「いらっしゃいませー」

 店の自動ドアが開いた音を聞くと口が反射的にこの言葉を言うようになっていた。ここは歌舞伎町のとあるコンビニエンスストア。ここには多種多様な人々が来店する。コンビニなんだから当然だと思うかもしれないが、歌舞伎町と言う雑多な街がそれを後押ししている。
 そう、例えば……

「姉ちゃん。マヨボロ、カートンで頼むわ」

 警察の人。
 この人はいつも同じ銘柄の煙草とマヨネーズを大量に買っていく。煙草の銘柄を変えない人は浮気もしないというから、きっとこの人は一途な人なのだろう。ただ、マヨネーズをたくさん買うならスーパーの方が絶対に安いのに、とも思う。

「これ、お願いします」

 キャバ嬢。
 いつもバーゲンダッシュを買っていくこの人は、とても綺麗でお淑やかで優しそうで、最初はキャバ嬢だなんてわからなかったから、お連れのお客様とのお話でそれを知ってしまった時は本当に驚いた。盗み聞き、ではなくて自然に聞こえてしまったのだけど。

「ねえ、次のアルバイト情報誌っていつ置くの?」

 マダオ……じゃなかった。無職の人。
 このグラサンを掛けたまるでダメなおっさん、略してマダオは長谷川さんと言って、昔はこのコンビニでバイトをしていたこともあるそうだがそれもクビになり、日々職を転々としてはここにアルバイト情報誌を貰いに来る。店長に内緒で度々廃棄のお弁当なんかを渡している内に仲良くなってしまった。

「酢昆布おくれヨ」

 自称、歌舞伎町の女王。
 彼女はそれはそれは大きな犬を連れてやってきては酢昆布を買っていく。見た目はとても可愛い少女だけど、言う言葉は見た目に反して辛辣で、長谷川さんのことをマダオだと教えてくれたのも彼女だ。
 そして……。

「申し訳ないが、んまい棒チョコバーはもうないのか?」

 来た。この人。
 攘夷浪士で現在指名手配中の彼。桂小太郎。私の想い人である。
 彼の髪は男の人とは思えないほどに長くつやつやと綺麗で、物腰は柔らかだけど声からはしっかりとした信念を感じる。顔立ちもハリウッドスターかと思うほどに整っていて、特に目元なんていつみても見惚れてしまう。
 そう、私はこの桂小太郎という男をこの店で初めて見た時に一目惚れしてしまったのだ。そしてその後に交番に貼られた指名手配書を見てあの時の彼だと繋がった時も、犯罪者だというショックよりも名前を知ったことに喜びを感じ、その指名手配書の写真を見て彼への想いが強まってしまったくらいだ。

「いま、在庫見てきますね!」

 本当はんまい棒チョコバーは在庫切れだということはわかっていた。わかっていたけれど、彼のがっかりする顔を見たくはなかった。その一心だけで裏でお茶を飲んでいた店長に「ちょっと出てきます!」と言い残し、ここから一番近いスーパーへと急いだ。店長の「どこに!?」という声は聞こえなかったふりをする。

「おっお待たせしました!」

 急いで近所のスーパーでんまい棒チョコバーを買い占めてきて、それを桂さんに渡す。

「……わざわざすまない。このんまい棒チョコバーを交渉に使おうと思っていたのでな。助かった」

 あまりの嬉しさに頭に血が上ってカッとなった。それに、んまい棒チョコバーを交渉に使うまでに昇華させる桂さんてなんて凄い人なのだろう。

「いっいえ! 喜んでいただけて嬉しいです!」
「名字殿に頼むと無いものが無いから、つい声を掛けてしまう」
「え、なんで私の名前……」
「そこに、つけているだろう」

