「早織、本当にいいの!?」
「うん。チケット二席分あるから。」



大学で仲良くなった友人に自分の持っているものと連番のチケットを手渡すと、彼女は嬉しそうにはしゃいだ。



「このミュージカル行きたかったんだあ!ありがとう!」
「どういたしまして。」
「…ってこれ、一番前の席!?どうやって手に入れたの?」


興奮気味に問いかける友人に「内緒」と小さく呟く。
私が手渡したのは今すごい人気のあるミュージカルのチケットだ。


『この日の公演、見に来てくれないか。』


母校へ寄った際にたまたま出会った彼がそう言ってこれを手渡してくれたのはもう一週間も前だろうか。
高校卒業後以来の彼は少し背が伸びてオトナっぽくなっていて、そんな彼にちょっとだけ胸が高鳴った。
彼のお兄さんに少し似てきたなとは思ったけれど、口にするときっと不機嫌になるので言わないでおいた。

彼とは分野は違えど高校時代は同じ舞台を創る者として肩を並べていた…いや、実際どうだっただろうか。
今思えばずっと彼の背中ばかり見てきた気がする。
完璧ではなく、弱い所も沢山見た。けれど、仲間の強さや大切さを彼は知っている。
そんな彼と私は、今肩を並べていると言えるのだろうか。

大学でさらに勉強を積んでいるとはいえ、彼は高校卒業と同時にもう役者としてその世界に飛び込んでいる。
実力もルックスもいい彼は瞬く間に有名になっていってもう私では追いつけない場所にいる。

この舞台だって、テレビや雑誌、大学でも話題になっている。
高校の時に友人が映画出演を決めた時にも雑誌の表紙を飾ったりで凄く話題になったけれど、今はその比ではない程だ。

そう思った途端に急に彼との間に大きな壁が出来たように思えて、この公演を見に行くことが不安になって来てしまった。



「でもさあ、本当にカッコイイよね、月皇海斗!」
「えっ?あ、ああ…だね。」
「でも私は月皇遥斗派かな!大人の色気っていうの?」


遥斗派…と話を変えた友人に安堵の息を吐く。
弟派じゃなくてよかった、とふと思ったけれど、何故つまらない嫉妬心を燃やしているのだろうか、私は。
自分は彼の何でもない癖に。


「確かに遥斗さん最近色気増したよねえ…もう24歳だっけ。」
「そうなのそうなの!…ってそう言えば早織、綾薙出身だったよね?」
「そうだけど…?」


綾薙の名前が出ると内心ハラハラする。
何故なら在学時に関わっていたミュージカル学科の面々、ほぼ全員が今業界で活躍しているからだ。


「じゃあさ、月皇海斗と仲良かった感じ?」
「学科違ったし…特には…。」


今の友人の事は好きだし、信頼もしている。
しかしどうしても、仲が良い事が大学でもし広まったらサインをせがまれるかも知れない、アドレスを知りたいと言われるかも知れない。…会いたいと言われるかも知れない。
こうなってしまうと頑張っている皆の迷惑になってしまう。
それが頭にチラついてしまって、どうしても本当のことが言えなかった。


「そうなんだ。」
「何か、ごめんね。」
「…なんで?」

ごめんね、はこの話題が出た時の私の決まり文句だった。関わり無くてごめんね、と言う意味だけれども、本当は嘘をついて、本当のことを言えなくてごめん、と言う意味も込めていたりする。
不思議そうに私を見た友人は続けた。


「早織、最近月皇海斗の話題振ると不機嫌って言うか、少しぎこち無くなるよね?…てっきり私、早織は月皇海斗の彼女なんだと思ってた。」
「かの…!?ちが…月皇君は私の事なんて何とも…!」
「あら、やっぱり知り合いだった?」
「あ…」


まんまと友人に乗せられた私は、その後洗いざらい彼女に高校の時の事を伝えた。
彼女はすんなり話を聞き入れてくれて、その後は何も問い詰めたりはしなかった。
彼女はなにも聞かないと分かっていたことだけれど、今は伝える事の出来なかった自分を悔やんで仕方が無い。


