物心ついた時からあまり運がいいとは言えなかった。器用ではあったし、剣術の成績だっていい方だった。自分で言うのもだが、腕はたつほうだ。こんなでも、攘夷戦争の時代は女だてらに刀を振り回していたことだってあった。だからこうして廃刀令となり世間が一応平和であるにも関わらず、私は仕事にありつけている。ただ、ちょっとばかり運がないだけだ。

「先にシャワー、浴びてきて」
「……それ、カードキーじゃなくて、名刺」

 ハニートラップというものをご存じだろうか。女の武器を最大限に使って男を騙し、情報を得たり時には相手を亡き者にしたりと色仕掛けで諜報活動を行う仕事だ。江戸も天人の襲来を受けて以来、近代化が進みはしたがいつの時代も情報というのは金になる。だから雇い主は絶えず訪れる。
 今回はパーティーで近年急成長した企業のお偉方と接触を図り、次の取引先に提示する条件を聞き出してこいとのことであった。そんなことお安い御用で、口の軽い馬鹿ならば自分の権力や仕事ぶりを誇示しようと聞いてもないのに自分からペラペラ話し出すこともあるし、時には相手の目を盗んで手帳やデータを盗むこともある。一日で方をつけられない場合は相手と時間をかけて恋仲になることもままある。勿論事前準備は怠らない。一応プロを名乗っている以上失敗は許されないのだ。失敗すれば雇い主に失望され、そんな噂は業界を瞬く間に駆け巡る。こんな仕事は大きく広告をうったり宣伝をしたりするわけにもいかない。全て口コミだ。それ故に、この業界で失敗は許されない。すれば仕事はなくなり、明日の生活どころか命さえも危うくなる。
 今回のターゲットにパーティーで接触し、事前に調べた相手の趣味の話を匂わせ気が合うふりをして、抜け出さないかと会場近くのバーに連れていかれるまでは順調にことが進んでいた。ホテルのカードキーを渡されて、キタキタと思ったのも束の間。不二子ちゃんを意識して、ちょっといい女風に見せようとしたつけが回ってきた。貰ったカードキーを良い頃合いでちらつかせたと思えば、私と彼の間にあったのはホテルのカードキーではなく、「フリー諜報員」という馬鹿げた肩書きと私の本名が書かれた名刺だった。

「あーもうほんと馬鹿。馬鹿過ぎて笑い話にもできない」

 ああいう人って堅気の世界にいるくせにとても堅気とは思えないボディーガードとかつけてるんだよね。先ほどまでのターゲットの命でそこかしこを走り回っているガタイの良い男たちから逃げるように夜の歌舞伎町を歩く。ここなら堅気の人の方が少ないし、雑多な町並みは身を隠すにはうってつけであった。ここ最近このようなありえないミスばかりを続けて起こしたために、こうして逃げ回ることに慣れている自分がいる。なんだか情けない。

「おおー姉ちゃん良い身体してんねぇ。俺と一杯と言わず一発どーよ」
「ちょーっと銀さん飲みすぎじゃねーのぉ? てなわけで俺と一発」
「おい俺が先に声かけたんだろーが! それにまた女房に逃げられんぞ」
「うるせぇ! ハツは必ず帰ってくるんだよ!」

 背後から声をかけられたと思ったらその声の主に肩を組まれた。しかし、その連れと思しき男となにやらいい争いを始め、もはや私に声をかけたことなんて覚えているかも怪しい。アルコールの匂いがぷんぷん漂ってくる。それでも肩にかけられた腕だけはそのままでどうにも身動きが取れない。
 にしても、少し待て。今、銀さんって言わなかったか。

「だーっもううるせーなァ! お前は十分いい男だよ。無職だけど。良いグラサンだよ!」
「……銀、ちゃん?」
「あ? 何、姉ちゃん銀さんのこと……名前?」

 こんなところで会いたくなかったなあ。
 歌舞伎町のネオン煌めく空の下、懐かしいふわふわ頭を視界の端に捉えつつも顔を上げる。星は一つも見えなかった。


「なによ、お前。江戸に来てたんだ」

 偶然にも歌舞伎町で再会を果たした名前を家に招き入れる。昔は無造作にくくられていた髪は手入れをしているのかヅラに負けず劣らず艶やかで、少し伏せられた睫毛とその視線、そして赤くみずみずしい唇からは並々ならぬ色気を放出していた。肌は昔と変わらず白いままだが、腕はしなやかに細く、凹凸のはっきりした胴体とそこから伸びる思わず触りたくなるような脚は、もはや俺の知る名前とは思えないほどのものであった。そして身体つきや表情のみならず、一挙一動までもが大人の女を思わせるものへと変わっている。服装に至っても、大胆に背中のあいたドレスなんか着ちゃって、女ってのはちょっと会わないだけでこうも変わるものなのだろうか。

「にしても久しぶりだな。あの頃以来、会ってねえもんな」
「うん。十年、くらいかな」

 酔い醒ましにグラスに水道水を注いで一気に二杯煽った。ついでにグラスに入れたいちご牛乳を名前に差し出せば、彼女はくすくす笑ってそれを受け取った。

「なに笑ってんだよ」
「ううん、銀ちゃんは変わらないなあと思って」

 まだ甘いもの好きなの? と尋ねる名前に少し悲しい気持ちになる。その一言から、あの頃とはもう違うのだと暗に言われているようで。勿論、彼女にその気はないだろうが。

「ヅラとか、元気?」
「ああ、あいつァ変わらずバカやってるよ」
「そういえば指名手配の紙で見たなぁ。高杉も。そっか、変わらないんだね、二人とも。辰馬は、どう?」
「ああ、あいつには家壊されてそのあと宇宙行って地球救った」

 意味わかんない、と言いながら名前はまた笑った。その笑顔から昔の面影を垣間見て、少し安心する。

「俺は、まー見ての通り万事屋やってっけど。お前は今なにしてんだ?」

 最初、話しにくそうに視線をそらす名前を見て「しまった」と思った。この話はもしかしてタブーだったのではないかと。
 しかし俺の焦りに反して、躊躇いがちに名前は近況も交え俺たちと別れてからの話をはじめた。

「あのお転婆が、不二子ちゃんねえ」
「さっきは良い体してるーとか言って鼻の下伸ばしてたくせに」
「あの頃はまな板寸胴だったのにねえ」
「だから言ってたでしょ。まだ発育途中だって」

 あの、名前が。花より団子、色気より食気だった名前が。少なからず衝撃を受けた俺は、それを悟られまいと隠すように言葉を続ける。このドレスも仕事のためのものだったらしい。だった、というのは、ミスをしてその仕事は失敗に終わったからだという。いくつかの最近の失敗談を語る名前から、また昔の面影を見て少し安心した。

「お前昔っから運悪かったもんなー」

 おみくじを引けば大抵凶がでて、風邪が流行ればいの一番に貰ってくる。名前の幸薄エピソードは枚挙に暇がないほどで、それを一つ一つ思い出すにつれて一度離れてしまった名前という存在が近づいてくる気さえした。

「久しぶりに会って近況を報告したのになんだけど、実はもう辞めようかと思ってるんだ」
「……次のアテでもあんのか?」
「ない。でも私嘘着くの上手じゃないし、続けていればいつか不二子ちゃんみたいになれるのかと思ってたけど、この年で全然不二子ちゃんっぽさないし、やっぱり向いて無かったんだと思う」

 見た目だけは立派に不二子ちゃんだぞ、と喉元まででかかった言葉を飲み込む。「私二輪免許持ってないし、同じ理由でライダースーツも着れないし」と続ける名前は、最終的な目的を見失ってるらしい。見た目は変わったが、こういう馬鹿なところは変わっていない。そりゃ諜報員なんて無理だろう。むしろよく今まで勤まっていたと褒めてやりたい。

「だから、本当は辞めて真っ当な仕事についてから銀ちゃんには会いたかった」

 少し泣きそうな声音で言った名前はそのまま下を向いた。俺はその言葉の真意を汲めずに、何も言えずにいる。

「ごめん。もう、帰るよ。長居しちゃったけど、銀ちゃん明日もお仕事あるでしょ?」

 困らせてごめんね、と言って顔は向けても視線は合わせない名前はソファから立ち上がった。その困らせてというのは、うちに来たことだろうか、それともさっきの言葉のことだろうか。考えながらも俺の手は、意識が向かうことよりも先にその白い腕を掴んでいた。晒された背中がピクリと震えた。

