「それ名前の傘じゃねェか」
「ああ。借りた」
「へぇー」

 どこにでもありそうな普通の紺の折り畳み傘を、沖田は一目見て自分の姉のものだと気づいた。そして、何か含むような表情をしてから、何時ものごとく山崎にちょっかいを出しはじめた。

「お、高杉じゃねぇの」
「……お前か」

 放課後。傘を返そうと英語科準備室に向かう途中で、煙草を蒸す銀時に出くわした。校内でこんなことしている教師は、こいつくらいなものだ。

「なーにがお前だコノヤロー。俺がいなくちゃおめーは進級できなかったんだぞ」
「なんか用か」
「無視? なに、俺のセリフ丸々無視わなわけ?」

 嫌がらせと言わんばかりに煙草の煙を俺に吹きかけた銀時。この男は一二年と出席日数が著しく足りない俺に、やたらとお節介をやいてきた。そして各教科の教師に頼んで回ったのなんのと言っては、学期末に俺の家に押しかけては夕飯をたかるような、そんな教師らしさの全くないやつだ。

「にしても珍しいな。この先っつったら数学と英語科準備室しかねぇぞ」
「英語科準備室に用があんだよ」

 驚いた顔をした銀時に、持っていた傘を見せる。これを返すためだ、と俺が言う前に、銀時は目を細め口を開いた。

「名前に借りたのか」
「……ああ」

 どうして沖田にしろ銀時にしろ、このありふれた紺の傘を見て持ち主がすぐにわかるのだろうか。名前でも書いてあるのかと柄の部分を見ては見るが、やはり何も書いてはいない。

「ま、また雨が降らねーうちに帰るんだぞ」

 ぺったぺったと音を立て、便所スリッパを廊下に擦りながら歩いていく銀時。その後ろ姿をしばらく見届けたのち、俺も英語科準備室へと向かう。

「ん」
「お、わざわざありがとう。まあまあ座んなさいな」

 早速電気ポットでお湯を沸かし始めた名前は、「総ちゃんに渡してくれてもいいのに」と言った。それを考えなかったわけではないが、沖田に何かを頼むのは癪な上、またコーヒーでも飲みに行くかという気持ちもあった。

「でも来てくれて嬉しいよ」

 大したことではないが、この女のこういうところは居心地が良かった。当たり前だが俺への媚びは感じられないし、それ故のワザとらしさがないからだろうか。そして、どこか俺に関心を寄せているようで全くそうではない、違うところを見ているようなところが俺には楽だった。

「あ、ボタンホールほつれてる」

 今日も今日とて、名前が一方的に話していて、俺はそれをこの間と同じカップに入ったコーヒーを飲みながら適当に聞いていた。それから二十分ほどたったころだろうか、名前はふと顔を寄せ俺の首元を見つめてそう言った。見ると第一ボタンを留めるホールの糸がほつれダラリとのびていた。

「ちょっと待って」

 糸を引きちぎろうとして、静止される。名前は机の引き出しの中から何かを探していて、一つのペンケースのようなものを取り出した。そしてそこから針と黒の糸を出し、無言で俺の襟首に手を当てる。
 あまりに自然な流れで息遣いすらわかる程に距離を縮められ、俺は咄嗟に息を飲む。そんなことは気づかずに、名前は黙々と指先を動かしていた。指先から、真剣な顔、そして窓の外と俺の視線は移る。不意に、扉付近から足音のような扉が空く時のような音が聞こえたが、名前はそれにも気づかないほどに集中していた。

「はい、どうよ」
「どうよってなァ」
「つっぱってない、縫い目も完璧。我ながらいい仕事」
「自分で言うか、普通」

 気づけばコーヒーも無くなっていて、立ち上がり礼を言う。名前は少し照れたように笑って「じゃあまた明日」と手を振った。
 帰り道、ガラスに映る俺の第一ボタンのホールは、最初からそうであったかのように自然な仕上がりであった。
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