家に帰るといい匂いがした。

「お、帰ってきたか。おかえりなさいませご主人様」

 棒読みが過ぎるメイド調の言葉を発した総悟は、私の黒のエプロンをつけてキッチンに立っていた。帰ってきたら総悟がいなくなっているのではないかとか、そもそも昨夜のことは私の妄想だったのではないか、なんて思いは一気に消え、奇妙な恋人とも友人とも言えない関係の男の子の存在を再認識させられる。

「カレー?」
「かなり調味料あったんで、こだわって作ってみました」

 家に帰ってきて料理が用意されているなんて、実家暮らしをしていた学生の頃以来な気がする。鍋からは美味しそうな匂いと湯気が放たれており、幼い頃のワクワクを思い出した。

「おいしそー」
「アホ面晒してねェで、さっさと着替えてきてくだせェ」

 腹減ったんで、と続ける総悟に「アホ面?」と引っかかりはしたが待っていてくれたことに申し訳なさを感じて、クローゼットの前でスーツから部屋着に着替えた。
 着替え終えてダイニングテーブルを見ると二人分のカレーとビールが用意されていた。男の人が結婚するメリットとして、帰ってきたら家に電気が着いていてご飯が用意してあることをよくあげるけれど、この擽ったいような感情はそれと同じなのかもしれない。
 二人で「いただきます」と手を合わせてカレーに手を付ける。なかなかに、美味しかった。いや、普段市販のルーを使って作る私のそれとは段違いで美味しかった。ビールも進み、二人で三缶程開けた頃、総悟が口を開いた。

「昨日は、よく眠れましたかィ?」
「うん。総悟の手で目隠しされてからすぐ寝ちゃったと思う」
「……そりゃ良かった」

 少し含むような言い方をした総悟が気になって、昨夜何か寝言でも言っていたのではないかと不安になる。

「え、私何か変なことしてた?」
「いーや、全然」
「良かったー」
「土方君土方君って言ってる以外は、そりゃ静かな夜でした」
「はっ!? え?」

 総悟の口から発せられた思いもよらぬ言葉に、一瞬で顔が火を吹くように熱くなる。これが坂田であったならからかっている可能性が多分にあるが、昨日出会った総悟が「土方君」なんてワードを知っているはずもない。つまり、総悟の言っていることは本当のことなのだ。

「名前サンの泣きそうな顔、可愛かったですぜ」

 ニヤリといかにもな悪い笑みを浮かべた総悟に、直感的にこいつは間違いなくSであると悟った。

「ま、追求はしませんけど」
「お気遣いありがと」
「大方、昨夜の酔いっぷりを見るに、その土方君とやらに振られてヤケ酒でもしたんでしょう」
「前言撤回! 追求してんじゃん」
「追求はしてませんぜ。わっかりやすい証拠から推測してるだけで」

 ま、図星みてェですけど、と続ける総悟。間違いない。こいつはドのつくSだ。図星故に言い返すこともできない私は、悔しさからグラスに残るビールを一気に煽る。

「あーあ、昨日の二の舞」
「五月蝿い。あーもう眠くなってきた」
「へーへー」

 総悟に促されるままにお風呂に入り、出てから総悟と入れ替わる。風呂上がりに友人の結婚式の引き出物で貰ったワインをあけ、一人でテレビを見ながら飲んでいると、昨晩同様腰にタオルを巻いただけの総悟が出てきた。

「ん」
「拭けってか」
「あれ、名前サンまた飲んでんですかィ」

 昨晩と同じように私の前に腰を下ろした総悟は、びしょびしょとは言わなくても十分に髪に水気を含んでいた。それを昨晩と同じようにわしゃわしゃと拭う。

「結婚式の引き出物で貰ったやつだけどね」
「わー、ラベルから幸せの押し付け感が半端ねェや」
「ね」

 ワイングラスを出すことも面倒で小さめのグラスに注いだそれを、ラベルを見ながら顔を顰めた総悟が一口飲んだ。

「つーか、これ俺が風呂入ってる間にあけたんですかィ?」
「ん。そーだけど」
「もう半分無くなってらァ。ちょっと飲みすぎ」

 髪を拭き終えると、総悟はまるで自分の家のように私のクローゼットの中からTシャツとハーフパンツを出して履いた。その光景をぼんやりとする視界で当然のごとく眺める私も私だ。坂田の言うように、私はおかしくなってしまったのかもしれない。

「わ、顔真っ赤」

 私の隣に腰を下ろした総悟は、その大きな目で私の顔を覗き込んでそういった。可愛いなあ。なんだか本当にアイドルみたい。重力に引っ張られるように、私は総悟の肩に凭れ掛る。ああ、私のシャンプーとボディソープの匂いがする。

「土方君にも、こんな風にしたらよかったのかなぁ」
「……しなかったんですかィ」
「こんなことどころか、自分からメールも電話もできなかった」
「なんで」
「甘え方が、よくわかんなくなってた」

 経験がないわけでも、初めての彼氏と言うわけでもなかった。久しぶりにできた好きな人が、同じように私を思ってくれていて、最初の頃はそれだけで幸せだったのに。気づけば自信のない自分を隠して、いいところばかりを見せようとする、思ったことも言えない、中身のないつまらない女になっていたのだろうと自分でも思う。

「甘えることもできないのに、尽くすこともしなかったから」
「へぇ」
「なんか、こんなの私らしくないからって何もできなかった」
「そんなんでも、好きだったんでしょ」
「うん。でも、別れようって言われて、悲しかったけど肩の荷が下りたような気分になった」
「あらら」
「あらら、だよ。ほんと」

 急ピッチで飲み進めたワインの所為か、昨夜同様意識が徐々にまどろんでいって、つい言う必要のないことをダラダラと話してしまった。それでも総悟は茶化すことなく、アドバイスをするわけでもなく、ただただ話を聞いて私の肩を抱き寄せる。

「もう寝ますか」
「うん。でも、洗い物……」
「眠いんだろィ、無理すんな」

 頭をぽんぽんと撫でられて、優しい声と顔で総悟は私をベッドに運んだ。本当の私はこんなものではなくて、飲み会でだって常に人を介抱する役だし、家のことだって面倒だからと次の日に後回しにすることは滅多に無い性質だ。それなのに、昨日からこのいくつ年下かもわからない少年に、調子を狂わされっぱなしだ。でも、そもそも本当の私というのはなんだろうか。総悟の首に両腕を回せば、総悟は私に触れるだけのペットにするようなキスをした。
 ベッドに私を置いた総悟は、どこかへいくこともなく昨晩と同じように私の隣に寝て、そのまま私の身体を抱きしめた。人肌というのは心地の良いもので、寄せた心臓の音を聞きながら気が付けばまた今夜も深い眠りに入っていた。

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