colorless | ナノ


笑え道化師





 彼女は過去、周囲に“紅き道化”と呼ばれていた。それは決して本人が推し進めた呼び名ではなく、むしろ彼女はその呼ばれ方をあまりよく思っていなかった(いや私中一からぶっ通しでそんな呼び方されてたんだって。最初はどうでもよかったけど中三くらいになるともうそんな中二病くさい名前で呼ばれると嫌っていうか恥ずかしいってマジで)。そんなわけで彼女―――雨宮紅は、今日も自身が中一の頃から“紅き道化”と呼ばれ続けた由縁たる、その場に場違いな笑顔を浮かべていた。

 まるで仮面を被っているかのような、何よりも笑顔らしい笑顔。仮に今、紅が喧嘩で打倒した学生たちの山の上に立っていなければ、その笑顔は普通に可愛らしいものだったのかもしれない。

「取りあえず…私に喧嘩を吹っ掛けたことは許してあげるから、笑ってみてよ。簡単でしょー?」
「っ、紅き道化……ぐぁ、」
「はーいはいはい、おにーさん達もう高校生でしょ。そんな中二っぽい二つ名はもう卒業しましょーね」

 あはは、と朗らかに笑いながら、彼女は革靴でその少年の腹部を蹴り上げる。結局、紅が「笑え」と命じて彼女が望んだ笑みを浮かべた者は一人もおらず、へそを曲げた彼女は肩を竦めると拳を握り親指を立て、それを逆さまにして舌を出し、直接的には言わずとも彼らに「死ね」と告げた。そんな時でも紅の顔は笑顔。笑顔。笑顔。
 彼女の蹴りを食らい負けた者は、数日間紅い髪と笑みを夢に見るという。夢というものは良くも悪くも全てが大袈裟に思い出されてしまうもので、恐らくその所為で“紅き道化”などという大仰な二つ名がついてしまったのだろう。




「紅、またこんなところに…」
「あー、灰ちゃん。奇遇だねー」
「……晩飯の時間に遅れる。帰るぞ」

 無表情に若干の呆れを乗せて現れたのは紅の従兄弟、雨宮灰。彼は紅の足元に転がる数名の怪我人を一瞥しただけで、特に反応を示すことなく彼女に帰宅を促す。担いだ鞄から棒付きの飴を取り出すと包み紙を取り払い咥え、何故かついてくる気配のない紅を振り返る。
 そこには、灰よりも分かりやすい呆れと驚きを表情に乗せた紅が、首を傾げていた。

「…何も聞かないんだ」
「もう慣れたから」
「ね、灰ちゃん。笑ってみてよ」
「無理」
「笑って」
「やだ」


  ガ ッ


 灰の双眸が細められる。顔の真横の壁に打ち付けられたのは、高く掲げられた紅のしなやかな脚。「下着見えるぞ」「ブルマ履いてる」というやり取りは軽く流され、二人の視線が真正面からぶつかった。その間も、やはり紅は笑っている。対照的に、灰は無表情を貫いていた。

「…ねぇ、笑ってよー……」
「……それを、俺に言うのか」
「灰ちゃんだからこそ。…ね、灰ちゃん……」
「…………」
「灰、ちゃん……ねえ、灰ちゃ……灰……っ!」



(笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑 笑 笑 笑え)
 それは紅にとっての呪縛だった。本当は一人だけだった。本当に笑ってほしかった相手は、一人だけだったような気がする。ただそのことを紅は記憶の片隅に追いやってしまって、思い出す事はきっとない。無意識のうちに探ろうとすれば、体に刻まれた痛みの記憶が蘇ったり、既に鮮明に思い出せなくなった青が脳裏を過ったりする。それら全部を閉じ込めて浮かべる自分の“笑顔”が自身を縛りつけることになど、もう気づこうとすらしていないのだ。


(笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑 っ 、―――)

「…お腹……すい、た」
「―― 気は済んだの。なら帰ろう、紅」
「………ん。ごめんねー灰ちゃん」
「別に。気にしてないから」

 戦う時も笑う時も泣く時も怒る時も楽しむ時も彼女は笑顔を絶やさない。そして時折、その笑みを他人にも強要する事がある。最初に笑ってほしいと願った相手は、もう彼女の前から姿を消したのに、それを思い出すことはなく。

 そうして紅は、次の日もまたあははと笑い声を上げる。
 まるでそうしていなければ、自我の存立が危ういとでも言うかのように。


fin.
10.0531.
紅と灰。やっぱり紅が一番不安定だなぁ。安定してるように見えるんだけどなぁ。若干ダイチ様宅雹ちゃん示唆してたりするけど気づく方いらっしゃるかしら。それにしてもこのサイトほんと自己満足すぎ吹いた。