緑に連れられてやってきたのはこの界隈では名の通った老舗だった。聞くところによると昔から懇意にしているらしい。毎度のことながら彼の人脈の広さには驚かされる。日頃人付き合いをあまりしないことを知っているのでより一層、である。緑に続いて暖簾を潜ると、いきなり怒鳴り合う声が聞こえてきた。

「あぁもう、君は又そんなに汚してきて!」
「せからしか!そんなんあたしの勝手たい!」

しかしそんな口論も日常茶飯事、といった風に店の中に居る者は誰も気にしていない。少し前に立つ緑も控え目に溜息を吐くと、わいわいと騒いでいる男女に声をかけた。

「…相変わらず賑やかだな、紅」
「あ、緑さん!」

お久しぶりです、と会釈したのは暗めの赤い瞳をした少年(といってもいい年齢だろう)だった。頭に手拭を巻いているが変わった巻き方だ。その隣に居た濃い蒼の瞳をした少女に青は見覚えがあった。

「藍?藍じゃない!」
「え、あ、青先輩やないですか!」

先程までの今にも噛みつかんとする野良猫のような雰囲気は何処へやら、ぱっと明るい笑顔になって藍は青に駆け寄る。その横で緑がきょとんとしていた。

「知り合いか?」
「私の後輩よ」
「初めまして、藍っち言います!」

ぺこりと頭を下げる藍に緑も遅れて返事をする。緑と紅が何やら話している間、青と藍も久闊を叙していた。地方の訛で話す彼女は、自分とは違い正しい理由での保健室利用者だったのだ。流石に今は傷だらけということはないようだが、先程の喧嘩を聞くと外で暴れまわる癖は抜けていないのか。

「そういえば、藍も…ええと、紅君?と知り合いなの?」
「あいつとは幼馴染で」
「で、藍の好い人?」
「そ、そんなんじゃなか!」

関係を理解した青がにやにやと笑いながらからかうと、藍は真っ赤になった。そんな顔で否定されても説得力の欠片もない。好きな異性には素直になれないタチなのか。さて何から聞き出してやろうかと考え始めた時、緑に呼ばれた。残念、尋問はまた今度になりそうである。

少し離れた場所で青の採寸をしている紅を藍はぼんやりと見ていた。寸前まで言い合いをしていたのにあっさりと気持ちを切り替えてしまえる彼が気に食わない。更に周りの雑音に紛れて此処からでは何を言っているか判らないが、青と楽しげに話している姿に苛々した。しかし直ぐに自己嫌悪に陥る。先輩も紅もそういう気持ちは一切ないと判っているのに、そんな風に見てしまう自分に腹が立つ。色んな思いがぐちゃぐちゃと絡んで思わず溜息が出た。有難いことに、隣に座って同じくそれを眺めている人物は何も言ってこない。元々寡黙な人なのかもしれないな。そう予想しているとその彼から嗅ぎ慣れない、しかし覚えのある匂いがするのを藍の鼻が捉えた。何処で嗅いだのだっけ、と記憶を探る為に藍は瞳を閉じた。



「私、珈琲苦手だなぁ」

いつものように保健室で七美の淹れた紅茶を啜りながら青がぽつりと零す。

「あたしも紅茶のが好きったい!特に七美先生の淹れてくれたんが一番!」
「あら、有難う藍ちゃん」

藍の言葉にポットを持った七美が嬉しそうに微笑む。珈琲を好む人も彼女の淹れるお茶を飲めば紅茶が好きになるのではないか、と思う程に七美の紅茶は絶品である。その日は珈琲と紅茶の比較で放課後の時間は過ぎて行った。


暫く経ったある日、いつものように保健室でお茶を楽しんでいたが、その中に嗅ぎ慣れない香りが混ざっているのに気付いた。発生源を辿ってみると、どうやら目の前に座っている青い瞳の先輩のようだ。

「青先輩、何か珈琲の匂いがするったい。苦手ち言うてませんでしたっけ?」

藍が首を傾げると青は少し考えた後で最近触れる機会が多いからかしら、と何処か嬉しそうに答えた。苦手なものに接しているのに何故嬉しそうなんだろう。そんな疑問が心に湧いたが、彼女が女給をしているといったことを以前聞いたのでその所為かな、と気にしないことにした。



昔の保健室での一件を思い出した藍はぱちりと瞼を開いた。隣に座る彼は未だに青を眺めている。その表情は酷く優しいもので、二人が特別な関係であることは自分にも直ぐに察しがついた。匂いと記憶と視線。全ての要素が結びつく。

(こんお人が原因やったとですね、青先輩)
「…何だ?」
「はぇ?」

気付けばいつの間にか凝視していたらしく、その原因に怪訝な顔を向けられていた。

「…何でもありませんったい!」
「は?」

採寸を終えて戻って来た青と紅が見たのはやけにご機嫌な藍と訳が判らないといった表情をした緑だった。


緑と青が帰るのを店の外で二人並んで見送る。落ちかけた太陽が橙色に染める街並みの中で藍がぽつりと呟いた。

「…青先輩、幸せそうで羨ましいったい」

少し低い位置にある彼女の顔を盗み見すると、長年一緒に居たのに今迄見たことのない表情に思わず鼓動が跳ねた。その表情と言葉が何を意味するか判らないほど紅も馬鹿ではない。しかし口から出るのは憎まれ口。

「へぇ、野性児の君でもあんな風になりたいと思うわけ?」
「っ悪かね!?」

空気がいつもと同じテンポに戻る。それに紅は内心ほっと安堵した。確かに彼らのような関係は素敵だと思うし、自分達もそうなれたらとも思う。それでもやはり彼らと自分達は違う。

(僕らは、僕らのペースでいきたいんだよ)

未だ横でぎゃんぎゃんと騒ぎたてている藍の声を聞きながら紅は軽く目を瞑った。



久遠、結縁。
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