こわれた種 | ナノ





『こわれた種』


pict by :ゆはこさん

4 sample text

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「痛いよ……」
「お前、自分が何をしているのかわかっているのか」
「え?だってキミ、僕のこと」
「早朝のこんなところで、俺と同じくらいの年の奴が眠っていたら誰だって不思議に思うだろう」
「……僕のこと、すきじゃないの」
 どこか拗ねている口調だが俯いた少年の両目は困惑に揺るがされている。一体彼はどういう教育を受けて、見ず知らずの人間が自分に惚れているなどと思いこめてしまうのだろう。この突拍子もない行動だけが不可解かつ不愉快ではあるが、幼子のような危うさがこいつに手を差し伸べるただ唯一の理由になった。自分の足で立った白い姿にジャージを渡してやると、一回り小さい背丈には大きいそれをあたたかいと言って微笑む。先程の行動とは打って変わって無垢だ。悪い奴ではない気がする。
「とりあえずお前は、くれぐれも気を付けて家に帰るんだ」
「……家」
 携帯の時刻はそこそこで、俺は朝食を摂りに戻らなくてはいけない。少年に、ジャージはいつでもいいから稲妻病院に勤務する俺の父親宛に返してくれればいいと告げて、樹から離れ去る。彼もまた帰途につこうと俺の背後で階段を下っていた。
 目を覚ました住宅街は、朝の心地良いざわめきを渡らせている。河川敷を抜けるに際して犬の散歩に付き合う何人かと挨拶を交わした。もうしばらくすると休日を満喫しようと、早起きをしたひとびとが各々の目的地へ向かい出すのだろう。俺も部活がある。寝不足とはいえ冴えないプレーは自分が許さない。天気も良いから、思う存分からだを動かしたい。
「ごうえんじ、くん」
 途中から雲行きが怪しいのは分かっていた。それでも安直にも偶然だろうと賭けていた。二人分の足音が止んだとき、俺は自宅の前に居た。表札には俺の苗字が断られていて、間違いが無い。振り返る前に、名前を呼んだのは残念ながらやはり例の少年だ。
「……お前な」
「豪炎寺くん」
「お前の家はここじゃないだろう」
「……ここだよ、僕の家」
 サッカーに励む前から疲れてきたのは言うまでもない。厄介な人に関わってしまったと頭が痛い。彼は俺がおかしなことを言っているかのように怪訝そうな視線を寄越してくるが、それは俺も同じで少年の姿はちぐはぐに映った。堪ったものじゃない。
 住所不定の少年に手を焼いていると家から漂う朝食の匂いに気が急く。いい加減に警察に突き出しても良いような気がしてきた。そんな最中、ばたばたと走る音が接近した。見覚えのある格好だと認識したと同時に近所迷惑も憚らず大声で名前を叫ばれる。それでも正直助かった、と思った。
「豪炎寺―っ、お前も早いな!」
 六時を回ったか回らないかという頃合なのに、円堂はいつも通り溌剌として笑った。そして俺の隣の少年に気が付くと、案の定な言葉が落ちる。
「ん、お前は?」
「僕?僕は吹雪士郎だよ」
 そういえば名前を尋ねていなかった。名前を聞いて納得するのもおかしいが、なるほどこいつの容姿は雪景色のような幻想と物寂しさがある。あの冷たい腕も霜焼けを思い出させて、今はもう去ってしまった北風の残り香が一瞬薫った。
「豪炎寺の知り合いか?」
「いや、さっき鉄塔広場で会ったらそのままつけられてきた」
 事実ではあるが、さも心外だと言わんばかりに吹雪は口を曲げた。うわごとのようにだって、だとか、でも、と吐き出す。流石の円堂もぎょっとしているが、ぐらぐらしている吹雪の肩に手を乗せてまっすぐな視線を向ける。円堂と俺の違うところはこういうところだ、相手の話を真正面から聞くというのはなかなかに難しいことなのだ。

