colorless | ナノ


秘密は内緒





 もうアークがこの場所、雪代白の家に居候をし始めてから、暫く経つ。ほぼ転がり込む形でここに住む事になった無口で無愛想な少年に対し、白は一度たりとも嫌な顔を見せなかった。それどころか良くしてもらっていると、彼自身そう感じている。
 だからこそ、だ。だからこそアークは、食卓テーブルの向い側に座り普段はかけていない眼鏡をかけて読書に耽っている白に、声をかけなければならない。一緒に暮していれば言われなくとも白が読書を好んでいると知っているアークは、やや躊躇して、無表情のままゆっくり口を開いた。

「…あの、白さん、」
「―――はい、何でしょう」

 白は眼鏡をかけたまま目線を上げて、読みかけの本を栞も挟まずにぱたんと閉じる。感情の読み取れない瞳には『そちらから話しかけてくるのは珍しいですね』と書いていたのだが、アークは目を下へ向けていたのでその事には気付かない。
 いつものように黙っていたのでは話が進まないので、そっと目線を上げたアーク。どんな時でも真っ直ぐすぎる白の視線と、少年のそれが正面からぶつかった。
 アークは渇いた咽喉を唾を飲み込むことによって潤し、掠れないようにして普段よりも大きめに意識して声を発した。

「俺、アルバイト始めることにしまし……た」

 今や保護者と言っても過言ではない白には内緒で、アークが一人で決めたことだった。それは自分を受け入れてくれた恩返しだとか何もしないのは悪いし癪だとか、色々な意味が込められているのだけど。それを言葉にできるほど、彼は口が上手い方ではなかった。
 白は手に持っていた本を机に置く。意外と分厚い本は重厚な音を立てる。アークはその音に合わせてぴくりと肩を揺らした。彼がどんな反応をするのか、全く想像がつかなかったからだ。怒るだろうか、呆れるだろうか、それとも自分を見放すだろうか。
 家主が口を開く瞬間を、アークはまともに見ていられなかったけれど目を離す事もできなかった。

「そうですか、頑張ってください」
「……、え」

 アークは目を見開く。にこりと人当たりのいい笑顔でそんな肯定的な事を言われる事態など、全くもって予想外だった。彼はそれ以上追及するような空気を見せず、読書に戻ろうとしている。もしも内容を聞かれたらどう答えるべきかまだ決まっていなかったアークにとって、それは有難い事だったが、彼は咄嗟に呟く。「何も聞かないの」、と。その小さな声を、白は律儀に拾い上げる。

「ええ、貴方が決めたことでしょう」
「…まあ…そう、だけど」
「なら私が止めても無駄です、違いますか」
「……………」

 彼は間違った事を何一つ言っていなかった。もし反対されたとしても、アークにはアルバイトをしない選択などもうなかったのだし、全てを隠蔽してでもアルバイトに勤しんでいたことだろう。その結果怪我をしたなら、今度はその言い訳に困ることになっていたのかもしれないが。
 アークは先刻の一言で全てを見透かされたことを察し、どことなく気恥ずかしさを覚える。一人で決断を下したことにも後ろめたさを感じ、口元を手で覆い、目を伏せた。瞼の裏の闇の中、「ああ、そういえば」、白が思い出したように声を上げる。なに、とアークが尋ねれば、白はまるで世間話をするような声音で言う。

「私にも隠し事がありました」
「え…なに?」
「アーク、貴方はこのマンションで私達以外の住民を見たことがありますか?」
「………いや」

 少年はよく考えた上で首を横に振る。このマンションは十五階建で、白とアークはその最上階に住んでいる。外出の際は当然エレベーターを使用するが、不思議なことにいつも人の姿を見ることはなかった。
 だが、今から聞くことになるだろう白の隠し事と、そのマンションの話がどう関係あるのかと、アークは更に首を傾げることとなる。どう足掻いても答えがでないであろう少年の疑問を感じ取り、くすりと小さく笑みを浮かべた。

「このマンションは建物ごと、私の所有物なんですよ」
「へぇ………、……へっ?」

 アークは再び目を見開き、間の抜けた声を出すこととなる。くすくすとからかうような笑みは暫く絶えず、しかし少年は彼の言葉に嘘がないことを悟った。
「別に内緒にしていた訳ではありませんが、これからはどこでも好きな部屋を使ってもいいですよ」などといい笑顔で言われたところで、アークは頷くことしかできず、かといってこの居心地よく感じる空間を、わざわざ出ていくつもりはなかった。彼は決してそのことを口に出しはしないのだろうが、もしかしたら白ならば、それすら勘付き敢えて言ってみたのかもしれない。


fin.
10.0625.
蒼真様宅アーク君お借りしました。アーク君と白のカミングアウト大会勃発。でも内心白は心配してるんじゃないかとryネタくださってありがとうございます、美味しく使わせて頂きました!