約束の時間よりも早く着いてしまった私は、朝の誰もいない教室で一人律儀にも自分の席に座っていた。それにしても、朝教室に一番乗りだなんてはじめてのことだ。窓の外を見ても球技祭実行委員らしき人影が二三あるだけで、窓を開けてひとつ、深く息を吸ってみる。

「早いな」

 ガラガラと音を立てながら教室後方の戸が開いて、薄く土方君の姿が窓に映った。

「おはよ、土方君」
「そっちに俺はいねぇぞ」
「アハハ、おはよう。土方君」

 背後まで来たことを確認してから振り返ってもう一度挨拶をすると、土方君も少しだけ笑って「おう」と返事をした。

「腫れ、少しだけどひいてきたよ」
「ちょっと見せてみろ」

 隣の席に座った土方君は、机の上に置いた私の手をまじまじと見ていた。手とはいえ、少し視線が恥ずかしい。

「よし、じゃあやるか」

 鞄から鋏とテーピングを取り出した土方君は、私の左手を取った。私の手をじっと見る彼の伏せられた睫毛を眺める。密度が濃くて、思いの外長い。
 まるで女の子のようなそれに気がつけば手を伸ばしていて、突然なことにビクッと身体を揺らして驚いた土方君。そして、その彼と目が合う。

「あ、ぶねえだろ……」
「あ、うん。ごめん」

 しかし、目があった途端に気まずそうに逸らして合わせなくなってしまった土方君。そんな彼の態度に、私まで何故かぎこちなくなってしまう。

「……よし、できた」
「不思議。これでバレーしても大丈夫なんて」
「信用してねぇな」

 コン、と頭をグーで小突いた土方君は、またも私と目を合わせた瞬間に少し気まずそうな顔をする。途端になんとも言い難い空気が二人の間を流れる。私は何かしてしまったのだろうか。

「ま、これでトスでついても痛くねぇはずだが、だからってあんま無茶はすんなよ」

 私に目を合わせないままそう言った土方君は、そのまま鋏とテーピングを鞄にしまってゴミをくしゃっとまとめた。私が何か言うタイミングを与えずに立ち上がり、教室前方のゴミ箱にゴミを捨てた彼は「朝練行ってくるわ」と言い残して教室を出て行ってしまった。
 土方君の背中を見送ってから、「ありがとう」と言い忘れてしまったことに気づく。原因もなにもよくわからないこの空気にひとつ溜息を吐いて、私も朝練のために教室を後にした。

「元気ないわね」

 朝練を終え、バレーの決勝戦の前に男子サッカーの応援に向かう途中、心配そうな顔をした志村さんに話しかけられた。確かに今朝の土方君のことが気がかりではあるが、見た目に現れるほどだったのかと改めて気づかされる。

「そんな暗い顔してた?」
「それはもう、世界が終わるみたいな顔だったわ」

 というのは嘘だけど、と続けた志村さんは、「でも何かあったなら遠慮さずに言って」と続けてにこやかに笑ってみせた。

「何かあったなんて、たいそれたことじゃないんだけど……」
「名字さんってあまり私たちに言ってくれないじゃない?」

 私の左手に手を触れて眉を顰めて笑う志村さんに、私は決まりが悪くなる。

「ごめんなさい。気づかなくて」
「し、志村さんが謝ることじゃないよ!」

 それに、テーピングして平気だから。と付け足すと、志村さんは慈しむような笑みを浮かべた。そのあまりの完璧な綺麗さについつい見入ってしまう。

「絶対優勝しましょうね。名前ちゃん」

 はっと、息を飲む。志村さんの完璧な笑顔にではなく、その言葉に。

「お、妙ちゃん……」
「最初にそう呼んでって言ったでしょう」
「そう……だった、かも」
「ほら、早くしないと男子の試合始まっちゃうわ」

 私の右手をとって走り出した志村さん、改め、お妙ちゃんに引っ張られるようにサッカーコートまで向かう。
 ふと、「打算」と言った坂田先生の顔が浮かぶ。彼の真意に気づくのはまた少し後のことだけど。
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