 そう言って私の胸元にある名札を指さして優しく笑った桂さん。もうそれだけで生きていてよかったとさえ思ってしまう。

「それにしても、これは申し訳がないから今度礼をさせてくれ」

 苦笑した桂さんに、何が申し訳ないのかわからない私はそのまま首を傾げる。なにかミスをしてしまったのだろうか。

「これ、あっちのスーパーに買いに行ってくれたのだろう」

 どうしてバレたのか。それはあまりにも簡単なことで、桂さんが持ち上げたそのんまい棒チョコバーが入った袋は、さっき私が買いに行ったスーパーのロゴが書いてある袋のままだったのだ。買ってそのまま渡してしまうだなんてなんて初歩的なミスを……。恥ずかしくて顔から火が出るとは正にこのことだ。

「あっ、そ、それは……」
「道理で息が上がっていた訳だ」
「すっすみません……」
「いや、謝るのは俺の方だ。今まで気がつかずすまなかった。これからは入り用の際は前もって伝えるようにする」

 心底申し訳なさそうな桂さんの表情と言ったら。美男子に悲哀というスパイスが加味されてしまった。今この瞬間を携帯のカメラで撮っておきたいとすら思う。

「これまでもこうして買いに行ってくれたことがあるのだろう。どうか、礼をさせてほしい」
「いっいえ! 御礼だなんてそんな滅相もない!」
「いや、それでは俺の気が済まない! 俺に出来ることであればなんだってするぞ!」
「そ、そんなこと言われても……」

 私の手を両手でがっちり掴み顔を近づけて強く熱弁する桂さん。もうそれだけで充分だし、今にも卒倒してしまいそうだった。

「そっそれじゃ!」
「おお! なにか浮かんだか!」
「その、しゃ、しゃ……」
「しゃ? 写輪眼なら申し訳ないが俺は持っていなくてな……。どうしてもというならこれから写輪眼取得のため修行をする」
「いえ! 写輪眼じゃなくて写真を!」
「写真?」
「写真を、撮っても……いい、ですか?」

 ポケットから携帯を取り出し、全身と正面顔と横顔の計三枚の桂さんの写真を撮った私は、大満足でそれを大切に保存した。ただ、桂さんは終始「こんなことでいいのか?」と何か物足りないような顔をしている。

「ありがとうございました! これで一生幸せです」
「うむ、やはり納得がいかぬ……本当にこれでいいのか?」
「はい! 大満足です!」
「じゃあ、これは俺の頼みなんだが」
「はい」
「名字殿の名前を教えてはくれないだろうか」

 
 名前。名前。なまえ?
 名前というのは私の名前であって、それは名字なわけだけど、それは桂さんは知っているわけなのだから、この場合はきっと下の名前って意味の名前ということだろうか。
 グッと桂さんが顔を近づけたことと、名前名前と考えすぎて名前という言葉がゲシュタルト崩壊してしまい、その言葉の意味を咀嚼できず思考回路がめちゃくちゃになっていた。それでも桂さんはそのまま私の肩を掴んで恥ずかしそうに笑う。

「名前、です……」
「名前か。良い名だ」
「なんで、わたしの名前を……?」
「いや、もしも名字殿と俺が結婚するとして、その場合ご両親に挨拶に行かねばなるまい。その時に名字殿では誰のことを呼んでいるのか紛らわしいと思ってな」

 それから桂さんは会議の時間が迫っているらしく、「名前殿、また来る」と言ってコンビニを後にした。その後ろ姿を見送りながら、私は先ほどの桂さんの言葉を何度も何度も反芻させて誤解のないように理解しようと努めた。けれど、

「あれ、名前ちゃんどうしたの顔真っ赤……てか汗びっしょりだしにやけてるしなに!?」

 なんの前触れもなくあんなこというかな、第一私たち付き合ってもいないのに、なんて次々に浮かぶ保険の言葉も虚しく、私は桂さんの最後の言葉に強い期待と喜びと自惚れを感じずにはいられなかった。

「店長、どうしましょう……ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」
「なに? 万引き? 店のカメラチェックする?」
「私の、心です」

 店長の虫ケラを見るような視線。
 私だってこれはただ言いたかっただけだ。とりあえず業務に戻ったけれど、終業間際まで三十七回も店長に「またにやけてるよ」と言われたのだった。


 心なんて最初から盗まれたままだ

:)150614
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -