ゼロ距離列車の続編です。


 「どうよ、慣れた?」
「なん、とか……」

 教育実習五日目。トータルで二週間の為、今日が一週目最後の日である。私の担当指導教諭である坂田先生は、私の返答とぐったりした様子の所為かへらりと笑って見せた。

「アホばっかで疲れるだろ」
「いや、そ、そんなこと」
「顔引きつってんぞ」

 ばちん、と強めのデコピンをされて痛みから額を摩る。
 確かに、坂田先生が担任を務めるZ組はお世辞にも頭が良いクラスとは言えず、尚且つ授業中でも休み時間でも所構わず喧嘩が勃発するような所謂問題児クラスであった。
 ただ、最初こそハズレを引いたと思ったりもしたけれど、彼等は授業を妨害しようという意思があってやるわけではなく、ちゃんと注意をすると聞き入れようと努力する心根は素直な子たちばかりだ。それに思ったことをはっきり言う子が殆どなため、意見を求めるとちゃんと反応が返って来る。なにより、たった数日しか経っていないのに私を受け入れて、全面的に慕ってくれているのがわかるのが嬉しい。

「でも、楽しいです」
「ま、なら良かった」

 じゃあ引き続きよろしくなー、と後ろ手を振りながら廊下をぺったんぺったんと歩いていく坂田先生。
 しかし、世界は狭いという歌があるけれど全くその通りだ。何時ぞやの満員電車で助けてくれた坂田さんがまさか銀魂高校の先生で、その上国語科で、さらにその上私の担当指導教諭になるなんて。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。

「あ、研究授業のことなんですけど!」
「あー、まあ適当にやってくれや」
「適当に、って先生が立ち会ってくれなきゃ始まらないんですからね!」
「へーへー」

 あの日、助けてくれた坂田さんを正義のヒーローのように思い、あまつさえときめいてしまったと言うのに。こうして教育実習で接する坂田先生は、覇気がなくやる気もない。暇さえあればジャンプを読むか、煙草かいちご牛乳を咥えているような、かなり型破りな教師であった。
 最初に見本として見せてくれた授業も途中で「月曜日だから」というわけのわからない理由で自習にしてしまい、生徒は生徒で「あ、今日月曜日か」と納得し喜んでいる始末だった。
 ただ、自由奔放でやりたい放題な坂田先生は、先生方からも生徒からも呆れられてはいるものの、皆どこか一目置いて頼りにしている。

「ハハ、なんか名字先生の方が先生って感じしますね」
「本当アル。名前先生は死んだ目してないし」
「いいんだよ。いざって時はきらめくから」
「いざっていつですか」

 いつの間にか志村君と神楽さんが寄って坂田先生に冷たい視線を浴びせていた。最初、クラス委員であり、あのクラスで数少ない常識人でもある志村君にはかなり頼ってしまった。神楽さんも問題の中心にいつもいるような子だけど、彼女の素直な快活さにはかなり助けられた。

「ま、あと一週間頑張ってくれや」
「え! 名前先生あと一週間しかいないアルか!」
「最初の時にそう言ってたでしょ神楽ちゃん。でも、そう思うと寂しいですね」
「折角仲良くなったのに、いなくなっちゃうなんて悲しいアル」
「二人とも……」

 不覚にも目頭が熱くなってしまう。明らかに落ち込んだ様子の神楽さんと、それを宥める志村君。本当に、私は恵まれている。

「ったく、まだ一週間もあんだろーが。わかったらさっさと返って名字先生の仕事減らしてやれ」
「それ、ただ先生が下校指導面倒なだけですよね」
「うるせェぞ眼鏡。俺ァお前らの親御さんの気持ちを思ってだな」

 まるで漫才のように繰り返される会話劇にいつもながら圧倒される。坂田先生とZ組の生徒たちは次から次へとよく思いつく。しかし、そんな光景もあと一週間だと思うとやはり寂しい。
 結局二人が帰ってからも研究授業の話はできず、来週の授業計画を見せて「いーんじゃねぇの?」という返事を貰っただけだった。

 結局、教育実習最終日前日の朝、「明日にすっか」という言葉とともに研究授業の日程が急に決まった。
 そして今日、もう教育実習も最後だという寂しい思いを胸に、丁寧に一クラス一クラス授業を行っていく。
 Z組の子達はああいってくれたけれど、現役の先生たちと比べて自分の授業は拙く、テンポも悪いし、わかりにくい部分も多くあっただろうに、こうして一教員と同じように扱ってくれる生徒たちには感謝してもしきれない。私の受け持ちは三クラスだけど、皆本当に良い子達ばかりだった。

