colorless | ナノ


鼓動は無感





 正常であって正常でない皮膚の上から聴診器が離れていく。車椅子に座る、白衣の下に着物を着た男が聴診器を耳から外し、「健診はこれで終了です」と微笑む。それを聞いた青緑色の髪を持つ青年――碧は、特に表情を浮かべることもなくこくりと頷き、「ありがとうございました小鳥先生」、と頭を下げた。白衣を着た医者のような風貌の、小鳥と呼ばれた男に碧が手渡されたのは横縞の囚人服。それを受け取った碧は、相手の何かを探るような視線に気がつく。

「………、先生?」

「あ…いえ、すみません。前から少し気になっていて」

 罰が悪そうに言うペルセフォネ小鳥の目が自分の何を観察しているか、彼は気付いている。碧の不自然なくらい生白い肌に浮かぶ、夥しい数の傷痕。古いものから、比較的新しく見えるものまで。細かい傷痕は全身に見受けられたが、特に薄い胸部から腹部にかけてが酷かった。そこにあるのはどれも深い傷の痕。切り傷や刺し傷、抉ったような傷。恐らく一生消える事はないだろう。そして首のあたりを走る切り傷が何本か。深さは言うまでもなく、もしその傷が開いたら一体どれだけの量の出血があるのか想像もつかない。
 とん、と小鳥の華奢な人差し指が彼の左胸に置かれる。古く深い二つの切り傷が交差した中心に。

「…これは、」
「幼い頃に……心臓を抉ろうとしました。本当は心臓って胸の真ん中寄りにあるのに、まだ知識がなくて…」
「こっちは」
「ええ…、結構深かったです。小腸が零れたのを……覚えていますよ」
「……首」
「出血の量が半端じゃありませんでした。僕は瀕死だった…そうです」

 こんなに傷だらけになってよく生きていますよね、と。体験談もまるで他人事みたいに、碧は口元を緩めて僅かに微笑した。小鳥は何も言わず、そっと指先で心臓の上を走る傷痕をなぞる。小鳥は知っていた、碧の体にある傷痕は全て彼が自ら刻んだものであること。先天的にその痛みを受け入れない体質であること。
 なのでそっと触れる程度では感覚器官に反応があるはずもなく、碧は彼のその行為に対し不思議そうに首を傾げた。

「碧さんは……僕と似ているのかもしれませんね」

「……小鳥先生?何か言いましたか、」
「いえ、何でもありませんよ」

 特別監察医である彼がにこりと笑ってそう答えるから、碧はそれ以上追及はせずに持ったままだった囚人服を羽織る。
 消毒液の臭気に混じって、幽かに血の匂いがした。例え着物の下に巻かれた包帯を碧が見る事はなくても、“そういうこと”なのだろうと彼は口を噤んで未だ微笑む小鳥を見た。何も言う事は出来ない、何故なら自分は『患者』で相手は『医者』であることを理解しているから。だから碧は『患者』として、静かに口を開いた。

「小鳥先生、…僕は死にたいわけじゃないんですよ」
「ええ…知っている、つもりです」
「あいつが出ていってくれるならそれでいい、僕は痛くないから。…でも」
「…でも、何ですか?」
「先生は……痛い、でしょう?」

 答えを聞くよりも先に、碧は逃げるようにして小鳥に背を向けた。車椅子を使用している彼は咄嗟に追うことができない。追いかける声も出せない。
 ただ自身の胸、心臓の上。血の滲む包帯の上に手を乗せて、自らの温度を感じていた。彼は、碧は、この温かさを知らずに生きているのだ。小鳥が触れたあの薄い胸は確かに温かく、生きて、鼓動していたというのに、それすらも実感できない。だからこそあれまで、自分自身の肉体を切り刻めたのだろうけど。

 小鳥は再度笑った。小さくだけど笑った。碧を、笑った。悲しそうに笑った。痛みを感じない体が欲しいとは思わない、思えない。自分を憐れむ彼を、憐れんだ。どうしてか、あの傷だらけの患者を、酷く悲しいものだと感じた。
 小鳥は書類にペンを走らせる。患者番号123番、精神状態に変化なし。薬の投与は以前のまま変える必要なし。要観察。
 描き終えた書類の上にペンを転がし、小鳥は天井を仰いで目を閉じた。


「でもやっぱり、君は僕に似ている」


 あくまで似ているだけ。でも、それでも、似ているところはどこまでも似通っていた。
 視界の端に映るカルテに気付き彼は目を細める。破り捨てたい感情をどうにか抑えつけて、小鳥は車椅子を動かしてその机から距離を取った。


fin.
10.0730.
ねぎす様宅ちゅんちゅんせんsげふん!ペルセフォネ小鳥先生お借りしました。何か勝手に似てるとか言ってさーせんごめんなさい自重できなかったウボァ。だけど先生に対する愛はこめたつもり…です!絵茶ではお世話になりました、そしてその際拝借許可くださってありがとうございました。