※バレンタイン「ぜんぶ、雪のせいだ」の続きです。
あの雪の日以来、私は坂田先生と会っていない。と、いうのは語弊が生まれそうだが、勿論同じ職場な為顔を合わせることは多々あれど、プライベートでは会っていないという意味だ。原因は坂田先生と私の両人にある。坂田先生の場合は毎年のことだが、散々サボってきたツケが年度末に回ってきているということ。私の場合は単に期末試験の忙しさと、初めて次の一年生の担任を受け持つことになったことで、不慣れな準備などが重なったこと。必然的に夜遅くまで残ることや、家に仕事を持ち帰ることが多くなり、休みの日も研修やらなにやらで、デートなんてしている余裕がなかった。
というのは、事実でありそうではない。勿論忙しくてデートなんてしている時間がないのは確かだが、本当に会いたければ学校帰りでもなんでも二人の時間を作ることは無理ではない。それをしないのは、私が少し坂田先生を避けているということが原因な気がする。
あの雪の日、学校を後にして私たちはホテルに向かったわけで、言わずもがなそこで身体を重ねた。しかも私の経験上かなり濃厚なレベルで、気がついたら夜だったというほどだ。そしてそのまま私たちは朝まで一緒にいて、時間をずらして別々に登校した。セックスをしてあんなに気持ちが良かったことも、あんなに求め求められたことも初めてだったために満ち足りた気持ちになった。けれど、いざ冷静になってみるとあんな乱れた自分を見られたという羞恥心と、坂田先生を見るとあの時のことを思い出してしまい、顔を合わせ辛くなってしまった。加えて私は坂田先生から交際の申し込みをされた覚えがない。もしかしたら付き合っていると思っているのは自分だけで、坂田先生はただのセフレ程度にして思っていないのではないかという疑念までわいてくる始末だ。
元々メール電話などをあまりしない通信無精も祟り、そのことについても坂田先生とコミュニケーションがとれていない。
ここ一ヶ月、そんなことを考えながら悶々としていて、その思いを払拭するようにひたすら仕事に向かっていた。
「名字先生」
職員室で噛り付くように机に向かう私に声をかけてきたのは服部先生だった。
「ちょっとこれ、手伝ってくれません?」
来年同じく新一年生をもつことになる服部先生に頼まれたのは、今の三年生関連の書類の処分であった。多分来年学年主任となる服部は私以上に忙しい為快く引き受けたのはいいけれど、これはただの力仕事だった。倉庫にある段ボールいっぱいの紙の束を、本当に不要なものだけなのか選別するのは結構面倒で、その上段ボールは大きいものが三つ。選別後の焼却炉まで持って行くことを考えると憂鬱だ。
一心不乱に一枚一枚確認していると、倉庫に人が入ってきた。多分服部先生が手伝いに来てくれたのだろうと、顔もあげずに「すみません服部先生」と言うと、暫く経っても返答はない。不思議に思って顔を上げると、そこには予期せぬ人物が立っていた。
「なに、イボ痔の方が良かった?」
「坂田、先生……」
少し不機嫌そうな坂田先生が、私を上から見据えて煙草に火をつけた。
「なにしてんの」
「書類の、選別を……」
「これ全部?」
「はい」
しゃがみこんでペラペラと段ボールの中の紙をめくる坂田先生は、そのまま煙草片手に選別を手伝ってくれた。動揺を隠すように、私は黙々と書類に向かう。時折坂田先生の「こんなのいつまでとっておいてんだよ」などの独り言が響くが、それになんと返していいかわからないまま、会話も何もないあまりにも気まずい時間が過ぎてゆく。
ふいに香る坂田先生の煙草の匂いに、胸がきゅっと苦しくなった。
「ねえ、名字先生」
「は、はい」
「なんで俺のこと避けてんの?」
暫くの沈黙の後、急に坂田先生が口火をきった。その内容はあまりにも直球すぎて、顔をあげれば坂田先生の目が真っ直ぐに私を見据えていた。
「さ、けてないです」