「離して」
「離して欲しいやつは、そんな顔しねぇよ」

 目に涙を貯めて必死にそれが零れないようにと堪える表情は、悲痛なものであるはずなのにどうしてか綺麗だと思った。

「スナックかキャバクラかおかまクラブか大人のおもちゃ屋か」
「は?」
「あとはくノ一カフェに真選組…いや、やっぱあそこはダメだそこだけは無しだな。うん」
「なに言ってるの銀ちゃん」
「俺が口利きできる就職先だ。生憎どこも真っ当とは言い難ェし、アクの強いやつしかいねぇが」

 名前は暫くぽかんと呆けてから、一転させてその表情を柔らげた。

「だからまた会いに来いよ。俺はずっと、ここにいるからよ」

 一筋涙が零れて、それは名前の頬の曲線をなぞった。そして、ポタリと万事屋の床に垂れる。名前は俺の目を真っ直ぐに見て、笑った。

「ありがとう、銀ちゃん」

 濡れた目元がそうさせるのか、はたまたこの状況がそうさせるのか。笑った名前の顔は見入ってしまうほどに綺麗で、途端に掴んだ腕を引き寄せてその身体ごと抱きしめた。
 意外にも名前は抵抗どころか何か言うわけでもなく、ただ黙ってゆっくりと俺の背中に腕を回す。

「なんか言えって」

 自分から仕掛けたくせに無言の状況に耐えきれなくなった俺は、腕の力を少し緩めた。
 するとまたゆっくりとした動作で、名前は俺の胸に埋めていた顔をあげた。

「私の初恋は、銀ちゃんだよ」

 言い終えるか否かくらいのタイミングで、名前は背伸びをして、俺の唇にその赤い唇を触れない程度に寄せた。そして数秒、ぐっと息を堪えて喉を鳴らした俺の目をじっくりと見てからそっとそれを重ねる。キスをするときに目を閉じるのがマナーだってことは俺だってわかっちゃいるが、それでも名前が目を閉じる気配は一向に無いし、なにより目の前の光景を見たいという意欲が優った。かち合う視線から今までの空白の時間が埋まっていくような気がした。


「あ、おはよう」

 依頼を受けて新八と神楽をつれて万事屋をでると、スナックお登勢の前を掃き掃除する名前の姿があった。

「名前さんおはようございます。早いですね」
「おはよう新八君。これからお仕事?」
「さっさと片付けてくるからまた名前のご飯食べさせてヨ!」
「あんなものでよければいつでも」

 新八と神楽と楽しそうに話す名前の姿は、あの夜よりは昔の彼女に近い気がした。

「ったくアンタがあんないい子連れて来るなんてねぇ」
「うお! ババア朝からヘビーな光景見せてんじゃねぇよ!」

 背後からぬっと現れたババアに驚くと、強めに叩かれた。いや、朝からこの光景はヘビーすぎるだろう。

「朝から晩まで、たまに負けず劣らずよく働いてくれるよ」
「じゃあ紹介料は家賃三ヶ月分ってことで」
「馬鹿言うんじゃないよ。……まあ、今月は大目に見てやるよ」
「マジでかババア! やっぱ遠くの親戚より近くのババアだわ」

 言うや否やババアに叩かれたが、それは先ほどのように力の篭ったものではなかった。表立っては言わないが、多分ババアは娘が一人増えたと喜んでいるのだろう。そろそろ行かないと遅刻するため、名前にじゃれつく神楽を引き剥がす。

「ほら、さっさと行くぞ」
「銀ちゃん!」

 神楽の首根っこを掴みながら歩き出すと、名前に呼び止められる。振り返ると箒を持ったまま満面の笑みを浮かべていた。

「いってらっしゃい」
「……おう」

 ニヤニヤする新八の頭を軽く叩いてから今度は本当に依頼主の元へと向かう。つい口許が緩んでしまいそうになるのを手で覆って隠した。

:)140328
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