「よォ。今日も来たのか」

書庫の扉を開けると、足元に本の壁を作って更には分厚い本を何冊も抱えた自称書庫の妖精が現れた。

「…なにしてんだよい」

「資料集めてんだよ」

「資料?」

「そ」

抱えていた本の上に新しい本を積み上げて、彼は深く息を吐き出した。

「重ェー…。おい、ちょっと暇なら運ぶの手伝え」

本の壁を跨いでおれの横を通り過ぎて、開けたままだった扉をくぐる。そのままスタスタと歩き出して、姿が見えなくなってしまった。慌てて扉から身を乗り出してどこへ行ったのか確認しようと思ったが、廊下にはもう姿がない。
運ぶのを手伝えと言ったくせに、先に行ってしまったらどこに運べばいいかわからないだろう。
しかたないから、とりあえず航海日誌を見ようと棚に手をかけた。

ガシャン

むなしい位に、鍵が引っ掛かる音が書庫に響いた。

「…」

ふつふつとやる瀬ない怒りのような感情が腹の底から沸いてくる。いや、少し考えれば確かにこうなることくらい予想がついたが、うっかりしていたんだ。ちくしょう。帰ってくるの待つしかないじゃないか。なんだこの展開は。

「…くそっ」

小さく悪態をついて、おれはあいつが作ったであろう本の壁のそばに座り込んだ。
開けたままの扉から、誰のものかはわからない笑い声や怒鳴り声がわずかに聞こえてくる。いつもはあの喧騒の中にいるから、こうして遠くに感じることははじめてだった。存外心地好いその音に、暫く目を閉じて浸ってみる。
しかしそれも少しすれば飽きてきて、おれは目を開けて傍らに積まれた本を一冊手にとった。『グランドラインの気象』とだけ書かれたそれを、何とは無しにめくってみる。突然目の前に現れるサイクロンや、丸い虹、空へ突き上げる海流、それから山を昇る海流のことなど、有り得ないようで有り得る気象や海流のことが詳しく書かれていた。
見た目でつまらなそうだと判断していたせいで今まで読んだことがなかったそれは、想像していたよりも面白いことに驚きながら、ページをめくっていく。

「なんだ。青少年も気象に興味あんのか」

突然聞こえた声に、大袈裟なくらい肩が揺れた。顔を上げればくわえ煙草でおれの手元の本を覗き込む奴がいた。

「べっべつに!」

バタン、と慌てて本を閉じたら、指を挟んだ。予想外の痛みにまた肩がビクリと跳ねる。そんなおれの様子なんか見ていないとでも言うように、あいつはごそごそと本の壁を探って薄めの本を一冊を取り出した。

「ほれ」

「なんだよい…」

差し出された本と彼の顔を交互に見るが、ただ笑うだけでこれ以上何かを言う気配はない。しかたなく受けとって表紙を見ると『気象について』という、さっきまで読んでいた本とたいして変わらないタイトルに首を傾げる。

「お前が今読んでたのはちょっと小難しくてつまらないからな。そっちの方が分かりやすくて面白い」

そう言うとまた本を両手で抱えて立ち上がろうとする。

「それ貸してやるから、ちょっとマジで手伝え。腰が痛ェんだよ」

「…オッサン」

「ンだよ。おれはまだお兄さんだっつーの」

不服そうに唇を尖らせる姿は確かにまだお兄さんかもしれない。けれど素直に認めるのもくやしくて、わざとオッサンオッサンと繰り返しながら数冊の本を抱えた。

「どこに持って行くんだよい」

意外と重い本を抱え直して聞けば、航海士のところだと言って廊下へと歩み出た。慌てて後を追うが、歩いていたんじゃ置いていかれそうだったから、不本意だが小走りでついていく。

「ちょっと前に島に寄っただろ」

「おう」

「そこの島で話を聞いたら、ちょっと妙なことがこの先の海域じゃあ起きるらしいからな。そのことについて話し合いをすんだよ」

「アンタがかよい…」

疑惑の眼差しを向けると、ベロリと舌を出した。

「ちげえよ。話し合いをすんのは、おやっさんと航海士。おれは資料提供」

「パシリかよい」

「どうしてそうなった」

ほんとに苦い表情で否定するもんだから、なんだかおかしくなってケラケラ笑うと更に苦い表情になった。

「オッサンなのに大変だねい」

「だから、オッサンじゃねえって」

角を曲がったのでそれに続くと、たしか航海士を任されているクルーの一人が立っていた。そいつはオッサンの顔を見るなり駆け寄ってきて、慌てたようにオッサンの手から本を奪ってその手に抱えた。

「兄さん、本はおれ等が運ぶから集めてくれるだけでいいって言ったじゃないですか!」

海賊らしからぬ丁寧な言葉遣いに首を傾げる。ついでに兄さんと呼ばれたことも気になった。さして似ているわけでもないが、兄弟なんだろうか、と思っているとおれの手からも重さが消えた。

「マルコもありがとな」

「お、おう」

「兄さんも、ありがとうございました」

「おー。終わったら取りに行くから呼んでくれ」

そう言いながら煙草に火をつけたオッサンに、航海士はゲラゲラ笑って首を横に振った。

「やらせるわけないっしょー」

「ンだよ。けち。おれァ、ヒマなんだって」

「兄さんはのんびりしててくださいってば」

「お前までオッサン扱いすんのかよー」

ぶつくさ言いながら来た道を戻り出すオッサンの後に続いて、おれも踵をかえす。ちらりと振り返ると航海士が本を抱えた手を小さく振っていた。

「なあ」

「あー?」

「アンタ、兄弟いんのかよい」

そう聞くと、オッサンは驚いたように目を丸くしたと思ったら、ヘラリと笑った。

「いるさ。たくさんな」

少しばかり煙草臭い手の平が、おれの頭に乗った。

「今んとこ、お前が一番末っ子だな、青少年」

ぐしゃっと乱暴におれの頭を撫でて、何事もなかったかのようにさっさと前に進んで行ってしまうオッサンに対して、おれはすぐには言われたことが理解できなくてポカンとアホ面をさらして立ち止まってしまった。数歩先に進んでから、おれが着いてきていないことに気づいたらしいオッサンが立ち止まって振り返る。

「なにしてんだ。行くぞ」

「わっ」

ひやりと冷たい手の平が、おれの手を握った。そのまま強く握られて、おれはずるずる引きずられるように歩きだした。
わけのわからない展開に、慌てて手を振りほどこうとしても、放さないとでも言うようにさらに強く掴まれてしまった。

「放せよい!」

「いーじゃねえかよ。おれだってかわいいかわいい末弟と仲良くしてえだろ」

「し、ら、ね、え、よいっ!」

「そうカリカリすんなって。思春期真っ只中だなあ、青少年!」

「てめぇのせいだよい!」

「ぎゃはは!照れるな照れるな」

「ちげえ!!」

それだけ騒いでいれば自然と周りの目を集めてしまい、すれ違うクルー全員にからかわれて手は汗ばむし、顔は熱いし散々だった。けれどオッサンは終始上機嫌で、結局書庫に着くまで無理矢理繋がれた手の平は放れることはなかった。


強く握り締めた手



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