緑+青

 ノブを回し前方へ引くと、古い木製のドアが軋みながら開く。油絵具の匂いが鼻をつくが、グリーンはこの匂いが嫌いではなかった。大きな窓からは日光が差し込み、外には姉であるナナミの菜園が見える。

「あまり片付いてなくてスマンの」

 苦笑しながらオーキドが言う。室内には金や銀の額に縁どられた絵画が積み上げられたり壁に立てかけられたりしていた。それらのキャンバスにはどれも魔法生物が描かれている。絵画の山の上から滑り落ちそうになっている一枚を手に取り覗き込んだ。中では尻尾に炎を灯した橙色のトカゲが遊んでいる。確かヒトカゲという名前だったか。視線に気付いたヒトカゲが円らな眼で見つめてきた。視線が合うとにぱっと笑い尻尾を揺らす。その様子にこちらも思わず口元が緩んだ。
 この世界では絵の中のものが動くのは普通である。人物は勿論、動物や河や風に吹かれる木等の自然物。それらはキャンバスという枠の中で半永久的に動き続ける。
 このアトリエにあるのは魔法生物学者であるオーキドが描いた魔法生物達の絵ばかり。中には実際には滅多にお目にかかれない希少種の絵も在り、時折収集家が是非譲ってくれと訪ねてくることもあった。しかしどんなに大金を積まれようとオーキドは手放そうとせず、彼が描いたものは殆ど此処に保管されている。そんな絵画達とアトリエをオーキドはグリーンに譲ると言ってくれたのだ。最初は驚いたが、嬉しいことに変わりはないので素直に受け取ることにして、今こうして引き継いでいるところである。
 おっといかん、と時間を確認したオーキドが声を上げた。魔法生物学界では権威と謳われる彼は毎日多忙なのである。グリーンに小さな鍵を手渡すと、オーキドは急ぎ足で出ていった。一人になったアトリエの中を見回す。どうやら随分の期間本来の使われ方をしていないらしい。それは床に積もった埃が証明していた。
取り敢えず掃き掃除はした方が良さそうだ。

 アトリエだから絵を描かなくてはならない、という決まりはない。グリーンも絵を描く気は全く無く、単に勉強部屋として使っていた。祖父と同じ魔法生物学を学んでいるグリーンにとってこの絵画達は二番目に身近な魔法生物なのだ。
 人々は暮らしていく上で様々な場面で魔法生物の力を借りている。力仕事や医療や農耕、エトセトラエトセトラ。ペットや家族として手元に置く人も少なくはなく、グリーンにも幼い頃から一緒に暮らしている魔法生物が居た。緑色の躯に鋭い鎌のような両腕。種族名はストライク。言うまでもなく、彼がグリーンにとっての一番身近な魔法生物だ。
 しかし魔法生物の種類は多い。当然全ての種類を手元に置くというのは不可能であるし、元々数が少ない種も居る。実物を全て見ることが叶わない以上、これらの絵画は彼らを知る大切な資料なのだ。
使い古された机の上で教科書を開きながらノートに文字を刻んでいた時だった。

「べんきょうねっしんねぇ」

 突然聞こえた子供の声にぎょっとして振り返るが、それらしい姿はない。空耳にしてははっきりしてたな、と首を捻っていると、今度はくすくすと笑い声が聞こえた。音を頼りにキョロキョロと部屋を見回すと、他の絵の影になって見え難い場所に今迄認識していなかった絵画を見つける。引っ張り出してみるとその中に居たのは魔法生物ではなく黒いワンピースを着た七歳位の少女だった。
 おかしい。此処に在るのは魔法生物の絵だけの筈なのに。戸惑っているグリーンに少女は気安く話しかけてきた。

「はじめまして、カッコイイおにいさん」
「お前は誰だ。何で此処に在る?」
「あたし?あたしはブルー!」

 二つ目の質問には答えずに、ブルーと名乗ったその少女は名前と同じ色の瞳でグリーンをじっと見つめる。そして数秒考えた後にポンと手を打った。

「あなたが“はかせのおまごさん”?」
「…グリーンだ」

 不本意ながらも名を名乗り、おじいちゃんを知っているのか、と問うと、少女はきょとんとした顔で目を瞬かせた。

「だってあたしをかいたのはかせだもの」

 祖父が魔法生物以外の絵を描いていたことにグリーンは驚いた。しかしそれなら彼女が此処に在るのも納得である。疑問が解決した今、これ以上彼女に構う必要も無い。そう思い勉強を再開させようと席に戻りかけたが、その足は途中で止まることになる。

「あなたもまほうせいぶつのべんきょうしてるの?なんで?べんきょうしてるってことはあなたもまほうせいぶつもってるのよね?」

 年相応の若干舌足らずな言葉が矢継ぎ早に飛んできた。もしかしてずっと喋る気かこいつ。眉間に皺を寄せて軽く睨むも、彼女の口は回り続けている。
 このままでは勉強に集中出来ない。つかつかと彼女に歩み寄り、その辺にあった布をキャンバスに被せる。するとハイトーンの声はぴたりと収まった。やれやれと溜息を吐いて席に戻ろうとした時、再び声が後ろを追いかけてくる。

「ちょっとなにするの!そとがみえないじゃない!」

 煩い。実に煩い。どうやら少々機嫌を損ねたようでさっきよりトーンが高く耳に刺さる。これならさっきの方がマシだと布を取ってやる。小さな騒音は腰に手を当てて怒っていた。キーキーと文句をぶつけてくる彼女に気のない謝罪をしながら厄介なものまで譲り受けてしまったもんだ、とグリーンは目を閉じる。
 暫く黙ってお小言を聞いていると、部屋は再び静かになった。終わりか、と目を開けると未だ少し不機嫌な顔の彼女が口を開く。

「あなた、まほうせいぶつすき?」
「…好きじゃなければ知ろうとは思わないな」

 その答えがお気に召したのか、少女は打って変わって満面の笑顔になった。女というのは年齢関係なくよく判らない生き物である。グリーンは頭を抱えた。






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