『恋われる種』より

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「吹雪くん」
 新学期独特の、クラス替えが引き起こすよそよそしさが充満した教室に新しい風が吹いてきた。俺はこの学校のほとんどの人のことを観察し終えていたから退屈で仕方が無かった。だからこの転校生のおかげでしばらくは有意義な学校生活を送ることができるのだろう。
 転校生の吹雪くんは、後ろの席の俺に振り返るとほどけるように笑った。ああ、顔が崩れない一番綺麗な笑い方を知っている人だ。なかなか策略家かもしれない。恋愛を飽きるほど引き起こせそうな貌だが、印象がピュアだ。彼の本質はまだ見抜けていないけれど、こころまで清らかだとしたら振り回される女子が少しだけ不憫だ。
「えっと、きみは……」
「ヒロト、基山ヒロト。ヒロトって呼んでよ」
「……うん、ヒロトくん。よろしくね」
 そういって差し出された手を握り返したけれど、異様に冷たかった。血色が悪い俺と比べても、吹雪くんの指は血が巡っているのか不安になるくらいだ。思えば自分に似た緑色のひとみもくすみひとつなく澄んでいて、なんだか絵に描いたような人だと溜息をついた。
 携帯が震えたので、断って二通のメッセージを確認する。一件目は父さんからで、今日も研究で遅くなるというもの。あのひとの扱う分野は現代科学でも異色なものだ。俺はいつか父さんと同じ文献を読みたい、そのためにも勉強には余念が無い俺だ。
 二件目は驚いた、豪炎寺くんからだった。雷門に通う彼が、他校の俺にメールをくれるのは初めてのことだった。昨年の練習試合でアドレスを交換して以来それきりだったので、全く用件が推測できない。来月からFFが始まるから、何かそれに関することだろうか。お互い健闘を祈るとか?そんな常套句は時期尚早だし電波を介せば一気に誠意を欠くように思えた。
 メールを開くと意外なことに、まさに目の前にいる転校生のことについて記述されていた。きっとこれを多くの人は出来過ぎた偶然と呼ぶのだろうけど、あえて俺は運命と呼びたい。どうやら吹雪くんは豪炎寺くんの家に居候しているらしい。その経緯は割愛されているけれど、とにかく見かけたら気にかけてやってくれ、ということだ。世渡りが上手そうな顔をしているから心配には及ばないと思っていたけど、早速吹雪くんが授業中ノートも取らないでうわのそらだったから、俺はすかさず彼にノートを貸したのだった。
 昼食の時間、吹雪くんは栄養ゼリー飲料のパックをじっくりと吸い上げていた。弁当を広げた俺は彼の線の細さは少食に由来するのかとぼんやり考えながら、梅干しをつつく。俺の、目につく真紅とは違って繊細な灰青の髪を指であそばせる吹雪くんはパックから口を離すと、澄み渡るひとみで教室の中空を眺める。いかにも人懐こい表情で周囲を誘惑できそうな彼だけどどこか淡々としていて、もしかして俺と同じく友人付き合いとかそういうものが苦手なタイプなのかなと思った。
「僕ね、雷門町で居候してるんだ」
 冬の晴れ間に似た、かすかにあたたかい声が俺との間に揺れ動いて、ああ吹雪くんは想い人がいるんだなとすぐにわかった。我ながら物分りのいい人間だと思う。他の男子の恋愛談ときたら、必ず下心が見え見えで無粋なのだ。けれど吹雪くんの声は痛切だとか切実で、ここで俺は彼の本性はシロだと悟り始める。
「豪炎寺くんのこと?」
「え、な、なんで……」
 吹雪くんはつややかで真っ白な頬を一気に染め上げる。端末に届いたメールを見せてやると、心配性な豪炎寺くんに満更でもないようで、空気が抜けるように椅子に脱力して凭れた。耳まで真っ赤で、全体的に薄い色調のなかであからさまに目立っていた。
「豪炎寺くん、どうやったら僕のことをすきになってくれるんだろう」
 同性同士の恋愛に臆する様子を見せないだけ吹雪くんは吹っ切れている。いつから豪炎寺くんの家にお世話になっているかは知るすべがないけれど、相当悩み抜いての開き直りなのだろう。そういう清々しさは嫌いになれない。

『恋われる種』より

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「根本的に違うのは主体性、いや、これは曖昧すぎる言い方だね。感情の有無だと俺は思う」
「間違っていないと思う。それは事実だし」
「でも仮に感情というプログラムが開発されたら少し怪しくなってくる」
「そんなシステムを搭載『させられた』それって、表向きには人間とのギャップを失くすけれど所詮機械でしかない」
「感情と主体性は同義語ではないからね……」
 感情とは組み込まれるものではなく、年齢を追うごとに枝分かれし多様性を増すいわば植物みたいなものだ。赤ん坊が持っているのは感情の種に過ぎないが、社会という土壌でそれを育んで開花させる。だからもしそれを理論化・体系化出来たとしても、それは成長を知らないで咲いた生首の花のようなもの。それに価値があるかないかは敢えて素通りして先を急ぐ。
 最初から完成している感情、というのもそもそもおかしな話だ。花が植物の最期ではない。種を実らせ、命を継いでいく。長い時間を掛けてそれは少しずつ変容していき、それを進化だとか退化だとか呼ぶけれど、さてそこになかなか終わりなんて訪れない。人間の感情だってそうだと俺は思う。精確に言語という手段では表現しえない興奮も動揺もこの世界には飽和している。アンドロイドを製造する親がこれだから、感情という部品を完成させることは出来っこない。少なくとも現代では。そして多分一世紀中には確実に無理だと俺は睨んでいる。
 まあ最初から仮定で話を展開させているので蛇足だったけれど、俺が一番主張したかったこと、それは感情が人間に依存する生命体みたいなもので、俺たちと共存共栄していくということだ。アンドロイドとは人間ではないから、それに寄生されることは恐らくない。せいぜい設えられた感情プログラムという奇妙な花弁は栄養を吸い上げることなど到底出来ないから、すぐに枯れるだろう。完全に不完全な絡繰だ。吹雪くんが同じことを踏まえているかはわからないけど、俺の話に肯いてくれているから一通りの理解はしてくれた筈だ。
「ねえヒロトくん。キミは僕がこれから言うことを笑うかもしれないけど、それについてキミの意見をとても聴きたいんだ」
「吹雪くんの話も俺は聞きたいけど、まあまだ六回表だもんね。まだまだ」
「ヒロトくんそれでもサッカー部なの」
「ひどいなあ、サッカー馬鹿でも野球だって馬鹿にできな」
「アンドロイドがその知能を以て感情を開発して自らの回路に組み込んだ、なんてパターンはどうかな」
「他人の話の腰を折るなんて容赦がないね。デッドボール。はい、満塁です」

