総ちゃんは昨日から部活の合宿で家にはおらず、先生も昨日から出張で、私は昨晩から家に一人ぼっちだった。今日は大学の授業もないし、あらかた家事を片付け夕飯の下ごしらえを終え、ふと空を見ると怪しい雲行き。そういえば先生はそろそろ帰ってくるようなことを言っていたっけ。
 携帯を確認すると、「あと三十分ほどで帰ります」の文字。律儀だなぁと思いつつも、「わかりました」とだけ返信をして、玄関で新しく買った長靴を履き、自分の傘と、先生の紺色の折り畳み傘を持って家を出た。
 先生は凄く物持ちがよくて、この紺色の傘も高校生の頃雨の日に傘を忘れた私や特に銀時が貸してもらったことを思い出す。折り畳み傘にしては広げると大きくて、先生のお気に入りの傘。
 
「あ、名前姉ちゃーん!」
「あ、晴太君! それに日輪さん! 何してるんですか?」
「ああ、晴太の参観日でね。今帰るとこなんだ」
「名前姉ちゃんは誰かの迎え?」
「う、うん」
「あ、さては旦那だ」
「ひっ日輪さん!」

 茶化すように言う日輪さんに、にやにや笑う晴太君。そんな二人に図星ではあるもののなんとも言えずにいると、日輪さんが口を開く。

「いい奥さんしてんだねぇ」
「そ、そんなこと」
「じゃ、雨が降り出す前に私たちもそろそろ帰るか。晴太」
「うん、母ちゃん」

 日輪さんは「仲良くね」とだけ言って後ろ手をふった。格好いいなあと、アルバイト初日と同じ感想を抱く。高校生の頃、初めて喫茶吉原でアルバイトをした時、オーナーである日輪さんのことを凄く格好いい女の人だと感じた。そしてそれは、いまだに変わることはない。
 日輪さんの車椅子を押す晴太君の後ろ姿を暫く眺めてから、ハッとして時計を見る。あまりぼんやりしていると、先生と行き違いになってしまう。

「お、名前じゃないか」
「おお、久しぶりだな。息災であったか」
「幾松さんに、桂さん?」
「桂さん? じゃない、桂だ」

 駅までかなり近づいたあたりで、懐かしい顔を見つける。久しぶりに聞くお決まりのフレーズを口にする桂さんは、手には幾つもスーパーの買い物袋を持っていた。

「あれ、お二人は知り合いだったんですか……?」
「北斗心軒は俺の行きつけでな。今日は新メニュー蕎麦の開発のためこうして買い出しを手伝っている」
「いい加減あんたもしつこいな。蕎麦なんてウチじゃださないって言ってるだろ。暇そうだったんで、買い出し手伝ってもらっただけよ」
「そうだったんですね」

 謎の野望を掲げる桂さんに、それをきっぱりとした口調で断る幾松さん。変わっていないなと思わせるのはそれだけではなく、桂さんの背後からぬっと現れたエリザベスの存在のせいもあった。

「ところで、傘を二つ持っているが誰かの迎えか?」
「あ、そうだった! ごめんなさいちょっと急ぎます!」
「あんまり旦那待たせんじゃないよー」

 またも知り合いとの出会いで時間を忘れ、慌てて走りだす私に向けた幾松さんの声が後ろから聞こえた。

「あれ、何してるんです?」
「む、迎えにきました」

 走って駅に着き、ちょうど改札を出たばかりの先生に出くわす。少し驚いたような顔をしているので、秘密で来たかいがあったと肩で息をした。アスファルトの色が点々と濃くなっていく。雨が降り出してきたようだ。

「そんな、急がなくとも言ってくだされば……」
「先生のこと、びっくりさせたくて」
「全く貴方は」

 そっと頭を撫でられて、その心地良さにたった一日会わなかっただけだというのに懐かしさまで感じてしまう始末だ。本当に、私は先生がいないとダメらしい。

「雨、降り出してきましたね」
「間に合ってよかったです」
「さ、酷くなる前に帰りましょう」
「はい」

 先生は左手に傘を。私は右手に傘を。そして私の左手を、先生の右手が包み込んだ。

「さっき、日輪さんと晴太君に会いました」
「へえ、それはそれは」
「晴太君の参観日だったみたいで、日輪さんは今日も格好良かったです」
「そうですか」
「そのあと桂さんと幾松さんに会いました」
「ほう、あの二人ですか」
「なんか桂さんは幾松さんのお店に蕎麦を出したいらしくて、それを画策しているところでした」
「ふふ、小太郎らしいですね」
「でも、幾松さんは全然そんな気なくて、ただ暇そうだった桂さんを買い出しに付き合わせただけみたいです」
「あはは、らしいですね。今度久しぶりに食べに行きましょうか」

 さっきあった出来事を一つ一つ先生に話す。こうして先生に話を聞いてもらっているときはいつも、大きなものに包まれているような安心した心地よい気持ちになる。

「そういえば、総悟君はまだ合宿ですか」
「はい。頑張っているみたいでなんか嬉しいです」
「それでは申し訳ないことをしてしまいましたね」
「え、なにがですか?」
「名前さんにですよ。昨晩は一人だったのでしょう」

 まるで小さな子供を慈しむように、先生の手が私の頬を撫でる。

「だっ大丈夫ですよこれくらい!」
「そうですか?」
「だ、だって私もう二十歳過ぎてるんですよ。成人です。成人」
「でも、私は寂しかったですよ」

 真っ直ぐな先生の瞳が、射抜くようにして私の瞳を見ていた。目を逸らそうにもそらせずに、ただただ顔だけが熱くなる。

「ず、ずるいですよそんなの……」
「さて、なんのことでしょう」
「……私だって早く会いたくてこうして来たんです」
「ふふ、頬っぺた真っ赤ですよ」
「せっせんせい!」

 茶化すように笑う先生を抗議しながら追いかける。

「総悟君が合宿なのはとても寂しいことです」
「え、あ、はい」
「でも、一つだけ感謝しなければなりませんね」
「え、なにをですか?」

 追いついた私にくるりと向き直り、先生は少し屈んで私の顔に自分のそれを近づけた。

「今日は、名前さんと二人きりということですよね」

 ボン、と音が鳴るんじゃないかと思うほどに一瞬で顔に熱が集まる私に、先生は余裕そうな笑みを浮かべて「さあ、帰りましょう」と言った。こうなってからはじめて思いはじめたことだけど、もしかしたら先生は結構なSなのかもしれない。
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