「あっつ……」
国語教師である春井は、真夏の太陽が元気に熱を放っている中、校庭の草むしりに勤しんでいた。もう既に夏休みに入っており、校舎には部活に来ている生徒がちらほら見られるが、この灼熱の中外で運動をしている生徒はあまり見られず、ほとんどが文化部の真面目そうな生徒ばかりだ。
では、何故こうして一介の国語教師が草むしりをする羽目になっているかと言えば、校長に「春井先生、若いからお願いね?」と言われてしまい、このハゲ、パワハラで訴えんぞという言葉をなんとか呑み込んだ。もう少しで、目の前のハゲの貴重な残りの髪を引っこ抜くところだった。
そもそも、言い出した奴が何故やらんのか、そもそもここは男子校なわけだし、人手はあるじゃないか。俺一人がやる理由はないのに。果たして俺を殺したいのだろうか、今年の夏は異常なほどに暑く今日だって体感気温は40度近いのではないか。
悪態付きながら立ち上がると、眩暈がする。そういえば、水分を補給したのはいつだったかな…、
気付いた時には、誰かの腕の中にいた。
「おっも…」
悪態づきながら俺を支える黒髪に白衣を着た彼は、体重をかけるには頼りなく、それでも己の足に力が入ることはなかった。
申し訳なく思いながらも、俺の意識はそのままフェードアウトしていく。
***
白いカバーを外に干す。生徒たちは長期休暇に入って俺が保健室にいる必要もほとんどないように思うが、それでも我が城が埃っぽくなるのは許せない。窓を開ければ、クーラーで冷え切った部屋にねっとりとした熱い空気が、混じり込んでくる。校舎の一階に設置された保健室は窓を開けるとすぐそこは中庭に繋がっている。外の物干し竿は触ったらやけどしそうで、慎重にシーツを竿にかけようとするが気温が高すぎて一秒でも早くクーラーで冷え切った部屋に帰りたい。
最後の一枚を干し終え、さっさと部屋に入ってしまおうと洗濯籠を手にしてカラカラと軽い音のする窓を開ける。
「…なんで貴方がいるんですか、春井先生」
そこには、生徒からも周りの教師からも人気の春井という男がいた。
「名津井先生、もうお昼食べられました?」
この男、こうして俺の城に飽きずに来ては特に大した用もなく、世間話とやらをして帰っていく生産性のない野郎である。
「…まだ食べていませんが」
「じゃあ、僕と食べましょう!」
「アナタと食べるつもりは全くないです」
つれないなあ、なんてぼやきながら、片手にコーヒーを持って優雅にお茶をする姿は、どこから見てもサマになっていて、イケメン滅べ…と内心呪いをかける。
一週間前に、クソ暑い中草をむしっていたこの馬鹿を拾ってなつかれてしまった。夏休みにも関わらず、保健室に遊びにくる生徒には「元来たところに返してきなさい!」なんて言われる始末。第一コイツは犬や猫じゃないし、そもそも拾ったというより救護しただけなのだ。
熱射病と脱水で、意識を飛ばしたコイツを運んで(引きづって)保健室で寝かせ、しばらく看病した。話を聞けば、あのハゲ校長の指示だというから、学校の人気者は大変だなという同情を送りつつ、元気になったのなら帰れと保健室から追い出した。あくまでも俺の仕事をしただけなのに…
「お弁当作ってきたんだけど、名津井先生が食べないなら捨てるしかないか…」
そういって、シンプルで少し大きめのお弁当箱を取り出した様子を見てぎょっとする。蓋を開けて色とりどりに飾られた食材たちをごみ箱に投下しようとした腕を咄嗟に掴んだ。
クソ、いつもこのパターンだ。
「…食べるから、ごみを増やさないでください」
そう言って、俺が折れれば春井という男はさみしそうにしていた顔をころっと変えて、嬉しそうに「ありがとうございます、名津井先生」なんて言うのだから、本当にこの男は性格が悪い。
***
春井が作ってきた弁当はかなり完成度が高く、ごみ箱へダンクされてしまうのを阻止して本当に良かったと思う。
「コーヒー淹れるけど、春井先生はどうしますか」
「え、名津井先生淹れてくれるんですか?嬉しいなあ」
別にお前のために淹れるわけじゃないのに、どうしてそんなに嬉しそうにできるのだろうか…ひとつ溜息をもらしつつ、ソファから立ち上がる。
コト、コト…とコーヒーをおとす間の沈黙が痛い。俺の背中に視線が突き刺さっている。
職員室にあまり顔を出さない俺はもともと周りの先生たちと親しい訳でもなく、生徒たちと仲がいいわけでもなく。そもそも男子校のうるさいノリは苦手なのだ。…まあ、共学の高校だったらいいかと言われると、そういうわけでもないけれど。
それでも、休み時間に廊下に出れば、生徒からも教師からも「春井先生!」と呼ばれている姿が目に入る。
「…ハイ、ドーゾ」
「ありがとうございます」
そういって差し出せば、目元を緩めて俺の手からマグカップをするり、ととられた。
「このマグカップ、お揃いなんですか?」
春井の視線の先には、手の中にある黒猫のマグカップ。俺の手の中にも、黒猫が大人しく収まっていた。
「…ちょっと、ペアのマグカップだったんですけど、ひとつだけ買っていくにはかわいそうだったんです。もう一個買ってけ、って言われた気がして」
そう言うと、一瞬きょとんとした春井がぶはっと噴きだした。アハハッとあまりに笑うので、悪かったな、彼女とお揃いで…とかいう理由じゃなくて!と言い返すとまだ少し笑いを引きずりながらも、ちがうんです、と春井が言う。
「いや、かわいいなって」
ものすごくムッとしたので、じとりと春井を睨みつけたらまたツボにはまったように笑い始めたので、保健室からご退室いただいた。
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