Good-bye, my gleam of hope.
藤本先生が亡くなったと聞いたのは、北海道での任務中のことだった。
あまりに急な訃報であったこと、任務中であったことから葬儀に出席することは叶わず、遠い地で師との突然の別れを受け入れる他なかった。
「先生」
墓石に刻まれた最愛の師の名前を、指先でなぞった。先生の葬儀の日も、今日と同じ雨だったらしい。雨に濡れた墓石は、生前の先生とは比べものにならないくらいに冷たくて、無理矢理にでもこれが現実なのだと僕に分からせる。
「藤本、先生…」
枯れた声で先生を呼ぶけれど、応えてくれる声はない。なにマジになってんだバーカ、と笑ってひょっこり現れそうなのに、冷たい雨音ばかりが僕の鼓膜を叩く。
「どうして、…死んじゃったんですか」
「それはですね。悪魔に殺されたのですよ」
突然聞こえた声には、ずいぶんと聞き覚えがあった。
「メフィスト」
振り返ると、相変わらず変な出で立ちの上司がいた。
「酷い顔です」
「…」
「何はともあれ、任務ご苦労様でした」
場の空気を読まない明るい声で、彼はそう言った。
「任務は、完遂してきました」
今回の任務を命じたのは、彼だった。というか、僕への任務は基本的に彼、メフィストから出される。つまるところ、直属の上司だ。
そんな彼に任務の完遂を告げると、にこりと笑って肩をすくめた。
「失敗するとは思っていないですから」
「それは買い被りすぎです」
「おや。そうでしょうか」
「…師の」
「はい?」
「藤本先生の、死に際をご存知ですか」
やっとの気持ちで絞り出した声は、みっともなく掠れてメフィストの耳に届いたかどうか心配になった。けれど、無用の心配だったようだ。メフィストはふ、と目を伏せて頷いた。
「彼は息子を守って死んだそうです」
「息子…」
「ええ、聞いてませんかね?」
一度だけ、ずいぶん昔に聞いたことがあった。
「双子の、兄弟で…雪男くんと、燐くんでしたか?」
たしか、雪男くんの方は最年少祓魔師として活躍中だと聞いたことがある。燐くんの方は、わからない。
「はい。その燐くんを守って亡くなったそうです」
「燐くん」
どんな子だろう。藤本先生が命をかけて守ったその子は、どんな子だろう。
「気になりますか」
「…そりゃあね」
「それなら丁度いい!」
突然場にそぐわない明るい声と、手を打つ音に、無意識に下げていた顔を上げた。
「君に新しい任務です」
久しぶりに手にした祓魔塾への鍵を、くるりと指先で回した。
メフィストから命じられた次の任務は、魔印の副担任というまさかの任務だった。心底向いていないのは明らかだったが、メフィストの一言で僕はこの任務を受けた。
『その燐くんが、今年祓魔塾にきます』
藤本先生が命をかけてまで守った燐くん。どんな子なのか、一目でいいから会ってみたかったのは本当だ。だけど、この任務を引き受けてしまったのは些か早計だったかもしれない。
「困ったな」
副担任とはいえ、担任のネイガウス先生が急用やらなんやらで授業を休むことになったら、必然的に僕が授業をやらなければならないんだろう。たしかに僕は手騎士の称号は持っているけど、一般的な手騎士と僕は違うということをメフィストは忘れてるんじゃなかろうか。
ふ、と息をついて左手の手袋を外して、手首をぐるりと一周しているチェーンの様なタトゥーをなぞった。これは魔法円の略図だ。
もう一度深呼吸をして、言葉を紡ぐ。
「犬招が一門、犬神の御力を賜る」
カラカラと木の板がぶつかり合う音が、だだっ広い廊下に響き渡る。一瞬辺りがぽうと明るい光で照らされた。
「お呼びでこざるか、有織殿」
現れたのは、真っ白い狛犬の幸坂さん。一応僕の使い魔だけど、なにかとお世話になっている相談相手みたいなもんだ。
「先日もお世話になったばかりなのにすいません」
「なに、お気になさるな」
「しかし、あまりに間が短いですが、お疲れではないですか?」
「なんのこれしき。して、此度は何用でござるか?」
そう言って笑った幸坂さんに癒されつつ、今回の任務の内容を軽く説明する。聞き終えた幸坂さんは、少し困ったような顔で僕を見上げた。
「なるほど。有織殿が先生に」
「はい」
「向いておらぬとは思いませぬが、しかし我々の契約と他の悪魔との契約はあまりに違いすぎる気がいたしまする」
「そうなんですよね」
「我々と有織殿の契約は、血筋の契約故」
そう。そうなのだ。
他の悪魔と使い魔の契約を結ぶとき、それは個人での契約になるが、僕の場合犬招一族として契約している。つまりは血筋での契約だ。だから召喚時に血は必要ない。手首を一周する魔法円を持っていれば、血脈を辿って呼び出すことができる。まあ、この魔法円に一工夫されてはいるけれど。
そしてついでに言うと、血脈での契約だから手騎士の称号をもってはいるが、僕個人で契約したことは一度もない。知識として契約のしかたは分かってはいるが、実際に経験したことがないのに教師として教えるのはいかがなものだろうか。
「しかし、有織殿の先生姿は見てみたいと些か思いまする」
「うーん。僕は向いてないと思うんですけどね」
「己では分からぬ長所というものもございましょう。私には有織殿は物を教える術に長けていると思いまするが、如何か?」
「幸坂さんがそう言うなら、そうなのかもしれないですね」
あまり自信はないのだけれど、幸坂さんは嘘をつかないからすんなりと信じることができる。
「それでですね、僕の召喚のしかたじゃあ混乱を招くと思いまして、幸坂さんにはあらかじめこちらにいてもらおうと思うんです」
「なるほど」
「それにやっぱり一人じゃ不安が大きくて」
情けないことを言っているのは百も承知なので、少し目を逸らしながらそう言うと、幸坂さんが僕の手にふわふわの頭をすりつけてきた。
「貴公の支えになることが私の使命でござる」
「すみません、ありがとうございます」
少しくすぐるように撫でると、幸坂さんは目を細めて笑ってくれた。
「じゃあ、ここから少し行ったところが教室らしいので、見に行きませんか」
「貴公の行く所ならば何処へでも」
「幸坂さんはかっこいいなあ」
「買い被りでござる」
そう言いながらも物凄い勢いで尻尾を振る幸坂さんは、ちょっと照れ屋さんだと思う。
さてもうすぐ曲がり角というところで、幸坂さんがピタリと足を止めた。
「幸坂さん?」
「…」
ピンと耳を立てる幸坂さんに首を傾げると、幸坂さんはとっても複雑そうな顔で僕を見上げた。
「有織殿」
「はい?」
「弱りましたな」
「どうしたんです?」
「勝呂の坊、三輪の坊、それから…」
迷うように幸坂さんの目が迷うように一瞬伏せられて、もう一度僕を捉えた。
「志摩のこわっぱの声がいたしまする」