに口を聞いてくれなかった、少々、いやかなり引きこもりがちな女性。それは何かトラウマを抱えているかららしかったが、空が無理矢理に誘ってみれば渋々ながらも一緒に外を歩くことはあった。
 彼女は煙草があまり好きではないらしいが、彼は気にすることなく煙草をふかしたまま気だるげな足取りで歩み寄っていった。

「よぉ、レレリアちゃん珍しいね。一人で散歩?」

 びくっと震えて振り返ったレレリアの、頬を一筋の汗が伝う。空もレレリアも前髪が長く、夏場は暑いことこの上ないのだろうが二人とも改善する気はなさそうだ。
 声の持ち主が空であることを確認し、彼女は安堵に息を吐き薄く微笑んで「こんにちは」と口にする。手招きをしようと思ったが拘束された腕ではそれもできない。しかし、レレリアが何かを言う前にいつの間にか空はその隣で立っていた。彼が見上げたのは、先刻までレレリアが眺めていたそれと同じだった。

「こいつ…背ぇ高いなー」
「ええ……クリストフさん、という監察医さんが育てたんだそうですよ」
「ここよく日光当たるもんな、光合成し放題じゃん」
「太陽みたいですよね…」

 二人が見上げているもの。それは太く長い立派な茎の上で重そうな頭を擡げる、大きな向日葵の花だった。さらに見上げればそちらには本物の太陽があるので、空は綺麗な向日葵だけを視界に入れるよう努めた。恐らくレレリアも同じことをしているはずだ。
どこからか蝉の声が聞こえた。どこからかなんて決まってる、この監獄の外にある密林からだ。あんなに広い密林なら蝉くらいいくらでもいるんだろうな、と空は外の様子を思い出しながら肩を竦めた。やがて、彼の頬にも汗が伝う。狭く切り取られた青空の丁度真ん中に、嫌がらせのように太陽が浮かんでいる。まあこの時間帯にたくさんの日光を浴びることが出来たからこそ、この向日葵はこんなにも立派に成長できたのだろうけど。

 蝉の声。向日葵。雲一つない空。爛々と照りつける太陽。嫌でも子供時代を彷彿とさせるようなこの状況に、虫捕り網さえあれば完璧なんだけどなぁと空はどうでもいいことを考えて頭の中を整理した。
 いらぬ思考を取り払うための整理だったが、向日葵を眺めたままでいると思わぬ事実を思い出す。顎に伝った汗を袖で拭い、空はだるそうに口を開いた。


「向日葵で思い出したんだけどさー…」
「……何ですか……?」
「今日俺の誕生日だったみてぇ」
「ほ、本当ですか?」
「ほんとよー」

 普段よりも少々声を上ずらせたレレリアに対し、空はかくんと頷きながら間延びした声で答えた。自分が生まれた日だというのに、まるで他人事のようで。それが自分の事なのだと実感させたくて、彼女は珍しく相手の目をまっすぐに見つめて言った。

「おめでとうございます!」
「ん…ありがとー」
「何かお渡しできればいいんですが…っ」
「いーよ気にしなくても。俺も忘れてたし」
「でも…」
「いーって。じゃあ今こうやってレレリアちゃんと向日葵見れたことがプレゼント。うわー俺幸せー」
「それなら…暑いですが、もう少しだけ見ていきましょうか」

 さんさんと燃え盛る太陽の下、二人は汗を垂らしながらも緩く談笑して背が高く鮮やかな黄色の花びらをつけた向日葵を飽くことなく眺めていた。
 その後直射日光をたっぷりと浴びた空とレレリアは、当然のように熱中症にかかり、二人揃って寝台の上で監察医に説教されたのは言うまでもない。


fin.
10.0817.
かや様宅レレリアさんお借りしました、そして伊利哉様宅クリスストフ・ライツさんお名前だけお借りしました。空誕生日おめでとうっていうだけのお話です。そして空の誕生花は向日葵です。そんな小話にお二人を巻き込んでしまいすみませんでした…。