偶然だ、全部。
たまたま買った雑誌に、
たまたま「逆チョコ」の文字を見て、
たまたま作り方が載っていたんだ、
たまたまスーパーに行ったらカラフルなポップに囲まれた板チョコレートが並んでいた。
そして、明日がバレンタインデーだと気付いた。
だた、それだけ。
偶然が重なるな、と琥一は思わぬ出費で軽くなった財布とスーパーの袋を下げ、日の落ちた道を急いだ。
板チョコレートに、小さなアルミカップ。トッピング用に買った、スライスアーモンドにアラザン。
最低限の材料だが、これが財布が許す最大限だった。
材料全てをカウンターに並べ、琥一は準備に取り掛かる。
要は溶かして固めるだけなんだな、琥一は雑誌を片手に使い慣れた黒いエプロンを手早く付けた。
バイトから帰ってくる前に全てを終わらせないと、また何と言って琉夏に冷やかされることか。そのことを考えただけで、自然と琥一の動きは早くなっていた。
板チョコレートを包丁で細かく刻んでいる間に一度鍋で沸騰させたお湯を冷ます。
チョコレートを50度のお湯で湯煎し、テンパリングで艶を付け、固める。
これが雑誌に載っていたチョコレートの基本だった。
だた溶かして固めればいいってもんじゃねぇんだな、琥一は関心しながら文字を目で追う。
湯煎したチョコレートでトリュフやら何やらにすることも出来るらしい。
鍋のお湯の温度を感覚で確認して、チョコレートを入れたボールを鍋に付け、木ベラでゆっくりと混ぜる。
溶けはじめた途端に、甘い香りが部屋に充満する、その匂いに何故か琥一は彼女を感じた。
まるで麻薬のように、中毒性が高く。一度知ってしまったら二度と離れては生きられない。
それ故に、古代チョコレートは催淫作用があるもの高級な食べ物として考えられいた。
そんな必要なのか分からない情報までも雑誌に書かれていた。
あとは、テンパリングとやらをして、アルミカップに入れて固めるだけだな。案外出来るもんだな、と琥一が次の作業に移ろうとした時。
「コウ君?お邪魔します」
古い扉が開く音したと同時に、軽やかな声が琥一の耳に入り慌てずにはいられなかった。
彼女を想い作っていたはずだが、それを渡す心構えなど一切出来ていなかった。
ただ漠然と彼女が笑った瞬間を思い浮かべていただけ。
これまでも近くに来たからと、彼女は寄ってくことがあったが、今日ほど驚いたことはなかった。
ガシャンとボールを押さえていた手が滑り危うく、湯煎のお湯がチョコレートのボールに、入ってしまうところだった。
何とか冷静さを保とうとするが、どうしていいか分からずに琥一が固まっていると、彼女は定位置となっているテーブル席に座った。
「わぁ、チョコレートの匂い!何作っているの?」
「あー、なんだその」
「あっ、待って!当ててみる!」
言葉に詰まった琥一をよそに彼女はうれしそうに考え始める。
んと、あごに手を当て顔を傾げた様子が子どもぽい。
「んと、チョコレートかけたホットケーキ!」
「違ぇな」
「えー、あ、分かった!ホットチョコレート!美味しいもんね、それならコウ君も飲めるし!」
正解でしょ?と満足感に笑う彼女に琥一は違うとも言えずに、まぁなと言ってしまった。
「あ、ああ。まあ、飲みたくなってな、お前の分も作ってやるから上行ってろ」
彼女をこの部屋から何とか離そうと言ってみるが、ここにいちゃだめ?と表情で訴え琥一の様子を伺う。
彼女は琥一の焦る姿を見て、俯きながら肩を小さく揺らした。
「……なんてね、コウ君の部屋にお邪魔してるね」
リズムよく螺旋階段を駆け上がる音が聞こえると、浅く息を吐いた琥一は溶かしたチョコレートを鍋に戻し、冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと加え火にかけた。
「熱いから気付けろ」
琥一は注意してからゆっくりとマグカップを渡す。
彼女は両手でマグカップを受け取ると、ふぅふぅと息をかけて熱を冷ましている。
琥一がそのふぅと突き出した唇が可愛くて見ていたなんて彼女は気付いていないだろう。
「美味しい」
飲み干すと身体全体が温まったのか、それまで着ていたコートを脱いで手の平で顔に風を送っている。
「コウ君、甘い匂いする」
「あぁ?」
彼女はずりずりと琥一に身を寄せ、目を閉じると鼻で息を吸った。
「手からかな?」
「ホットチョコレート作ってたんだから、当たり前」
「んー?そうかなぁ、こっちからもするよ?」
首筋に抱き着くように、息がかかる。琥一の背筋がぞくりと強張った。
「甘いね」
彼女のとろんとした瞳に、チョコレートの匂いが増した気がした。
琥一は彼女の顎に手を添わせて傾けると、噛み付くように彼女の唇の感触を楽しんだ。
「こっちの方が甘ぇ」
最上級のキスを、バレンタインデーに。
fin.
―――
バレンタインリク◎琥一さん本気だして逆チョコ
チョコレートの知識ありません。教えて下さい。