「あ……」
「……おう」

 駅に着くと本日の電車は終了したとのアナウンスが構内に流れていた。慣れた足取りで改札をくぐり、家路につこうとした時懐かしい匂いが鼻をかすめる。反射的に、絶対にないだろうと思いつつも振り返れば、もう何年ぶりになるのだろうか。高校を卒業した時だから三年程前だ。懐かしすぎるその人もまた振り向いていて目があってしまった。嗅覚で人を感知できるなんて、なによりまだ彼の匂いを覚えていた自分に驚く。忘れかけていたことが、あの一瞬の匂いだけで昨日のことのように思い出せてしまう。それは懐かしく愛おしくもあるけれど、胸がきゅっとするような苦さも持ち合わせていた。
 思えば髪型も顔も全然変わっていない。それなのにを纏う雰囲気は、大人のものになっているような気がする。もう、私が知っている彼ではないのだろうか。別にそんなことはたいしたことではないはずなのにまた胸が苦しくなる。

「これから帰るのか?」
「うん。十四郎も?」

 肯定の返事のかわりに縦に頷いた十四郎は、人気のなくなった周囲を見渡すようにしてから、危ないから送っていくとだけ小さな声でいった。こういうところが変わってないなあ、なんて思う。

「じゃあ、お言葉に甘えて」
「おう」

 冬の刺すような澄んだ冷たい空気のなか、隣から十四郎の香りがふわりと漂うたびに、高校時代この匂いを感じた思い出がうかんでくる。くだらないようなことばかりだけど、今思い返せば全てが淡く尊い。そういえばどうして別れてしまったのだろうか。その部分の記憶は酷くあやふやだ。

「十四郎は今三年生?」
「おう。名前は?」
「勿論。十四郎は留年してるかなって思ったのに」
「銀高一の秀才が留年なんざするわけねーだろ」
「それは盛りすぎ」

 久しぶりなはずなのに。最初こそぎこちなかった会話も、何時の間にか笑って冗談をいうようにまでなっていた。まるで昔に戻ったみたい。そしてなにより、名前、と名前で呼んでくれたことが嬉しくて仕方がない。付き合う前は名字で呼ばれていたし、別れて三年がたった今、名字に戻っていても仕方が無い。そうは思ってはいても、実際名字と呼ばれていたら寂しくなっていたことだろう。こんな些細なことを、未だに気にかけてしまう。

「十四郎」
「ん?」
「彼女とかできた?」

 至極明るく、何も気にしてないかのような口調で言葉を放ったつもりでも、目を見たらダメになってしまう気がして真っ直ぐ前を見て笑う。十四郎の表情はわからない。

「いや、いねーよ」
「そっか」

 その言葉にも、また私は安心してしまっている。別に今までろくに連絡もとっていなかったのに、こういう時ばかり本当に身勝手だ。

「三年前から、ずっとな」

 一瞬、言葉を理解しきれずに頭と一緒に足も止まった。家まであと十数メートル。十四郎の声音がもっと茶化したようなものだったら、私も動揺しつつも平静を装っただろう。しかし、真剣な話をするようなトーンでしっかりと言うものだから。私はそのまま言葉をなくしてしまう。

「お前は」
「……」
「お前は、彼氏とかいんのか?」

 バクバクと煩い心臓に、急に顔に集まる熱。小さな声でやっと否定の返事を返した頃には、冷たかった私の両手は握りしめすぎて感覚がなくなってしまったようだった。
 私の言葉に対し、なんの返答もしない十四郎は、もう一度歩き出す。彼が私の数歩先を行ったあたりで、慌てて私も少し早歩きで歩き出した。
 十四郎は特に深い意味もなく言ったのだろう。ならば過剰に反応するのは恥ずかしいし勘違いだと思われてしまう。今の状況を私の中の事なかれ主義をフル動員させて、何もなかったことにしようとする。
 数歩先の十四郎が我が家の前にたどり着いた。ああ、終わってしまう。

「着いたな」
「うん。ありがと」
「ここに来るのも久しぶりなのに、足が覚えてるもんなんだな」

 付き合っていたころは、毎日一緒に帰って送ってもらった。あのころは十四郎と結婚したらなんて考えて、身勝手な未来を想像したものだ。優しい十四郎は不器用ながらもいつも私のことを気にかけてくれて、本当に毎日が楽しかった。

「うん。懐かしいね」
「あの角の煙草屋、まだやってんのか」
「うん。でもこの間までおばあちゃん入院しててさ、その間はお孫さんが店番してた」
「懐かしいな、よく買いに行った」
「高校生がこんなもん吸うんじゃないよっていつも言ってたよね」
「のくせに売ってくれんだよな」
「それね、イケメンだからしょうがないなって」
「あー、んなことも言ってたな」
「大学生になってから、よくあのイケメンはって聞かれたなー」
「へえ、俺のこと覚えてんのか」
「お気に入りだったみたいよーおばあちゃんがイケメンっていう人少ないもん」

 本当に思い出に浸っているわけじゃなく、この空気を抜け出したくない思いで、十四郎との会話を続けている。思い出を懐かしむ気持ちがないと言ったら嘘になるけれど、この会話が途切れた時が私たちの最後になってしまう。きっともう暫くの間は会えない。

「ちょっと一服いいか」
「うん」

 だから十四郎がポケットから煙草を出したのをみて、嬉しく思った。この一本を吸い終えるまでは、私はここにいてもいいんだ。

「変わらないね」
「おう、やっぱこれが一番だわ」

 高校生の頃から煙草の美味しさはわからなかったけれど、この匂いは心を落ち着かせてくれる。多分駅前で十四郎の匂いに気づいたのも、煙草の銘柄が変わっていないことが大きい気がした。
 たくさんの思い出を思い浮かべているうちに、煙草はどんどん短くなっていった。それを見ながら、一人寂しい気分になる。そして思い出した。私たちはまともに別れてすらいないことに。小さなすれ違いと、くだらない意地に雁字搦めになっていたあの頃の自分を思い出す。

「ん、付き合わせて悪かったな」
「ううん。こちらこそ、おくってくれてありがとう」

 火を消しながらそう言った十四郎に、私もなるべく自然な口調になるように返す。

「気をつけてね」
「おう、じゃあ」

 十四郎の言葉も自分の言葉も、どちらも違う世界のもののように遠くのことのよう。このまま何も言わないままでいいのだろうか。でも、何を言えばいいのかもわからない。第一、あの頃のことを謝ることもしていないのに。

「なあ、」
「え」
「近いうち、連絡する」

 唐突に、立ち去ろうとして私に背を向けていた十四郎が振り向かないままそう言った。

「俺は、別れたつもりはないから」

 ほうける私にそう言い残し、十四郎は振り向かずに歩いて行った。自分の事なかれ主義に心底嫌気がさしたと同時に、漂う煙草の残り香に一筋涙が零れ落ちた。

:)140322
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