兄の祐介が自分とは違う生き物だと認識したのは、父さんが家を出ていった時だった。幼稚園から小学校に上がる時は既に母さんの癇癪が酷かった。でも父さんが出ていったのはそれだけが原因ではないだろう。父さんは俺達の顔を見るたびに、酷く思いつめたような顔をしていたのを思い出す。あの日、逃げ出すように家を出ていった父の背を忘れることはない。

 母が暴力を振るう相手は決まって兄だった。ふたりでお揃いの半ズボンも、半袖も着れないほどに痛めつけられた身体を、更に上書きするように何度も何度も何度も痛めつける。
 母は決まって、兄にこういうのだ。「アンタはあの男に似ている」と。
 そんなことはない、兄が似ているのならば俺も似ているはずだ。だって、こんなにそっくりなのに。鏡合わせのような俺達の片方だけが父さんに似ているなんてあるはずがない。

 それでも父さんがいなくなってから、母の暴力は日に日に増していく。もう見ていられなくなった俺は兄にこう言ったのだ。自分の服が汚れてしまったから、祐介の服を貸してくれ、と。兄に「すずき さすけ」と書かれた学校指定のジャージを着せ、自分は兄が着ていた服を着た。
 父さんがいなくなってから一年、母は兄に暴力を振るうことに慣れたのか、一目につくような腕や足には「痕」をつけなくなった。兄と俺を見分けるのは難しい。それは昔からそうだった。

 二人でゆっくりと家に帰る。これはいつものことだった。帰りたくなさそうな兄に合わせて俺の歩幅も小さくなっていく。当たり前だ、帰れば痛い思いをする。だれか好き好んであんな家に帰るというのか。
 兄の痛みは、俺の痛みだった。どんなに母にやめてと訴えても、大人の力には勝てなかった。あんまりしつこくすれば、押し入れに閉じ込められる。暗闇に閉じ込められ、外からは兄の「痛い、やめて」というツン割くような悲鳴が聞こえてくる。

 俺にできることは、兄になること。「代わり」ではない。母が求めるものは、「祐介のフリをした佐助」ではなく「正真正銘の祐介」なのだから。

 兄の癖は俺が一番知っている。
 俺はずっと側で見てきたから。兄が痛みを与えられている時に唇を噛みしめるのも、自分にだけご飯がなく、空腹を紛らわせる時に爪を噛む癖も、母が帰ってきた時に怯える背中もすべて俺は知っているのだ。

 家の玄関まであと数メートル。兄は俺の考えていることに少しも気付いてはいないようで、ジャージの袖に手を隠して遊んでいる。自分たちの家が見えてきて、兄は言う。「かえりたくないなあ」と。いつもはそれに何も答えられないけれど、今日は違う。「今日は大丈夫だよ」と俺が答えることができた。

 玄関を開けると、母さんの靴がある。どうやら今日は家にいるようだ。祐介は俺との「ごっこ遊び」をしたまんま。俺達双子だけができる遊びだ。お互いがお互いに成りきって周囲の大人を騙して遊ぶ、玄関に入る前に「久しぶりに、あれやろう?」と約束したのだ。

 リビングから、「祐介来なさい」という母の声がする。それに反応するのは、祐介ではなく、俺だ。だって今は俺が祐介なのだから。

 いつもの「躾」だろう。母さんはいつも祐介を呼んで、数時間にわたって「躾」をする。しかし、今日は違った。タバコを吸っているのだ。母さんがタバコを吸っているときは決まって、機嫌がかなり悪い時だった。
 覚悟を決めたはずなのに、母さんに近づくのを躊躇ってしまう。すると、母さんはその細い腕で思い切り俺の腕をひっぱり火のついたタバコを、皮膚に押し当てた。

 痛い、と自分は言ったのだろうか。もはや言葉にすらなっていないかもしれない。喉から捻りだすような悲鳴が部屋に響く。
 自分の口からはっきりと、「さすけ、たすけて」という言葉が漏れたことだけがわかる。

 祐介の怯える目が自分を捉えている。この時、やっと俺は祐介にちゃんと成れたのだと知る。そして、祐介は俺だった。その事実に歓喜を覚え、暗転。

 気が付けば、俺は病院のベッドの上にいて、枕元にはぐっすりと眠っている祐介と、強面のおっちゃんがいた。


戻る / 次へ
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -