コメント返信

>ななし様、花骸のこどもたち読ませて頂きました!〜
 “花骸のこどもたち”を読んで頂きありがとうございます。
 丁寧かつ優しいコメントを頂いてから幾度となく読み返させて頂いています。その割に更新頻度が上がる気配がないどころかコメント返信も大分遅くなっており、申し訳なく感じる事柄が走馬灯のように浮かんでは消えていく始末。コメントを頂いたときの喜びを何とか伝えたいとパソコンに向き合うのですが、根が口下手なもので上手い返しが浮かんできません。尚且つ、最新話に四十七か所の修正点があると判明した身の上では分不相応なコメントを頂いた恐縮が募るばかり。コメント返信をしようと、コメントを見返しては――私の書いた乱文より、送って頂いたコメントのほうが余程隙のない丁寧な文章ではないか――やっぱ頭の良い人に読んでもらうといい感じに解釈して貰えて得だな――もう「<夢主>がX歳だとすると、」の時点で数学的だもんな――七子の算数能力は小学生レベル――添削係になってほしい――という感情が奔流のように押し寄せ、私の言語能力を奪っていきます。端から私に言語能力などないという学説もあるにはありますが、近年ではホームページ開設にこぎつけるほどの言語能力は備わっていたとみるのが主流です。率直に申し上げると更新頻度の都合でコメント返信を書くこと自体あまりに久々で、以前如何いう風に書いていたか思い出せず、こうして混沌の極みを晒す羽目になっています。更新停滞中に培った知識で乗り切ろうと振り返ってみると、やけにサスケの肛門に着目したナルトSSの数々が思い起こされ、己の性癖を明かすようでお恥ずかしい限りです。当方ライフハックの一環としてメンタルケアにうちは一族を用いているのですが、疲れている体にキメるサスケは最高にシャブく、一日の疲れと作業意欲を消し去ってくれるのでオススメです。いい加減「夢小説の感想を送ったら、オススメナルトSSリストが帰ってきた」と画面の前で困惑する様が目に浮かぶので、話の筋を正します。
 恐らく「見当違いなことを言ってしまっていたら……」とタイピングしている時は、まさかこんな見当違いなコメント返信が帰ってくるとは思ってもいなかっただろうなと思うとにわかに興奮します。
 とりあえず、頂いたコメントに見合う知的なコメントを返そうと、参考ばかりに過去のコメント返信を読み返してみたのですが、まあ九割九分九厘よくわからない内容だったので、諦めて頂けますと幸いです。

 夢主の年齢については、割と自分でも「何故四歳時点から始めているのか」とか「原作時間軸にたどり着くのはいつになることやら」とか色々思うところがあるのですが、多少なり面白く思って頂けたなら幸いです。
 当初は「イタチの友人の、千手一族の子を夢主に据えて書こう」というザックリとした展望があり、サスケの回想に沿って書くつもりだったのですが、イタチ真伝の発売で急遽「イタチ真伝に合わせて書こう」と方向転換したため、本当に一話から最新話に至るまで行き当たりばったりで書いています。元々原作沿い夢小説を書くのが好きで、原作外のオリジナルを書くのは苦手の部類なのに、何故夢主は四歳なのだろうと度々疑問になります。先述の通りイタチ真伝を読んだ勢いのままに書きだしたと自覚しているので、幾度自問自答を繰り返そうとただ計画性の無さだけが浮き彫りになる。そんな調子なので、原作イベントに掠る気配もなく、そればかりか赴くままに夢主の独白回とか挟む我が身を悔いるばかりです。
 基本的に「書きたいものを書きたいように書く」作業中と「もう少し効率の良い話の書き方を身に着けたい」時の落差が激しく、特にコメント返信中は恐縮から“出張どこでも反省団”を垂れ流すというテロ行為を得意としています。最早夢小説の書き方だけでなくコメント返信の書き方さえ誰かに教えて貰いたいレベルです。素面でこれだけの混沌を紡ぎ出せるのはある種の才能かもしれない。自省と高揚の狭間でタイピングしている最中まだ「ま……頂いた拍手コメントに酔っている感は否めませんけどね?」とか最高に反応に困りそうな返しが浮かんだので、お納め下さい。
 これだけ話が逸れに逸れまくっていると、自分でさえ何を言いたいのか分からなくなってくる。多分「原作イベントに掠ってなくて、読み手的に恐らく退屈を感じる箇所も少なくないだろうに丁寧に読んで頂き有難うございます」というようなことを言いたかったのではないでしょうか。

 私は如何にも夢主の外見から心情まで、私の頭のなかにあるものは全て文章としてアウトプットしたい欲求があるので、世間一般的に私の書く“夢主”は自己投影に不向きなのだろうなと常々思っています。
 自分がそうしたクドい夢主を書くからなのか、読む時は、読み手が自己投影しやすい透明感のある夢主を好いています。尤も原作沿いが好きなので、キャラ立ちのしている夢主も好きです。自分の手に入らないものと、自分が書いているものと傾向は同じだけど、自分が到達できない地点にあるものが好きなのだろうなあと思います。また話それてる。
 そうした濃い夢主を書いているだけに「自己投影してほしい」「感情移入してほしい」とは、中々望めないところがあります。それ故「木の葉の里に居る感覚があって」と言って頂けたのはとても嬉しく感じました。有難うございます。「やっぱり読解力の高い人に良い感じに読み取って貰うのは最高」という気持ちが更に強くなったことをご報告いたします。

 そして、拍手お礼の無限月読・IF短編・煉獄できみを待つ・その他では夢主の年齢がバラバラなので、訪問者さんが混乱を来さないか常に不安なのですが、それぞれで受ける印象が違って面白いと言って頂けて本当にホッとしています。やっぱり算数が得意な人は賢い、はっきりわかんだね。
 個人的な話ですが、児童書を読むのがこよなく好きなため、児童文学に喩えて頂けたのは望外の喜びでした。中でも「大きな森の小さな家シリーズ」「しずくの首飾り」「魔法使いのチョコレート・ケーキ」「海の王国」など海外の児童文学が好きなので、ちょっとでも洒落てると感じて頂けたなら私の幼児趣味も多少なり役に立つのだなと嬉しいです。
 図書館に赴くと大抵児童書のコーナー、そして本屋に行けば漫画のコーナーに居座るレベルの“読書家”なのですが、大人向けの本では「小石川の家」「へそのない本」「夏姫春秋」といった、ユーモアのなかにも寂しさの残る話を好いています。何故コメントを貰ったほうが「うわー…!うわー!」と言っているのかは謎ですが、管理人さんに喜んでもらえるような拍手コメントを送るのを酷く苦手としているので、心から見習いたいです。頂いたコメントを読めば読むほど「こいつぁすげえ、私も今すぐ感想の書き方を教えて貰わなくっちゃ」と焦燥感ばかりが募る。
 頂いたコメントを読み返すごとに「勉強になる」と言わんばかりにメモを取りたくなるのですが、今自分の書いているコメント返信を読み返すごとにそうしたやる気が削がれていくの“闇の力”って感じ、凄くします。
 兎に角、次に連載夢小説の感想を拍手コメントを送るときは「特に好きなのは」を真似しようと心に誓いました。これで好きなサイト管理人さんから「うそ……この人凄く分かってる……」って思われてしまう。