「よう。Z組が最後か?」

 何時ものように出席簿で肩を叩きながら、サンダルの音をペッタペッタと鳴らして現れた坂田先生。

「はい! あ、研究授業ですよね。緊張する」
「ああ、それなら」

 昨日やっちまったわ。と言った坂田先生。その言葉に、昨日の朝の言葉を思い出す。たしかに昨日の朝、明日やると言ったのだ。

「え、だ、だって今日って……」
「お前研究授業って言ったら緊張してヘマしそうだからな。自然な姿を評価したいじゃないの」

 言葉の真意は、深読みさずともわかる。私が緊張に強く無いことを見てとって、わざと自然体で授業するように仕向けたのだ。それは、勿論坂田先生の優しさである。

「じゃあ、先週の復習からしましょう」

 先ほどの坂田先生の言葉に、じんわりと胸が温かくなっていく。志村君の号令と、だんだんと静かになる教室。授業準備も指導案制作も、やることは山ほどあってこの二週間は睡眠時間を削りながら毎日をこなしていた。しかし、準備したことが生かされ、授業で皆の反応に触れることは本当に楽しかった。
 最初から決められていた時間だけど、やはりこうして仲良くなってからの別れは悲しい。私の悲しさのほんの一部でもいいから、皆も共有してくれていたらそんなに嬉しいことはない。

「先生ー質問アル!」

 授業も終盤に差し掛かった頃。神楽さんが真っ直ぐに手を上げた。初日の「お弁当食べてもいいアルか」の質問を思い出し吹き出しそうになるのをおさえ「どうぞ」と促す。

「名前先生は、赤と青どっちが好きアルか?」
「赤と、青……?」
 
 全く授業とは関係のない質問であることに、今更驚きはしない。が、質問の真意が全く読み取れない。

「どっち?」
「え、っと……赤、かな?」

 突如、耳をつんざくような破裂音がして反射的に目を瞑る。そしてゆっくりとその目を開けて、眼前の光景に目を見張った。ハラハラと散る色とりどりの紙。私の髪にかかる紙リボン。背面黒板には、「名字先生ありがとう」の文字。

「はい、これつけてヨ」
「驚きました?」

 神楽さんから手渡されたのはパーティー用の赤い三角帽子。おずおずとそれを受け取って、志村君を始め、クラス全体を見渡す。いつものZ組のお祭騒ぎと大差ないけれど、皆一様に拍手をしてくれていた。

「こっちは銀ちゃんにあげるネ」
「なんだよ余りモンか?」
「ほら、先生もかぶってください」

 いつの間にか隣に立った坂田先生は、私と色違いの青い三角帽子を渡されていた。

「どうよ?」
「ど、どうよって、そんなの……っ」

 ふえーん、なんて、なんとも恥ずかしい泣き声を上げてしまったと自分でも思う。それでも、なりふり構っている余裕がないほどに私は感涙に咽いでいた。こんなことってあるだろうか。わずか二週間、それも国語の時間とホームルームの時間だけ。たったそれだけの時間しか過ごしていないのに、サプライズまで用意してくれるだなんて。涙は一向に止まることはなく、終いにはそんな私を皆笑っていた。

「涙止まったか?」
「も、もう流石に大丈夫です!」

 放課後、他の実習生や先生方との挨拶も終え、私は荷物をまとめに国語科準備室にいた。
 ニヤニヤと私を見て笑う坂田先生をみて、また先ほどのZ組でのサプライズを思い出してしまう。

「本当に、嬉しかったです」
「良かったな」

 優しく目を細めて笑った坂田先生を、オレンジ色の夕陽が綺麗に照らしていた。その姿がなんとも絵になっていて、つい初めて会った時のように見入ってしまう。

「にしても、満員電車で偶然会った奴と、こうして教育実習で再会するとはな」
「偶然、って言うけど先生知ってたじゃないですか」
「おま、俺が一々新しい実習生の顔写真なんて覚えてると思うか? おめーが教育実習って言わなきゃ完全に気づかないまま別れてたわ」
「確かに。坂田先生が覚えてるわけないか」
「オイ。評価最低にして大学に提出すんぞ」

 この国語科準備室で最初にした会話もこんな感じだった気がする。この二週間、私は毎日ここに来て坂田先生とくだらない話をしていた。けれど、その話の中にふと授業の進め方におけるヒントとか、生徒のことが散りばめられていて、私はそれに何度も助けられた。マンツーマンで詳しく教えてくれるような先生ではなかったけれど、坂田先生からは色んなことを学んだ。

「寂しい、です」
「まァ、文化祭とかには顔出してやってくれや。あいつらも喜ぶだろうしな」
「せ、生徒も勿論だけど、坂田先生と会えなくなる、から……」

 差し込む夕陽に、椅子の軋む音。
 坂田先生の瞳が珍しく煌めいて見えた。

「私は生徒にも、指導教諭にも恵まれました」
「……ったく、散々仕事しろとか言ってたくせに最後はこれか」
「それは、坂田先生だって同じじゃないですか」

 坂田先生の熱い色をした目に吸い込まれそうになる。銀髪がキラキラと夕陽を反射して透けて見えた。

「じゃあ、私帰ります」

 荷物はまとめた。明日は同じ教育実習生たちで打ち上げがある。それも楽しみだけどもう少しこのままここに残ってしまえば、私はとんでもないことを口走ってしまいそうな気がしたからだ。パンパンになった鞄を担いで、国語科準備室の扉に手を掛ける。

「お世話になりました。ありがとうございました。失礼、します」

 一言一言に気持ちを込めるようにして言った。そして、私はゆっくりと扉を開ける。

「オ、オイ」
「はい?」
「……飲みにでも、いくか」

 目を少し逸らしてそう言った坂田先生に、わたしも縦に一つ頷いた。これからの私の日常に一つ銀色が増えた瞬間だった。

:)140521
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