晋ちゃんがサッカーの試合に出てくれたことも、案外上手くて手に汗握る展開の中最後ギリギリで得点を決めたことも、私の感情を高ぶらせて嬉しくさせるものだったけれど、この興奮はそれだけが理由でないことを私は知っていた。
 試合を終えて、一体何人の人とハイタッチをしたかわからない。何回も飛び跳ねて、喜びを共有した。しかし、手を合わせていない人が一人いることはわかる。何故だかその人には、朝から避けられているようにも思う。
 そして、その人と興奮の理由とがイコールになることも、私はわかっていた。

「晋助様格好良すぎッス!」
「晋ちゃん運動できたんだね!」
「うるせェ」

 パン、と頭を叩かれたけれど、晋ちゃんの表情が少し照れ臭そうなものだったからこちらまで自然と口許が緩んでしまう。それを見た晋ちゃんは「ニヤニヤすんな」と言って私の頬っぺたをつまみ上げた。

「そういや、次はバレーだったか?」
「そうらけど、いひゃいいひゃい」
「アホ面さげてせいぜい頑張れや」

 見ててやる、と手を離した晋ちゃんに頬をさすりながら「アホ面なのは晋ちゃんの所為」と言うと、「口の減らねぇやつ」と笑われた。
 ふと校舎を見ると、保健室の窓から坂田先生の姿を見つけた。しかも煙草を咥えた。呆れながらも、何故だか坂田先生の場合、仕方がないと無理矢理納得をさせられるから不思議だ。そして、そんな坂田先生と偶然目があって、それから先生は優しく笑ったような気がした。
 あんな顔もできるんだ。
 意外さから目を見張っていると、背後から猿飛さんの「早く行くわよ!」の声に驚いて振り返り、もう一度保健室に目をやった時には先生の姿はなくなっていた。

「いい? これに勝ったら優勝よ」
「わかってるわ」
「そして、ハーゲンダッツよ」
「お妙ちゃんのために勝つと誓おう」
「死ぬ気で勝つわよ。てか、死んでも勝つのよ」

 お妙ちゃんの激励というのか脅しというのか、際どいところではあるが一応の激励を受け、皆が円陣になり肩を組む。自分がこの場にいることの場違い感は、もう最初ほどない。
 試合は一進一退といったところだった。一セット目は勝って、二セット目はこちらのサーブミスが目立ち取られてしまった。そして三セット目。柳生さんの的確なコースを狙ったサーブで先に三点先取したZ組は、相手の粘り強いレシーブやブロックに苦闘しながらも、パワフルな攻撃でなんとか二十三対二十三まで持ち込んだ。私の指もテーピングのお陰かさほど痛みを感じない。

「少しやってみたいことがあるんだけど」

 ラリーとラリーの間の僅かな隙に、猿飛さんから一つの提案を受ける。

「で、できるかな……」
「私が助走を始めたらすぐに出していいわ」

 ピッと笛の音が鳴る。お妙ちゃんがエンドラインからサーブを打った。それはいいコースに行ったものの、やはり若干崩しつつも取られてしまう。そして相手チームのエースが打ち込んだスパイクを、間一髪柳生さんがなんとかレシーブした。

「っさっちゃん!」

 ボールの落下地点に急いで回り込み、言われた通りに普段であれば出さない短めのトスを上げる。しかし、もう上げた先には猿飛さんが飛び出していて、綺麗に伸びた手がボールを捉えてそれを相手コートに叩きつけた。昔テレビで見た、センターの速攻のよう。

「っすごい! なにあれ! 凄いよさっ猿飛さん!」
「あなたのトスもよかったわ。それと、さっちゃんでいいから」

 試合中に猿飛さん、なんて長くて面倒でしょう。と笑った彼女に、私は今日で二度目のなんとも言えない気持ちになる。周りからさっちゃんと呼ばれていることは知っていた。それでもお妙ちゃんの時同様、どこか距離を置いていたのだろう。折角私を受け入れてくれたというのに。

「ありがと、さっちゃん」
「名前もありがとう」
「ちなみに、僕も九ちゃんで構わない」
「ウチも花子って呼んで欲しいねんけど」

 この学校で晋ちゃん達以外からファーストネームを呼ばれる日が来るなんて、想像もしていなかった。少し気恥ずかしいような笑みを浮かべた皆に、私もきっと同じような顔をしてお礼を言う。
 審判から早くポジションにつけという意味での笛が鳴らされる。あと一点。それぞれがポジションに戻って、私たちは顔を見合わせる。

