学校の屋上ってのはドラマや小説なんかのフィクションの世界だけの話だ。銀時は昔は屋上に行くことができたと言っていたが、今はそこに繋がる扉は施錠されており、その上南京錠まで付けられている。扉付近も文化祭で使った着色されたダンボールやベニヤ板なんかの残骸が放置されていて、扉に近づくことも難しい。
 つまり俺が何故体育館裏でサボるのかといえば、他に適する場所がないからだ。珍しい場所でもなんでもないが、俺がいるというだけで他の生徒は寄り付かなくなった。それは俺にとっては好都合で、入学以来ここで一人の時間を満喫していたわけだが、どういうわけかこの春から体育館裏に行けば頻繁に同じ顔を見るようになった。
 俺は煙草を吸いに来るのだが、そいつはその隣で、弁当を食べたり授業で使う資料を読んでいたりと自由に時間を過ごしている。そして決まって取り止めのない話を俺に振った。たまに返事をしたりはするが、大抵は一方的に話しかけている。最初こそ校長か教頭に俺の更生を頼まれたのかとも勘繰ったが、世間話をしながらヘラヘラ笑うアホ面に、そんな考えすら馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「ここ最近、晋助様と学校で会えて嬉しいッス!」
「それでは皆さん揃ったところで大江戸青少年健全育成条例について私達鬼兵隊の立ち位置を決めましょう」

 途端に始まる来島と武市の口喧嘩を止めるわけでもなく、万斉は俺の隣に寄った。昼休み、ひと気のない勝手に使っている空き部室には外の雨音が聞こえた。ここ最近は雨が続いている。そのせいか、体育館裏にもあまり行かなくなった。

「最近巷で銀高の生徒が高杉を知らないか、と声をかけられる事案が発生していると聞いたが」
「万斉殿、なんでもかんでも事案として幼い子に悪気なく声を掛けただけで近所に緊急連絡網がまわるような、そんな世知辛い世の中は如何なものかと私は思うわけです」
「先輩、その話関係ないしロリコンもいい加減にしてくださいッス」
「だからおめフェミニストだって言ってんじゃん猪女」
「だーれが猪女ッスかァァ!」

 万斉が言わんとしていることはわかった。つまりは俺を探している奴がいるということだ。そして、そいつは多分俺をやろうとしている。心当たりなんてありすぎて検討もつかないが、悪くはない。

「面白ェじゃねーか」
「言うと思ったでござるよ」

 今のところ被害を受けた生徒はいないらしく、万斉と武市の案によりこちらから探し出すような真似はしないことにした。やり方からして知的でないことは確かな上、こちらから出て行くのは余裕がないことを表しているようにも見える。最後まで来島はやらなきゃやられるだけだからこちらから仕掛けた方がいいと言い張っていたが、最終的に武市のすぐに尻尾を出すだろうという言葉に言いくるめられていた。

「そういえば、あの英語の新しい教師いるじゃないッスか」
「ああ、沖田総悟の姉とかいう」
「ゲッ! そうなんスか!? なんかやたら課題とか見てくれるんスよね。放課後に英語科準備室行くとコーヒーとかくれるし」
「それは貴方の頭の出来が著しく悪いからでは」
「黙れ変態。なんか、変だけどいいセンコーって思うッス」
「変態じゃないって言っているでしょう馬鹿女。あなたを見ていると一昔前のヤンキードラマを思い出します。そういったものに憧れているんでしょうけど」
「ビーバップは不良のバイブルっすよロリコン変態」
「しかし沖田先生とは本当に惜しい、あと十五年前に出会っていたかった変態じゃあありません死ね」
「お前が死ね」

 来島の話によると、放課後の英語科準備室はいつも誰かしらが名前を訪ねてくるらしい。意外にも先生らしいことをしていることに、俺は少し面食らう。

「そういえば晋助、風邪は治ったのか?」
「……なんで知ってんだ」
「えっ! 晋助様風邪ひいてたんスか!? 行ってくれたらこの来島、いつでも看病しに飛んでいったのに!」
「んな大層なモンじゃねぇよ」
「ふむ、それは良かったでござる」

 何か含んだような言い方をする万斉が気になりつつも、その話を深くする気にはなれなかった。
 適当に解散をして空き部室をでると、昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえた。三人が教室に戻って行く中、俺は一人そのまま帰ってしまおうかと思い下駄箱の方へふらふらと歩いていた。

