「吉田松陽といいます、これから一年よろしくお願いしますね」

 特に期待もしていなかったが、雰囲気からして結構緩そうでラッキーなんて思った俺の考えはすぐさま崩れ落ちた。いやまあ、良い意味っちゃあ良い意味だけど。
 色素の薄い長髪を揺らした英語教師兼俺たちのクラスの担任の吉田松陽という男は、後にも先にもこれだけ厳しく優しく教師の見本となるような、所謂俺の憧れであり教師として、いや人間として凄いと思わせる人はこの人だけだったと思う。どんな人でも、俺の中ではこの人には劣って見えてしまうそれくらい、凄い人だった。
 反抗しようにも、反抗する気さえなくしてしまうその柔らかな物腰に、学年に必ず一人はいる荒くれ者だって松陽先生の前だと自然と笑顔になるのだからそれはまるでマジックさながら。

「なあ名前ー今日駅前に新しくできたケーキ屋があってよ、これから…」
「ごめん!今日もバイトなんだ、」

 折角誘ってくれたのにいつもごめんね、と俺になんでそんなに毎日バイトばっかなんだよ、なんて疑問も言わせずに、申し訳なさそうな顔をしてそれからまた明日ね、なんて笑うんだ。
隣の土方も眉間にしわを寄せる、そんな入学してから二か月がたっての放課後。

「最近あいつバイトばっかじゃねえか」
「最近っていうよりも、四月からずっとだなー」
「…大丈夫、じゃねえよなあ」
「私もそう思うんですよ、沖田さん結構頑固なところありますし…」
「そうなんだよなあ、あいつあれで結構頑固者…って先生!?」

 土方と顔を合わせないまま会話をしていると、いつの間にか間に先生がひょっこりと顔をのぞかせて会話に参加していた。なんなんだこの人は、まるで気配を感じなかったぞ。

「でも、家の事情ってこともあるんで…あんまり込み入ったこと言えないんすよ」
「うーん…二人ともちょっといいかな」

 そう言って松陽先生はまだ生徒がまばらに残る教室の片隅から、最終下校時刻には帰るんですよ、とだけ言い残して俺たち二人を英語科準備室に連れて行った。俺たち二人は途中で一度だけ顔を見合わせてみたものの、そのまま先生にされるがまま、気がつけば英語科準備室のパイプ椅子に座っていた。

「あーあ、コーヒーなくなってますね…仕方ない、お茶でもいいですか?」

 湯沸かし器の前でインスタントコーヒーの空き瓶を片手にすみませんねえ、と松陽先生は笑った。それから出されるお茶を一口すすってから、松陽先生は本題に入りましょうかね、と俺たちの前に腰を下ろした。

「二人は沖田さんと中学来のお付き合いだと聞いて、いくつか聞きたいことがあります」

 まず、は…と言葉を言いかけて、それから松陽先生はああいけないいけない、とさして慌てた風もなくこれは興味本位で聞くわけじゃありませんからね、と俺たちに釘をさす。その一言で、俺たちも先生が本気で名前のことを考えてくれていることが容易に想像できた。

「最近のバイト量の多さに、いろいろと心配事があります。
入学時の成績は彼女がトップでした。ですから中間テストでももちろん、彼女が上位に食い込むものとどの教員も思っていました。ですが…」

 中間テストの結果が、彼女にしては少しおかしいと思うくらいの順位なんです。
 でも、高校に入れば当たり前ですが授業は難しくなります、それで中学ではできた子が高校ではできなくなる…というのはよくあることです。ですが、彼女の場合私はそのケースではないものと思っています。
 授業中に沖田さんが眠ってらっしゃるのは他の先生方からよく聞きます。そして過激なほどのバイト量。どうやら休む間もなく働いているそうじゃないですか。

「つまり、名前がバイトの所為で勉強が疎かになっていると」
「ええ、でも私が言いたいのはその先にあるんです」

 勿論勉学も大切です。学生の本分は勉強というくらいですし。でも、それ以上に、彼女の精神状態と体力的な問題が今、ギリギリの状態で均衡を保っているものと私は思います。
 友達と遊ぶ間さえも惜しんで、バイトに明け暮れる理由。それは一体何にあるのでしょうか。

「私は高校からの彼女しか知りません。ですが、担任として、そして一人の人間として彼女の力になりたいと思ってます。
彼女をそこまでさせる理由を知りたんです」

 どんな些細なことでもかまいませんから、私に教えてくれませんか。そう言った松陽先生の目にはうっすら涙が溜まっているようにも見えた。
 それから、ぽつりぽつりと、俺たちの出会いから今日までを、土方と交互に先生に話していった。

:)091226
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