「名前ー! 頑張るんスよー!」

 また子の声に気づいてコートの外に目を向ける。そこには大きく手をふって応援してくれているまた子は勿論のこと、晋ちゃんや河上君たち、そしてZ組の皆の姿があった。勿論、土方君も。
 土方君についてはなるべく深いことは考えないようにして、同じくサーブ権を持ったままのお妙ちゃんに視線をやる。どうやら場外から熱烈な声援を送り続ける近藤君に怒鳴り散らしているようだけど、私はこの数週間で実はこの美女と野獣コンビは上手く行くんじゃないかとも思っている。さっちゃんは坂田先生のこととなるとかなりぶっ飛んだ考えを持っている人だけど、普段は落ちついていて意外なことに服部先生とも仲が良い。九ちゃんはこれまたお妙ちゃんが大好きで、その点において近藤君とは敵とも同志ともなりうるらしい。二人がお似合いなんて、九ちゃんには口が裂けても言えないけれど。
 この数週間で、かなり皆のことを知るようになったと思う。今までの三年間において、こんなにも馴染めたクラスはなかった。でもそれは、きっと私が知ろうともしなかったからなのだと思い至る。自分を偽ってクラスに馴染みたいだとか、グループに無理をして入りたいだなんて思ったことはなかったけれど、自分を偽らずとも無理をせずともどうにでもなる問題だったのだ。

「お妙ちゃん! ナイスサーブ!」

 いきなりボールを高く上げ、助走とともに飛び上がるお妙ちゃん。まさかここでジャンプサーブ? という私の疑惑は的中で、お妙ちゃんの掌から放たれたボールは物凄い威力で真っ直ぐに相手コートに伸び、それはさながらビームの如く、プレイヤーとプレイヤーの間に吸い込まれるようにして打ち込まれた。相手チームだけでなく、私まで唖然としてしまう。ピッ、という審判の笛の音とこちらに向けられた手。そして、もう一度今度は長めの笛の音が、試合終了を知らせた。
 二十五対二十三。
 勝ったのだと思うのと同時に、お妙ちゃんに勢い良く抱きつかれ、それは次第に数を増していった。

「お妙さーん!」

 近藤君を始め、Z組の皆がドッとコートの中に押し寄せてくる。「感動した! 本当に良くやってくれたよ名字さんお妙さんの次に!」と泣きながら笑う近藤君にぐりぐりと頭を撫でられて、突進のような勢いで飛びついてきた神楽ちゃんを受け止め、ちょっと泣いているまた子の頭を撫でながら、少し近藤君と似ているかもしれないと思う。いろんな人にもみくちゃにされて、やっと群衆の中を抜けた先には土方君がいた。お互いに目が合う。それから土方君は優しく笑った。

「凄いじゃねぇか」
「ね、優勝しちゃった」

 男子サッカーも女子バレーも優勝だな、と笑う土方君の表情に胸がぐっと熱くなる。まるでこれを見るために頑張ったようなそんな気になってしまう。風にさらさらと土方君の黒い髪が浚われて、それが余計に笑顔を爽やかに見せた。

「そろそろ閉会式だ。行くぞ」
「うん」

 騒ぐ皆よりも一足先に、球技祭委員として閉会式に向かう。
 閉会式での表彰台には、男子サッカーは近藤君、女子バレーはお妙ちゃんが代表として上がった。Z組の列には晋ちゃんがいて、他にも各クラスにまた子や河上君、武市さんの姿があった。こんな球技祭は初めてだ。
 閉会式も終わり、生徒たちはそれぞれ帰って行く中、私と土方君は球技祭委員として後片づけを行っていた。

「椅子運ぶのも楽じゃないんだね……」
「お前は二年間サボってきたんだからその分ちゃんと働け」

 割り振られたパイプ椅子を運び、そのほかの備品も元あった場所に戻していく。実行委員から指示を受けながら、私と土方君は四階の教室に椅子を運んでいた。

「は、はあ。やっと、四階!」
「お前疲れすぎ」

 何気なく多く持ってくれているのに余裕そうな土方君とは裏腹に、肩で息をしてやっとの思いで四階に到達した私。指定された教室に椅子を運び終え、ぐっと縦に伸びをする。

「凄い、一仕事終えた感じがする」
「まあ、もう終わりだろうな」
「こんな時に飲むビールは美味しいんだろうな」
「おっさんかよ」
「ビールがないことが悔やまれますな」
「その前にここが学校であることを悔やめ」

 でも、と少し考えたように顎を撫でた土方君は、次に悪巧みでもするように笑った。

「え、どうしたんですか怖いんですけど」
「うるせえ。ビールの代わりはあんだろ」

 そう言うや否や、土方君は私の手を引いてずんずんと歩き出した。「え、なに?」という私の言葉には耳を貸さず、たどり着いたのは地学部部室。
 もしかして、と意味を分かりかけた私を他所に、土方君はドアノブに手をかけ、室内へと入っていく。

「もしかして」
「一仕事終えた後の一服も、きっと美味ェだろ」

 用意周到と言うべきか、ポケットから煙草をとりだした土方君はそのうちの一本を私に寄越してくれた。有難くそれを受け取って土方君に火をつけてもらう。途端に肺いっぱいに広がる感覚に思わず目を細める。

