アンニュイで少し周りとは違うような雰囲気を醸し出す名字は、今のクラスでも浮いているらしくたまに見かければ一人で本を読んでいることが多かった。そんな名字とは一年の頃クラスが同じで席も隣だったことから知り合った。お互いに積極的にクラスに馴染もうとする方ではなく、あの頃は自然と二人でいることが多かった。とはいえ、俺はあまり学校に来る方ではなかった為、俺が休んだ大多数の日々の名字のことは知らない。
 
「っ!」

 だから、そんな名字が廊下を走るなんて似合わないし、ましてや涙を流しているなんて想像もつかなかった。

「たか、すぎくん……」
「名字」

 俺にぶつかったことで尻餅をついた名字は、顔を赤くさせ目に涙を浮かべていた。こんな極端に感情を露わにする名字は初めて見た。俺は平静な名字しか見たことがない。
 スピーカーから授業開始を伝えるチャイムの音が聞こえた。元々帰るつもりだった俺は勿論だが、走ってきた名字もチャイムの音を気にする素振りは見せなかった。一体こいつは何処に向かおうとしていたんだろう。
 無言で手を差し出せば、名字は「ありがとう」と言ってその手を掴んで立ち上がった。まだなお目にいっぱい涙を溜めているただならぬ様子の名字を目の前にして、俺はどういうわけか、咄嗟に「うちに来るか」と聞いてしまった。そして名字もどういうわけか縦に頷いた。

「お邪魔します……」

 学校からここまで、名字とは一言も口をきかなかった。名字は俺の後ろを俯きがちについてくるだけで、家に着いても名字はソファではなく床に正座する。俺も一度ソファに座ってはみたが、どうも居心地の悪さを感じて、逃げるように珈琲を淹れに行った。
 ローテーブルに名字の分の珈琲を置き、俺はソファに座ってから一口飲んだ。インスタントにしては美味い。これからはここのメーカーのを買うことにしよう、なんて生活感溢れることを考えていたら俯いていた名字が顔をあげた。そして、「ありがとう」と言ってカップに口をつけた。数十分ぶりにまともに名字の顔を見たが、涙は乾いたようで、それからはじっとローテーブルの上にある灰皿を見ていた。
 沈黙は思いのほか続いて気まずいことは気まずいが、テレビをつける気にもなれないし、かと言って音楽をかける気にもなれなかった。視線のやり場は自然と空に向かう。曇り空からはパラパラと雨が降り出していた。早くに帰ってきて正解だったと思う。

「……高杉君の家って学校から近いんだね」
「ん、ああ、まあな」

 急に話し始めたと思えば、そんなことかと内心突っ込みを入れたくなった。依然として、名字は灰皿を見つめていて視線を俺には向けない。名字に一体何があったのか、気にならないと言えば嘘になるが、それをわざわざ聞き出そうとも思えなかった。もしこのまま落ち着いて、名字が帰ると言い出せばそれはそれでいい。

「ありがとね、高杉君」
「……なにが」
「高杉君のおかげで、落ち着いた」

 やっと俺に視線を寄越した名字は、「やっぱり高杉君は優しいね」と言って緩く笑った。その笑みを見て寂しく感じるのは何故だろう。

「私は好きな人がいたんだけど」
「おお」
「さっき振られました」

 また、名字はへらりと笑った。俺は恋愛相談をされるような質ではないから、こういう経験は乏しい。それ故、何も言えなかった。でも、名字も俺に何かを言って欲しいようには思えなかった。

「多分、このことを知っているのはこれからもずっと、私とあの人と高杉君だけ。他の人に話す気はなかったのに、高杉君だけにはなんか話しちゃった」
「……その相手や俺が、言わないとは限らねぇだろ」

 名字は人と関わりをあまり持たないことで浮いてはいたが、見た目は整っている。そんな名字から告白されたとあっては、同年代のやつらであれば物珍しさや自慢から誰かに話してしまいそうなものだが。

「高杉君は、そういうことしないよ。それに、相手も言わない。だって、先生だから」

 噂が広まったら、ちょっとした不祥事でしょ。とまた笑った名字。先生、その単語だけで、俺の頭には一人の男が浮かんだ。他にも女達が騒ぐような若い男の教師だっているというのに。

「銀八か」
「……うん。」

 なんで野郎なんだ、とは言えなかった。それだけ、名字が銀八を好きという事実はすんなりと俺の中に入ってきた。そうか、名字は銀八が好きだったのか。

「まあ、いい。お前もこっち来いよ。床じゃ冷てぇだろ」
「ん」

 素直に名字は俺の隣に腰を下ろし、二人がけには少し狭いソファが沈んだ。ふと、思い出したかのようにポケットから煙草を取り出して火をつける。思えば家に帰っていつもならば一番にすることだ。一服目を吐き出し名字を見ると、視線は俺の指先の煙草に注がれていて尚且つまた目を潤ませていた。

「好きって言った時も、言う前も、先生は煙草吸っててね」
「ん」
「煙草を消してごめんなって言って、私の頭に優しく手をおいたの。それで、煙草の匂いのする手で、やっぱり優しく涙を拭いてくれたの」

 ボロボロとまた涙を零す名字の言葉を聞いて、何故灰皿ばかりを見ていたのかがわかった。俺も銀八も吸う煙草の銘柄が同じ。そういうことだ。
 普段の名字からは想像もできない程に泣きはらしたその表情をみて、衝動的に、煙草の煙を吸ったまま、名字の震える唇に口付けて、その咥内に煙を吐き出した。むせて咳き込む名字の瞳からまた一筋涙が零れた。
 一通り咳き込んで落ち着いた名字は、俺に抗議をするわけでもなく潤んだ瞳でただ俺のことを見ていた。その目が物欲しそうに見えるのは、何故なのか。しかし、深く考えるより先にまた名字に口付けていた。今度は煙を吹き込まず、角度を変え名字の唇を貪るように口付ける。そのままの状態で、左手に持っていた煙草を横目で見つけた灰皿に押し当てた。右手は頭を支え、空いた左手は背中を撫ぜる。

「た、かすぎ、くん……」
「嫌なら言えよ」

 ソファに沈んだ名字の身体に手を這わせる。濡れた唇は赤く、瞳は涙こそ零していなかったがやはり潤んでいた。

「高杉君」
「なんだ」
「やっぱり、高杉君は優しいね」

 そう言って笑った名字は、そのまま俺の背中に腕を回した。失恋したばかりの女に手を出した男が、優しいわけがない。しかし、「そんなわけあるか」と言おうとしたら、今度は名字に口を塞がれた。頭に浮かぶのは先ほどまでの無理して笑う名字の顔。それをかき消すように、俺はひたすら名字を求めた。
 雨音はだんだんと大きさを増していたが、俺たちがそれに気づくのはもう暫く先のことだった。

:)140219
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