colorless | ナノ


真っ赤な嘘
(真っ青な本当)






 紅は不自然に前へ浮かせた手を、どうするべきか迷っていた。このまま下ろせばこの手は目前で机に突っ伏して眠っている雹の肩に触れられるが、何もなかったことにして手を戻せば気付かれる事もなく、やはり何もないのだろう。
 だがそこで、迷う要因が一つある。ただ寝ている人を前にすれば気にすることもないのだが、雹は酷く魘されていた。普段以上に眉間の皺が深く刻まれ、真一文字に引き結ばれた口の中からは呻き声や、時折ぎりぎりと歯ぎしりの音がした。魘されている人を起こすのは、あくまで善意、なのだけど、雹が紅に起こされれば、機嫌が悪くなるという結果が目に見えている。
 それでも紅はいい加減行き場がなくなった手をそっと下ろし、彼の肩に触れる。そしてそっと揺すって、滅多に呼ばないその名を呼んだ。


「雹ちゃん。起きて、雹お兄さん」


 反応は思ったよりも早く、数回揺すった所で彼は薄く眼を開け、直後その事に気付かなかった紅の手首を掴んだ。体を起こした雹の目は完全に座っている。まだ完全に眠りの世界からは帰還していないようで、紅は先日の会話を思い出した。普段ならともかく寝起きの雹になら負ける事は無いと、彼女はそう言った。
 目つきと纏う空気からして今にも殴りかかってきそうな勢いの雹。案の定握られた拳が此方を向き、いつものように避けようとも思ったが手を掴まれているため満足に動く事が出来ない。寝起きの力加減といえど容赦のない拳が繰り出され、紅は反射的に足払いをかける。
 倒れるのは雹だけのはずだったが、掴まれた手がそのまま解放されなかったため紅も同じように倒れ込む、雹の体の上へと。ごつ、という頭を打ったらしい鈍い音と、「い゙っ」というとても痛そうで苦しそうな声が聞こえた。

 辺りは薄暗かったが、既に暗闇に目が慣れていた紅には見える。痛みに細められた雹の三白眼が段々眠気を覚ましていって、やがて紅の姿を映した。容赦なく彼の体に体重のほとんどを預けている、紅の姿を。彼女が自分の上にいるという不快感からか、雹は顔を歪める。それに気付いていながらも、紅はいつもと寸分違わぬ笑みを浮かべた。

「おはよう、お兄さん」
「んだ…お前かよ……なんでオレの上にいるんだ馬鹿、退けろ」
「うん、退ける」
「……………オイ、さっさと退け」
「いや、退けたいんだけど、さぁ」

 紅は言い辛そうにして雹から視線をずらし、自然と雹もその動きを追う。行きついたのは、彼女の手元であり自分の手元でもある一点。雹の手は、紅の手首を全くの力加減無しに強く掴んでいた。その事に気付いた雹ははっとして驚きながらもすぐに手を離す。色の白い手首には赤い手形が残り、止まっていた血がじわりと体を巡っていく感覚に肩を竦めた。
「よっこいしょ」とわざとらし声と共に紅は雹の上から体を退けて、何か言いたそうな雹の言葉を待った。

「……オレは今……何で、お前…」
「ええとね、せっかく夜の学校でお兄さんを見つけたんだからちょっかいかけないと損でしょ?」

 文字通り真っ赤な嘘をついて、紅は笑う。雹はどうしてか、いつものように怒りを向ける気にはなれず、ただ「そうか」と呟いて、薄暗い中でもよく分かる紅い髪をぼーっと眺めていた。




fin.
10.0620.
ダイチ様宅鰐淵雹くんお借りしました。言う事はただ一つ、調子に乗ってごめんなさい脱深夜テンション無理だったどっちが上だなんてそんなこと気にしたら負け。あと、拝借許可ありがとうございました。

title by 虫喰い