「うわっ!」

 特に何かを考えるわけでもなく、微かに聞こえる雨音に集中していたせいか、聞き慣れた声と軽い衝撃が身体を襲う。そこで初めて人とぶつかったことに気づいた。
 ハラハラと舞い落ちる紙の後方に尻餅をついていたのは名前で、俺はどうやら紙の束を持って歩いていた名前とぶつかったらしい。

「あ、高杉君だったのか。ごめんね前見てなくて、怪我とかない?」
「そりゃこっちの台詞だ」

 立ったままの俺と、尻餅をつく名前。傍から見たら怪我の心配があるのはどう考えても名前の方だ。柄にもなくぼーっとしていた自分にも非があるため、罪悪感から手を差し出せば、名前は「ありがとう」と言ってその手を掴んで立ち上がった。

「随分な量じゃねぇか」
「小テスト用のプリントなんだけど、別紙の解説が長くなっちゃって」

 散らばったプリントを拾うのを手伝ううちに、五限始業のチャイムが鳴った。

「ごめんね高杉君。気にしないで教室行っていいよ」
「いや、いい」

 拾った全体の六割を整えて、それを受け取ろうとする名前に渡さずに無言で英語科準備室に向かう。驚いたような声を上げた名前ではあったが、パタパタと俺に付いてきてまた「ありがとう」と言った。

「いやあ、助かったよ。本当にありがとう。疲れたでしょ? そこ座って、今コーヒー淹れるから」

 英語科準備室に着くと、名前はそそくさと電気ポットでお湯を沸かし始めた。特に用事もなく家に帰るつもりだった俺は、断る理由も無く勧められた椅子に座った。

「面倒臭がって受け持ってる全クラス分を一度にやったのがいけなかったよねぇ。次からは気をつけます」

 聞いてもいないのにあの大量のプリントの訳を話す間、ふわりとコーヒーの匂いが漂ってきた。窓の外を見ると、依然として雨は降り続いている。
 はい、と緑のマグカップが手渡され、名前は「良かったら使って」と砂糖とミルクの入った小さな籠を俺に寄せた。

「……」
「どう? 結構美味しいでしょ?」
「なんも言ってねぇだろうが」

 でも、確かに美味しかった。家のそれとは違う、酸味と苦味が深い味わいを作っていた。

「インスタント、じゃねぇよな」
「簡易ドリップのやつなんだけど、結構イケるよね。このメーカーの気に入っちゃって家にもあるんだ」

 ネタばらしとでも言うように、名前は小分けされた簡易ドリップ式のコーヒーのパッケージを見せた。それからも他愛ない会話を一方的にする名前の首元にキラリと蛍光灯に反射したチェーンが見えた。思えばそのチェーンは今まで何度か見たことがあったが、その先にあるはずのチャームはいつも服の下に隠れて見たことがない。大体ネックレスをしているのに、胸元の狭いシャツばかり着ているのはどういうことだろう。
 と、考えてはみたが最後の一口と口元に運んだコーヒーが冷たくなっていて、見えないネックレスのことはそろそろ帰るかという思いによって頭の片隅へと追いやられた。

「じゃ、そろそろ帰るわ」
「最近雨だし、良かったらいつでも来てね」
「気が向いたらな」

 英語科準備室を後にして戸を閉めようとしたそのとき、背後から慌てたような声が飛んできた。

「そうだ、高杉君傘持ってるの?」
「いや、」

 天気予報を見る習慣のない俺は、朝雨が降っていなかったら基本的に傘は持たない。持っていなくても適当な女が目敏く見つけて傘に入れてきたり、それがなくとも学校近くのコンビニでビニール傘を買えばなんとかなった。だから今まで雨を見ても、傘の有無にまで考えが至ることはなかった。
 
「もーまた風邪ひいちゃうじゃない。これ、使って」

 渡されたのは綺麗にたたまれた紺の折り畳み傘だった。

「いらねぇよ」
「いいから使いなさい。いつでも、コーヒー飲むついでに返しに来てくれたらいいから」

 帰り道。折りたたみにしては大振りな紺の傘を差しながら、咥内に残るコーヒーの匂いに、雨の日も悪くはないと思った。
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