インスタント宇宙 | ナノ



 その年、花見するぞ、と声をかけられたのは、大体いつもと同じメンツだった。花見といっても、窓から桜並木が見える後輩の部屋で飲むだけだ。その日は冬に巻き戻ったみたいな薄ら寒さで、スーパーでしこたま買いこんだ缶チューハイが、部屋についてもまだひんやり冷たく感じるほどだった。
 当日召集に応じた暇人たちは、散りかけの桜を見るのも片手間に、さきイカをつまんだりポテチを砕いたり柿ピーをばらまいたり、なぜか味噌汁を作り出したりした。具は賞味期限の切れた豆腐とふえるワカメで、お味噌がうすくて美味しかった。
 一番うるさかったのは麻子先輩だ。ブラックニッカをぐいぐい飲むなり、赤らみ顔でいきものがかりを歌いだす。マリオカートの操作もめちゃくちゃで、先輩のキノピオは画面の中でしょっちゅう悲鳴を上げた。そのうえ「おなかすいた」と呟くなり部屋を飛び出していくものだから、ペットボトルを片手に追いかける後輩の身にもなってほしい。
 先輩はアパートを出てすぐの道沿いの桜の下でうずくまっていて、「大丈夫ですか」「うん、彼氏欲しい」すっかり会話不能だった。寄り道する小学生みたいに手のひらを路面に浸して、ひんやりすると笑うので真似てみたら、火照った肌に気持ちよかった。
 道路の舗装は、たまに見かけるきらきらのアスファルトで、仄昏い夜気のなか、ちっぽけな銀河みたいに瞬いていた。
「こういうさあ、ぴかかぴかした道路ってきれいだよね」
「そうですね」
「これってガラスなんだよ。この道は危ないよって自動車に伝えるためなんだよ」
「へえ」

 誰かうちらにも危ないよって言ってくれたらよかったのに。

 先輩は死骸みたいな声でぼやいた。「うちら」の「ら」が誰を指すのか知らないけれど、なんとなく一か月前に別れたという先輩の彼氏の話を思い出して、もう一度「そうですね」と生返事をした。
「てゆうか聞いてよ。わたしめっちゃ気合い入れて行ったんだよ。美容院帰りで新しい服着てフルメイクして、別にたまたまだったんだけど、それであんなことになっちゃってさ、もう自分がかわいそうでかわいそうで!」
「そうですね」
「しかも告った側が振るのってどうなの?いやアリなんだけど、なにも久しぶりに可愛くしてきた日にそういうこと言わなくてよくない?もういんだけどさあ、あいつ、やっぱさ」
「そうですね」
 呂律の危ういくだを巻きながら、先輩はざわざわと桜がうなるのに合わせて体を揺らした。それって余計酔うんじゃないかと思わないでもなかったけれど、上背があるうえ、いつも人を殺せそうな高さのヒールを鳴らしている先輩が、まるで駄々っ子みたいに見えるのが面白くて、とめなかった。吐きたくなったら吐けばいい。
 肩を舐める風は柔らかだったけれど、花弁はあとからあとから降ってきて、視界がうっとうしいくらいだった。住居に寄り添うように伸びる桜並木に、果ては見えない。どこまでもつづく薄桃色の吹雪は、なま白い外灯を照りかえして、ちらちらと頼りなく発光していた。星雲にでも迷いこんだみたいだった。
 そのうちきっと、本物の夜と、桜と、アスファルトが溶け合って、ちいさな宇宙ができあがる。ささやかな星にまみれた、濃紺色の、うつくしい宇宙だ。それはきっと見る間に膨張して、ブラックホールみたいにいろんなものを呑みこんでくれるのだ。
 先輩の愚痴が小康状態に陥ったところで、携帯持ってくればよかったですね、と言ってみた。画素数が低いから、多分きれいには撮れなかっただろうけど。先輩は頷くだけ頷いて、そういえば桜見に行くって約束してたんだった、でもあいつ絶対なにも考えてなかったよ、前なんて店予約したって偉そうに言ったくせにね、とまた楽しそうに喋りだした。


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お題にできそうなところがあれば抜き出してどうぞ
良識の範囲内でよろしくお願いします

120511

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