「じゃあなんで電話もでねぇし、俺が職員室入ると出て行ったり、他の人と無理に話そうとるするわけ」
「そんなこと……」
バレていた。気づかれないようにわざとしていたことが、全て坂田先生には筒抜けだったのだ。こんな恥ずかしいことはない。
「ねえ、俺名字先生になんかした? あーいや、したっちゃしたんだけど、そういうことじゃなくて。なんつーのかな、嫌だった?」
坂田先生が言わんとしていることは、あの雪の日のことなのだろう。嫌だったわけがない。それでも、この気持ちをうまく言葉に表すことができない。
「俺が強引に誘ったから、断れなかっただけ?」
「ちっ違います」
「じゃあなんで避けんの」
全てのことを話せたらどれほど楽だろう。でもそれを口にしたら、坂田先生にどう思われるのか。そんなことばかりを気にしているから、私は坂田先生をこんな顔にさせてしまうのかもしれない。
私を見据える坂田先生の視線が真っ直ぐすぎて、彼の目を見ようと頑張っても十秒ともたない。
そんな私に苛立ったのか、坂田先生は立ち上がり目の前の段ボールを跨いで私のすぐ目の前にきた。反射的に仰け反るように距離をとろうとすると、坂田先生はそれを逃すまいと私の肩を掴んで引き寄せた。
「ねえ、ちゃんと俺がわかるように説明してよ」
「っ坂田、先生」
じいっと私の目を見る坂田先生の真剣な眼差しに耐えきれなくなり、ゆっくりと息を吐くように深呼吸をした。
「恥ずかしくて……」
「え」
「さ、坂田先生のことみるとあの日のことを思い出しちゃって恥ずかしくて……」
「それだけ?」
「あ、あと、坂田先生は私のこと、セフレにしか思ってないのかな、とか思って……」
「は、え? なんで? 俺なんか変なこと言った?」
「付き合ってとか、言われてない、ので……」
恥ずかしさから言葉尻が窄まるように小さくなっていく。口に出すことで余計に恥ずかしさが増し、顔に集まる熱に鏡を見なくても今の自分の顔が真っ赤なことがわかった。
恥ずかしさのあまり顔を坂田先生の胸に埋める私に坂田先生は、あーとかうーとか言葉にならない声を上げた。
「一つ確認してい?」
「は、い」
「俺のことは嫌いじゃない?」
坂田先生の問いかけに縦に頷く。嫌いだったら、こんなことで一ヶ月も悩んだりしない。
クイ、と坂田先生の指が私の顎を持ち上げて、視線が交わる。坂田先生の視線が少し熱っぽく潤んでいて、色っぽいなと見入ってしまう。
「じゃあ、俺のこと好き?」
視線を交わらせたまま、小さく縦に頷く。すると切羽詰まったような表情をした坂田先生の顔が近づいて、唇と唇が触れ合った。久しぶりの坂田先生の唇は熱く、一瞬であの雪の日の感覚をリアルに思い出す。
「顔真っ赤」
「仕方ないじゃないですか」
「ねえ、名字先生。今日が何の日か知ってます?」
あの日と同じ問いかけ。坂田先生は少し意地悪に笑った。
「えっと、ホワイトデー……ですよね」
「そ。ホワイトデーってなにする日だっけ?」
「バレンタインデーのお返しをする日です」
言い終えるや否や、もう一度坂田先生の唇が降ってくる。
「色々考えたんだけど、まあ、あんまいいのが浮かばなくて」
「い、いえ……そんな気を遣わないでください」
「まあまあ、で、今夜の夕飯は俺が振る舞うってことでどうすか」
少し私から視線を逸らし、白衣のポケットから鈍く銀色に光るものを取り出し私の手のひらに乗せた。
「これって」
「俺は付き合ってもない女に合鍵なんて渡さないんで」
「さ、かた先生……」
「折角の一ヶ月記念なわけだし、名前も名前で呼んでくれます?」
急に名前を呼ばれ、途端にまた顔に熱が集まる。名前を呼ばれただけでここまでに反応を示すだなんで、こんなにも初々しい感情は坂田先生に対してだけだ。
「ぎ、銀八……さん」
「八十点。でもまあ、良く出来ました」
優しく頭に乗せられた手のひらの体温が心地よくて、少し背伸びをして自分から唇を重ねた。
:)140313