「で、その月皇君にミュージカルに誘われた…と。」
「まあ、その…うん。」
「いやーでも、まさか早織の好きな人があの月皇海斗なんて…今まで彼氏作らなかったのはそういう事か。」
「まあでも、向こうはただの友人としか思ってないよ。」
「何で?チケット貰ったんでしょ?脈ありじゃん。」


そう思いたい所だけれども、チケットを貰って公演に誘われたのは彼が初めてという訳ではない。


「前に星谷君のミュージカルに誘われて、那雪君と見に行った。」
「なにそれ羨ましい!!」
「…と言う具合だから、分からないでしょ?」
「うーん。」


首を捻る友人だったが、「でも、公演は見に行くよ!欠席不可だからね!!」と私の肩を掴んで言い聞かせるように言う。
そんな彼女の勢いに押されて私は何度も頭を縦に振った。




公演前日、眠気はあるものの、なかなか寝付けない私の耳にスマホのチャットの受信音が数回入ってくる。
もぞもぞとスマホに手を伸ばして画面をつけると、思っても見なかった人物からのチャットに一気に目が覚める。


月皇海斗[起きてるか?]


つ、つつつ月皇君からだ…!高校の時は当たり前のようにやり取りをしていたのに、会わなくなるとこうも緊張してしまうのか、それとも私が自分の気持ちに気付いて彼を意識しているからなのか。私は返事を急いだ。


雨島早織[起きてるよ!こんばんは。]

月皇海斗[こんばんは。明日の公演、来るん、だよな。]

雨島早織[友達と行くよ。]


そこまで送信すると、既読マークは付いたもののなかなか返事が戻ってこなかった。
そのまま寝てしまったのだろうか…と思っていたが、ようやく返事が返ってきた。


月皇海斗[友人は女性か?]

雨島早織[そうだけど。彼氏とかいませんから(笑)]


ふーっと息を吐く。あなたが好きだから彼氏なんて作れません。…とは私に言う勇気も権利もない。


月皇海斗[明日は遅刻するな。休憩時間以外トイレに行ったり、席を立ったりするな。最後までしっかり観るんだぞ。]

雨島早織[はいはい。分かってますよ。]

月皇海斗[それと。]


また暫く間が空いて月皇君の返事を待った。


月皇海斗[応援してくれ。]


音声付きの言葉では無い。その短い1文に胸が凄く熱くなった。
ドキドキが暫く治まらず、ああ、好きだなあと目を閉じて何度も彼の歌っている姿を思い出した。


雨島早織[うん。頑張って。]






公演当日。近くの駅で友人と合流すると、そのままホールへ向かった。
ホールの入口には開場時間を待つ長い列が出来ている。

「早めに来たけど、流石に人多いねー。」
「うん。」

列に並ぶと暇な待ち時間、スマホをいじる人や話し込む人、観るのが初めてでは無いのか、パンフレットを開いて読んでいる人もいる。


「海斗君生で見るの初めて!」
「生で見るとホントにカッコイイよ!」
「バラ、貰えるかなあ?」


列は月皇君の話題で持ちきりだった。
主演ではないとはいえ、流石の人気だ。


「バラって?」
「ああ、なんかね。毎公演、月皇海斗が客席に降りてバラをお客さんに渡すシーンがあるんだって。」
「へえ!貰えた人は嬉しいだろうなあ…。」


彼が綺麗な笑顔で観客の女性にバラを渡すシーンを想像して少し頬が赤くなる。
羨ましい、その女性が羨ましすぎる。

「早織可能性あるよ。」
「え、まさか。」
「だって、その為の一番前の席なんじゃないの?」
「おお…」


やけに説得力のある事を言う友人の意見にはあまり期待せず、開場後暫くして公演はいよいよスタートする。


頭から壮大なイントロと共に歌が始まる。ユニゾンやハーモ二ーはとても綺麗で迫力がある。
更には月皇君がソロで歌う場面もある。
透き通るような甘い歌声がホール全体に響き渡り、客席はその甘い声に酔いしれている。
私自身、彼の歌は久々に聴いたのだけれども、前とは格段にレベルが上がっていると感じざるを得ない。
私もそんな月皇君の歌声に酔いしれている観客の一人と言ったところだろうか。