 如何にも未だ話数が少ないので、どの話にも思い入れがあるというか、「あ……うん、その話凄い時間かかった」「それ……凄く時間かかった」「全然仕上がらなかった」という似たり寄ったりの思い出が蘇る始末。かつてこれほどまでに感想の送りがいのない管理人がいただろうか。
 そうした中で珍しく「不自由の巣」は執筆時間四時間余りと極めて書き易かったことが思い起こされます。うちは家の一家団欒について考えるのがとても好きなのですが、それだけに書き易かったのかもしれません。
 私生活の都合上アニメを観ることが出来ないので、うちは家について考える時は活字版のイタチ真伝と原作を基準としています。原作のフガクさんは、長兄に期待を寄せる反面愛情と裏腹に末息子の扱いが雑だったり、末息子の努力を認め、死に瀕しても「お前を誇りに思う」と息子を認める、所謂“古き良き父親像”だと思うのですが、一方真伝のフガクさんは凄く人間臭かったなと思います。優秀な息子を誇らしく思う一方、父親である自分さえ超越したところのある賢しさ・才能への嫉妬――人間として当たり前の感情の動きだと思いますが、やはり先にフガクさんの潔い最期を原作で読んで知っているからこそ中々受け入れがたいものがありました。
 しかしながら、今はあの泥臭いまでの妬みや葛藤があったからこそ、最期の「お前を誇りに思う」「お前は優しい子だ」が活きてくるのだなと、改めてフガクさんが好きになりました。イタチ兄さんもサスケに対して「オレがうとましいか」と聞いていますし、肉親と言えど、一個の生物として自分より優れた存在を妬ましく思うのは当然のことだと思います。
 それでもサスケが兄の面影を追い続け、最後“兄と同じ里の敵として友の手に掛かって死ぬこと”を望んだのを鑑みればサスケがイタチを疎ましく思っていなかったのは火を見るより明らかです。それと同じで、フガクさんも一族のまとめ役としての立場や才能に溢れた息子への嫉妬、息子と気持ちが通じ合わなくなっていた焦燥感があったにしろ、最期は“うちは一族のまとめ役”でも“一人の忍”でもなく、ただ妻と共に“息子たちの父親”として死ぬことを選んだのだなと思うと、とても尊い気がします。
 その尊さはミナト・ナルト、羅砂・我愛羅親子のそれとはまた異なりますが、一つの家族の形として十分に愛に満ち、幸福だったと思います。だからこそサスケの懊悩は深く、激しい喪失感に打ちのめされたのでしょうが、サスケが両親と死別したことに対して“不幸なことで、回避できるなら回避させるべきだ”と思い難いように思えます。その“屈託”も、私がうちは家を好きな理由です。あの一家は一番幸福なときに一番不幸な形で失われたと見るべきか、悲劇に直面したからこそ“幕引き”だけでも美しくしたいと足掻いたのか……どの道結論が出ないことだから、どちらの可能性も加味して楽しんでいきたいですよね。なお“ちょっと時勢が悪かっただけで、ほんとは普通に仲良しうちは家”も好きです。何ならもうフガクさんとミコトさんがいるだけで良いです。私のことも産んでくれ。
 相変わらず「感想送ったら二次元キャラの子どもになりたいと打ち明けられた」と画面の前で困惑されてそうな気しかしない。