「美味そうな顔してんな」
「土方君こそ。年配の刑事みたい」
「それ美味そうな顔か?」

 今朝の気まずさが嘘のように二人で笑いあう。外はあの日と同じく夕暮れ時で、部室はオレンジ色に染まっていた。

「本当に、ありがとね」
「あ? なんだ、テーピングのことか?」
「それもだけど、なんていうか、全部」
「雑だな」

 このテーピングがあったから、最後までみんなと一緒にバレーをすることができたし、みんなとも近づくことができた。そして、今日があんなにも嬉しい一日となったのは、今まで土方君が一緒になって頑張ってくれたからだ。私一人だったらきっと途中で面倒くさくなって、逃げ出していた。

「本当に、感謝してるんだ」
「んな、大したことしてねぇよ」

 煙りを吸い込んで吐く音が聞こえる。土方君と煙草はよく似合っていて、それが夕日もあいまって本当に様になっていた。

「ねえ、一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「今朝のことなんだけど……」

 今朝、と言葉にした瞬間、土方君の表情が強張った。今の心地良い雰囲気を壊したくはないけれど、それでも今朝のあの違和感を払拭することは出来なかった。もしも私が何かしてしまったのならばキチンと謝りたい。土方君とは、蟠りを残しておきたくない。

「俺が避けてたやつか」
「あ、やっぱり避けられてたんだ」

 バツが悪そうな顔をした土方君は、煙草を咥えて深く吸い込んでから言葉を次いだ。

「まあ、もう俺は吹っ切れたから言うが」
「うん」
「名字のことが好きだ」
「うん……え?」

 思いもよらぬ言葉に聞き間違いではないかと土方君を見るも、何処か清々しい顔をした彼はそのままもう一吸いした。

「今朝はお前見る度に高杉の顔がチラついてな。悪ィな、ガキみたいなことしちまって」

 まるで懺悔を終えた教徒のようなすっきりした顔の土方君に対し、いまだ私は混乱したままでいる。土方君は私のことが好きで、それでなんで晋ちゃんがでてくるのだろう。そして、何故こうもはっきりと自己完結させているのだろう。

「待って、なんで晋ちゃん?」
「なんでって、お前」

 高杉と付き合ってんだろ。その一言で全ての辻褄があった。土方君のさも当たり前といったような口調に、少し苛立ちすら覚える。

「私、彼氏いないよ」
「……は?」
「勿論、晋ちゃんとも付き合ってない」
「……は!?」

 咥えていた煙草を落とした土方君は、それを慌てて拾って近くの灰皿へと押し当てた。そして新しい煙草に火をつけて、三回吸って吐いてを繰り返してから最後に煙のない息を吐いた。

「俺の勘違いってことか」
「多分」
「ったく、まじかよ」

 片手で額をおさえながら項垂れる土方君を見て、どうしようもなく可笑しさがこみ上げてくる。

「笑ってんじゃねぇよ」
「ッハハ、だって、可笑しいんだもんッ」

 どうしても抑えきれずに笑ってしまう私に釣られたのか、とうとう土方君まで笑い出していよいよ部室は小さなカオスを作り出していた。

「あーなんだよ、付き合ってねぇのかよ」
「なにそれ。嬉しくないの?」
「あ? 嬉し……」

 ふと目があって言葉を引っ込めた土方君に、それまでのふざけたやり合いを忘れ私まで途端に恥ずかしくなってしまう。

「私は、今朝悲しかった」

 土方君の目を真っ直ぐ見つめて言った。どうしてか、この言葉はいっておかなくてはならない気がした。

「だから、私も」
「もういい」

 それは本当に一瞬のことで、瞬きも忘れてしまうほどのことだった。土方君の言葉に遮られ、気付いた時にはもう彼の顔は間近に迫り、その間はほんの数ミリというところ。

「ひ、じかたく」
「好きだ」

 言い終えるや否や、私に返事をする暇すら与えずに唇を塞がれた。温かくて、柔らかい。
 クラス替え初日から今日までのことが思い出される。思えばあの時の土方君への印象は今はもうだいぶ違うけれど、それを知れて良かったと思う。慣れない行事の委員をやらされてなんだかんだと今日までやってこれたのは土方君のおかげだ。いつの間にか土方君に押し付けてしまうことの申し訳なさからではなく、土方君に会うことを楽しみにしていた。それがいつからだったかなんて、もうよく思い出せない。

「ね、ちゃんと言って」
「お前、女らしいとこもあるんだな」
「うるさい。あ、ちょっと待って」

 土方君の指から灰が長くなった煙草を抜き取り、自分のそれと一緒に灰皿へと押し付ける。

「なんか色気もなんもねぇな」
「だって危ないでしょ」
「まあ、いいか」

 土方君の形の良い唇が綺麗に動く。低い声が心地よく耳に響いた。青みがかった黒の瞳が真っ直ぐに私を捉え、思わず触れてしまいたくなる長い睫毛が色っぽく思える。恥ずかしいのに、照れくさいのにその目を逸らすことができなくて、一言土方君と同じ言葉を返してから目を瞑って今度は私から口付けた。


いつか星空の下で
 細く白い天の川を作って、学校に申請届を出して、あなたと一緒に見上げたいの。

:)140709
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