演技も前とは別人のように色鮮やかだ。
月皇君は主人公の愛する人を好きになってしまう男性の役。主人公の愛する女性を好きで好きで仕方がなくて、懸命に愛する感情を訴える彼に思わず涙するシーンもあった。

月皇君が歌う度、台詞をいう度、好きという感情がとめどなく溢れ出す。
月皇君の役を自分に重ねているのかも知れないけれど、そのくらい私は彼が好きなんだ。
それに気づいた頃にはもうお互い別々の道へと踏み出していた。きっとその道が再び交わる事はないのかもしれない。

物語も終盤に差し掛かるといよいよ主人公は愛する人と結ばれるシーンに突入した。
その場面に出くわした恋敵は悔しいながらも自分の愛する人の幸せを祝い、少しだけ切ない笑顔を見せる。
私は終始、そんな月皇君に釘付けだった。

すると、恋敵は自分もきっと幸せを掴むと、舞台上からゆっくりと階段を降りていく。手には1本の真っ赤なバラを携えている。

来た、話にあったバラのシーンだ…。開場前の友人との会話を急に思い出すと、心臓がやけに五月蝿い。
ドキドキと緊張で胸が張り裂けそうだった。

月皇君は真っ直ぐ階段を降りると、私の座る席の方へ向かって歩き始めた。
コツ、コツとホールには彼の歩く靴の音だけが聞こえる。
月皇君は何歩か歩くと、ピタリと立ち止まり、真っ赤なバラを差し出した。



「もしかして、君が僕の運命の人だろうか…。君にこの真っ赤なバラを捧げよう。」

「…っ!ありがとうございます…!」


彼がそう言ってバラを手渡したのは、私よりいつくか横に座っている女性のお客さんだった。

途端に急な恥ずかしさと悲しさが胸の中を駆け巡って思わず顔が熱くなった。
本当に恥ずかしい。何私は期待をしていたんだろう。


コツ、コツとまた歩き始めた彼の足音がなり始める。私が彼を見ないまま彼はこのホールを後にしてしまう。変に思われるだろうか。前を向くと涙があふれだしそうで、彼はすぐ目の前を通り過ぎるのに、それを見ることすら出来ない。

すると突然、また靴の音がピタリとなり止む。

「どうして下を向いているんだ。」


はっと顔を上げるとそこには衣装に身を包んだ、その役のままの月皇君が私に向かって話しかけていた。
周囲も少しざわついているようだけれども、彼のアドリブだろうか。


「悲しい気持ちなんて、この花を見るとそれすらも忘れてしまう。きっと、僕のように。」


月皇君は私に微笑み内ポケットから1本の小さな紫の花を手渡し、扉の外へと消えていった。

私も隣の友人も唖然とする中、舞台はクライマックスに突入する。
華やかな曲を役者全員が歌い幕が降りる。


鳴り止まない拍手の中、やはり私の意識は月皇君のアドリブと手の中のこの小さな花にある。
舞台が終わると颯爽と友人に手を引かれ、ホールの外へ。
まだ何がなんだかよく分かっていない。


「早織、あんたその花、何か知ってる?」
「え?ええと…何がなんだか。」
「それ、リナリアの花だよ!」
「リナリア…?聞いたことない名前。」


とても綺麗な小さな花は私の掌の上でこれでもかと言う程その存在を主張している、紫と淡い黄色の綺麗な花だ。
友人に自分で花言葉調べてみな、と急かされ花を片手にスマホを開き、検索をかけた。


目的のページに到達してスクロールを始めた私の指がピタリと止まり、視線は思わずその画面に釘付けになった。



「リナリアの花言葉、それは。」








『私の恋を知ってください』








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