 何というか、家族という最小のコミュニティが凄く好きなんです。
 そういうわけでヒルゼン・アスマの親子関係も凄く好きです。原作だとそう絡みのない二人ですが、35巻のヒルゼンの墓前での台詞とか凄く含みを感じて好きです。守護忍十二士になって里を出たって、その短い一言にどんな確執や感情があったのかなと思うとワクワクします。アスマに関することやヤマト隊長に纏わることはアニナルが詳しいと聞いてるので、DVDででも少しずつ追っていきたいものです。じかんがほしい。
 個人的にヒルゼンは“祖父に欲しい人ナンバーワン”の座を欲しいままにしているので、ヒルゼンについて書くのは凄く好きです。しかし頭が悪いので、各国の情勢とか全然分からず「痴ぐの方舟」を書くのに凄い時間が掛かった覚えがあります。あとマダラニキがオオノキさん・無さんとと揉めた時期とか初回五影会談、第一次忍界大戦のこととか、コハル・ホムラの人となりがよくわからなかったのもあって凄く難航しました。
 ただ扉間小隊面子で書く時は“生前の扉間さん”についても書けるので、それは凄く楽しいです。卑劣様という愛称がこよなく似合うお方ではありますが、原作中では威厳あるお姿を晒すばかりか兄の奔放の余波を喰らう苦労性ぶりが麗しく……端的に言うとイケメンで好きです。世の中顔です。兎に角、そうした立派な二代目火影の“素”について考えるのはとても至福です。隙あらば扉間さんの悪癖について書きたいのですが、暫く書けなさそうなので至極残念です。拍手お礼で扉間さんの醜態を書いて気を紛らわせようと思います。無限月読祖父会について考えるのも至福です。
 扉間さんのことばかり考えている風ですが、扉間小隊の仲について考えるのも好きです。何度読み返しても「うわ……扉間さん、その流れで後継者指名に持ってく手腕最高に空気読まない……これフィリピンだったら殺されても可笑しくないよ……」と思うのですが、若かりしコハル可愛いし、ホムラめっちゃ解説役向いてそうな顔してるし、ダンゾウめっちゃショック受けてて笑うし、トリフの代の猪鹿蝶はどうなってんだろうって疑問だし、カガミさん凄く好青年だし、扉間小隊凄く萌えます。個人的にトリフさんには上層部とは一線を置きつつも現役に慕われ、長生きしてほしい。猪鹿蝶の人々には中間管理職についてほしたみが凄くある。
 ちなみにフィリピン人は人前で叱られるのを滅茶苦茶に嫌います。もしダンゾウがフィリピン人だったら、エアブレーカーたる扉間様の「仲間の前で詰まらない悪癖を指摘する→そいつのライバルを後継者に指名する」のコンボが決まった瞬間キレにキレていたでしょう。

 師弟関係で言うと、ヒルゼンと大蛇丸のそれが好きです。
 原作終盤の歴代火影を穢土転生させた時の大蛇丸さん凄くヒルゼンに甘えてる感じがあって滅茶苦茶好きです。仮にも師匠にある人から火影に選ばれなかったのは凄く嫌だったんだろうなと思うとかわいい。
 大蛇丸については「痴ぐの方舟」でチラっと出して以来いつ出すか決めかねていたのですが、四苦八苦しつつもそれなりのタイミングで話に絡ませることが出来たかなと思っています。扉間小隊について思い馳せる機会が減った代わりに大蛇丸の一挙一動、ニュートラルな色気と妖気について描写する必要性が増しましたので、カブトニキの昔話などを読み返しつつ大蛇丸の人となり、保護者丸になるまでの感情の動きについて考えたいものです。しかし行き当たりばったりで書いている身としては、大蛇丸の円熟した知識と相反して危うい感情回路を書き表せるか不安でしかない。
 そんな不安と課題ばかりを残す「皮張の空洞」ですが、天気が好きだと言って頂けて嬉しいです。「いつ、どこで、だれが」が読み手に伝わるよう、なるたけ冒頭部分に情景描写を盛り込もうと思っているのですが、これが如何して情景描写を書くのが苦手なので、いつもウンウン言いながら書いています。しかし「冬だから五月の気候なんて分からない」と言ってたら、遅筆のあまり季節が変わっていたのは流石に笑いました。
 こんな調子で適当に書いているので、色々読み手に不便を強いることが多く、申し訳ないばかりです。現在の更新頻度で更新催促することのない、訪問者さんたちの忍耐強さと優しさにとても慰められます。
 とはいえタイトルに読みづらい漢字を仕込む癖は如何にかしたほうが良いかなと、頂いたコメントを読んで震えました。そもそもサイト名兼連載タイトルの「花骸のこどもたち」に使っている“花骸”さえ殆ど造語みたいなものなので、タイトルやサイト名を決めてる自分自身ニュアンスで読んでいるところが強いです。この悪癖が本文にまで及ばないことを祈るばかりです。こんな調子のサイトで本当に申し訳ない。

 私自身ナルトにガッツリハマったのはごく最近のことです。
 それも当初は「木ノ葉で原作沿いなら兎も角、他の切り口で書くのは難しいのではないか」「サスサクとかオビリンとかナルヒナとか公式カプが充実してるし、他人の書いた夢を読むのは楽しいけど自分で書く必要はないかな」と思っていたのですが、とあるナルト連載を読んで“原作の包容力”に気付かされたというか、「その人なりの解釈で原作世界観を描写してもナルトの良さは薄れない」「原作沿いでなくとも、そして木ノ葉隠れが舞台でなくともナルト世界観の空気に寄せることは十分可能なのだ」と察するに至りました。それが切っ掛けで自分でも書いてみようと思って、こうしてサイトを運営しているので、同じナルト好きの方から「こういうのも良いね」と思って貰えるのは本当に嬉しいです。
 何分読み込みが浅いもので、書きながら読み返し、読み返しては書きの繰り返しなのですが、こうまで繰り返し読んで面白く、萌える作品に出会えたのはとても幸せなことだと思います。花骸のこどもたちを書くまで、随分長い間夢小説を書くことから離れていたので、喜びも一入です。

 見切り発車の名をほしいままにしているので、お相手についても暫く“未定”で通していたのですが、ナルコレのマダラ祭に乗せられて気付いたらマダラ落ちにしていました。ちなみに入手出来ませんでした。
 イタチ・サスケ落ちにはしたくないという気持ちが強く、また「煉獄できみを待つ」を書くまで如何いう話運びにするか――普通に幼年期・青年期・原作時間軸でやっていくか、もしくは色々複雑にするか決めかねていたところ「自分の性癖的にマダラさんが一番好きだ」という本音が駄々漏れになりましたが、もう何もかも仕方ないので、なるたけ読み手を混乱させない話運びを目指して頑張ろうと思います。まあ、拍手お礼の無限月読SSとかカオスも良いところで、どの口が「読み手を混乱させない話運び」とか言うのかという気持ちもあります。私には是非がんばってほしい。
 とりあえず夢主の出生については、あと十五話以内で何とか読み手に伝わるように書ききってしまいたいところです。

 夢主については「人間味がない子ども」という縛りで書きはじめたところ、本当に可愛げのない子どもになってしまったのが印象強いです。
 初期は本当に書きながら「アスマとヒルゼンの忍耐強さは神レベルか?」とさえ思っていたのですが、幸いにして未だ読み手さんから「正直酷いと思います」と意見されたことがないので心底ホッとしています。
 やっと最近「ちょっとは可愛げがあるかな……?」という段階に至り、夢主を好意的に見て頂けるコメントに対して「大した忍耐力だ……」とキメ台詞を呟かずに済むようになりました。有難いことです。
 今遅筆に遅筆を重ねて書いている「花骸のこどもたち」はあと十五話で終わらせるつもりでいるのですが、その十五話のなかで夢主の感情の変化が描ければよいなと思っています。外の世界に出た夢主が少しずつ変わっていく様を書きたくて書いている話なので、「<夢主>が肌で感じる全ての事象ひとつひとつが愛おしい」と言って頂けたのはとても幸福です。
 NARUTOに描かれた火の意志、木ノ葉隠れの里がとても好きなので、夢主にも自らの意志で「ここで生きていきたい」と思って貰えるお話が書きたいものです。あと十五話頑張って、早くアカデミー編書きたい。

 なんだか書いた自分自身読み返すのが恐ろしい混沌をお返しして本当に申し訳ありません。可笑しい、拍手返信とはお礼を申し上げる場であって混沌を垂れ流す場ではないはずだ……まあいいか。
 自分の精神衛生のため、読み返すのはやめようと決意しましたので、日本語として成り立っていない箇所などありましたら頑張って解読してください。深い慈悲の心と共に読んで下さいますよう、お願いいたします。
 年度が新しくなったばかりで多忙だろう時期に「おっコメント返信や」と読んでみたら「ライフハックの一環としてメンタルケアにうちは一族を用いている」とか要らん知識を身に着ける羽目になる、その不運を思うと涙が出ます。お疲れ様です……くれぐれもお体をご自愛くださいね。

 それではコメント有難うございました。とても嬉しかったです。

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