彼がひとつ息を吐いた。私はそれを見ても、何も感じないフリをした。そしてそんなフリを続けていれば、いつしかそれが本心になるんじゃないかなんて愚かで狡い期待をのせた。

「いつまでそうしてるんでィ」
「飽きるまで」
「そーかい」

 西の空が真っ赤に染まり、反対側はわずかに青みがかった紫色に変わっていた。昼間がいくら暖かいとはいえ、まだこの時間は肌寒さを感じる。セーラー服の袖をギュッと握ってじっと校庭を見つめた。フェンスによっかかる私とは別で、総悟はフェンスに背を預け私の隣に腰を下ろしている。

「総悟こそいつまでここにいるの」
「俺の気が済むまで」
「ふーん」

 私と総悟のこの会話に意味はなかった。私は早く総悟に帰って欲しかったし、私が帰らなければ総悟も帰らないことを知っていた。そして私がそれを知っていることを、総悟もちゃんとわかっていた。

「昔、裏の林で迷子になったじゃん」
「あったなァ、そんなこと」

 私と総悟とトシ兄の家はご近所さんで、総悟のお姉ちゃんのミツバちゃんも含めてよく四人で遊んでいた。
 特に私と総悟は同い年だから特に仲が良くて、とは言ってもいつも私が総悟に振り回されるだけだったけれど、あの日も総悟の提案で林の中に秘密基地を作りに行った。幼い私はその秘密基地という魅惑的な響きに抗うことができるはずもなく、嬉々として総悟についていった。そして、案の定道に迷った。

「いつまでたっても景色が変わらなくて、総悟に聞いたらしれっと迷った、とか言うからさ」
「あん時は俺も必死だったんでィ」

 来た道を戻ろうとしても、その来た道すらもわからなくて、それでも進んでいく総悟の手を掴んだ私は泣きじゃくりながら声にならない声を上げた。あの時は総悟だって怖かったはずなのに、それでも口を一文字に噛み締めて「いいから付いて来い」なんていつものように振る舞うものだから、私はその総悟の根拠のない言葉に幾分か救われたのだ。
 それからただただ総悟に手をひかれて歩いていくと、遠くから私と総悟の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「あの時迎えに来てくれた時から、私はずっとトシ兄が好きだったんだなって今わかった」
「今かよ」
「もう振られたのにね」

 帰ってから私も総悟もこっぴどく叱られたけれど、それを優しく慰めてくれたのはミツバちゃんだった。

「怖かったでしょう、ってミツバちゃんがココアをくれて、私と総悟はそれ飲んでまた泣いたよね」
「早く飲まないとタバスコ入れられるからな」

 あの時のあったかいココアは、まるでミツバちゃんそのもののようだった。ミツバちゃんはいつも優しくて暖かい。ミツバちゃんは私の理想のお姉ちゃんだった。だから私はいつだってミツバちゃんに憧れていた。ミツバちゃんの洋服ならおさがりだって嬉しかったし、実弟の総悟に負けないくらいべったりだった。

「ミツバちゃんが大好きなの」
「んなこた知ってら」

 しゃがみこむ。すぐ隣に総悟がいるのに、顔は見れなかった。

「……泣いてんのか」
「泣いてないよ」
「嘘つけ」

 ボロボロと零れる涙を拭うわけでもなく総悟はただ隣にいた。それから学ランを私の肩にかけてくれて、それが総悟の匂いと体温に包まれたようで自然と心が落ち着いていくのがわかった。

「寒ィな」
「私はあったかい」
「そこ普通私の所為でごめん、とかだろ」
「だってこれ、今はかえしたくない」
「だったらよ……」

 グイと引き寄せられ、肩にかけられた学ランの中に総悟が潜り込むようにして入った。

「きついよ」
「うるせェ。元々俺のモンだ」

 密着した肩や腕から総悟の体温が直接伝わってくる。
 昔から道に迷えば探しに来てくれるのはトシ兄だったけれど、一緒に道に迷ってくれるのは総悟だった。裏の林で迷った時も、今も、私は何も成長していない。

「なんで言ったんだよ」

 依然私たちは目を合わせずに横に並んで同じ景色を見ていた。空はとっくに薄暗い。

「踏ん切りを付けたかった」
「踏ん切りねえ」
「トシ兄が私のこと妹みたいに思っていることも、ミツバちゃんのこともわかってたつもりで、気持ちを言えばむしろすっきりできると思ってたから」
「んで、すっきりできたのかよ」
「それでも、心のどこかで期待してたんだね。こんなに苦しいんだもん」

 乾いたばかりの頬をまた涙が濡らす。

「ま、お前には片思いの相手を振り向かせるなんてことは無理ってこった」
「人が真剣に落ち込んでるのに……」
「俺はお前とは違うけどな」

 急にこちらを向いて、気づけば総悟の顔が近づいていて、唇に一瞬だけ柔らかいなにかが触れた。

「俺もずっと苦しいままだ」

 ファーストキスを奪われたとか、不意打ちなんて卑怯だとか、そんなことは一切頭になかった。総悟とキスをすることも嫌ではなかったけれど、何よりも私の心に残ったのはキスの感触ではなくて、そのあとに言った総悟の言葉と、それに似つかわしくないほどに優しげな笑みだった。
 傷を舐め合うように今度は私から唇を重ねる。私の唇は震えていて、十八歳になった今でも、私たちは一緒に迷っていた。

「誰も探しにきてくれないね」
「それも悪くねェだろ」

:)150724
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