『壊れる種』より

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 なんでもこいつらは胡散臭い語らいをしているようで、頭の切れる人間たちはやることが違うなと溜息を吐く。両親が居ないという吹雪はディックを読破したあと、母親のこころを悟る胎児に着手していたが、きっと生命倫理に関心を抱いているのだろう。本を読む吹雪は熱心だ。俺はここのところそんな横顔を少し遠くから窺うことをささやかに楽しんでいた。
 思っていた以上に吹雪とヒロトは打ち解けている。食卓を囲んだときに吹雪が醸す雰囲気がそれをあからさまに物語り、あの日以来俺から吹雪に学校のことを訊ねることは無くなった。自ずと学生としての自分を語るようになった吹雪の表情は、様々な色を見せる。それがいちいち鮮烈に思えるのは俺の心持が少なくとも関与している。
 ヒロトはそんな俺の気持ちを早々に見抜いて、頼んでもいないのにこんな世話を焼いてくる。悪くはない。俺には引き出せない吹雪の言葉をヒロトは観察する。吹雪に多方面から切り込んでは逐一俺に報告。吹雪をストーカーだと疑ったこともあったが、今はその逆ではないかと自分を嗤う。
 それから恥ずかしいし情けないが、俺はどうやらよろしくない感情を持て余して居るらしい。嫉妬の緑と言う。それはヒロトと吹雪のひとみの色だが、そのふたつが意気投合している俺の知らない時間を思う俺のひとみも実は同じ色に移り変わる。
 もし俺があのときヒロトに吹雪のことを頼まなければ、と後悔を手繰り出す。すかさず俺はそれを有り得た世界へ思いを馳せているだけだと言い聞かせるが、言い聞かせるという言い方はいつも虚しい。事実を改竄するむやみさの方がこの際健康的なのか。
「豪炎寺くん、ただいま」
「ああ、おかえり」
「部活は休み?」
「休んだ」
「へえ、珍しいね」
 俺とは違う制服に身を包む吹雪は鞄を置くと、例の如く俺のからだに巻き付いてくる。最近は吹雪も惰性で絡むかのようで、特に言葉という武器で俺の本能をつついてはこなくなった。きっとこいつは愛と人に飢えていて、でも愛なんて誰も簡単に呉れないことをぼんやり知っている。それでも諦められないから、白い腕は体温を抱きすくめるのだ。血の気が引いていくようだった。いつの間にか、吹雪が俺を想っているという確信は傲慢に格を落としたのではないかと危惧に迫られていた。間違いない、まっさかさまに落ちているのは俺だけだ。
「豪炎寺くん」
 窓から射し入る夕陽が冷たい吹雪の背中を撫でる。俺の頭は限界が近い。自分のキャパシティを知るのは必須と宣言した胸のなかの彼が俺を呼ぶ。不甲斐無い、もっと言えば臆病な俺の腕はここにきても動かない。そのかわり口が作動する。
「……名前を、呼んでくれないか」
「え?どうしたの、急に」
「いいから」
「だって前、いやだって」
「早く!」
「ご……修也くん、なんか今日おかしいよ」
「……そうだな、おかしいな」
「何か嫌なことがあったのかい」
 仕向けたとはいえ、望んだ言葉を聴けるとは幸福だ。けれどそれはどす黒い感情を覆い切ることがない。ある程度勢いを削られた愉悦が微かに目を細めるけれど、はじめて自分から身を引いた吹雪のひとみとかち合うと、思考がスパークした。華奢な肩を力任せに掴んで、―――掴んだところで今度は一気に頭が冷える。俺は、何をしている。

『壊れる種』より

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電気羊のゆりかご。
ルエダの胎児。
いのちの軌跡、そんな夢。
時間を知らないこころが、
繰り返しうたうの。

豪吹×アンドロイドパロディ
『こわれた種』

新書判70頁
600円
R15豪吹小説
義務教育を修了されていない方は閲覧できません。

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20120415
by 205mg

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