新しい学年の始まり。学校の桜の木は薄桃色の花びらを散らしていて、花壇には色とりどりの手入れが行き届いた花があった。ゆったりとした暖かい風は柔らかく、期待に胸を躍らせそわそわした生徒たちの間を通り過ぎていく。
 新学期初日の今日、体育館で始業式が行われていることを知りながら、私は坂田とクラス編成の掲示を見て早々に坂田の家に帰った。
 家について早々に炬燵に入り込む私と、台所で珈琲を淹れている坂田。だらしない坂田の家は、四月になった今も炬燵が出しっぱなしになっている。ただ四月と言っても肌寒いし冷え性の私にとっては、坂田のだらしなさは有難くもある。次第に珈琲の良い香りが広がって、台所から炬燵のあるこのリビングまで届いた。

「ん」
「ありがと」

 坂田から手渡された橙色のマグカップはほとんど私専用のようになっていて、息を吹きかけてからそれを口啜る。吹きかけなかった坂田はアチッと言って顔を顰めた。それ以来私たちは一言も口を開かない。静けさ故に、時計の音が大きく感じる。普段から私は多く喋る方ではないけれど、いつもは煩い坂田までも口数が少ないのは、きっとあのクラス替えの所為だろう。
 二年間同じクラスだった私と坂田は、今年、とうとう別のクラスになってしまった。でも坂田はどこにだって知り合いがいる。どこのクラスになったとて、楽しくやっていける。問題は、私だ。坂田以外の友達なんてゼロに等しく、社交性もロクにない私を、きっと坂田は心配してくれている。坂田のその気持ちがわかるから余計何を言っていいのかわからない。
 実のところ、私はこのクラス替えをそこまで気に病んではいない。勿論坂田がいないクラスでうまくやっていけるわけはないし寂しく思うことは事実だ。だけど私は私で、一人で本でも読んで退屈を紛らわす術を知っているし、三年のクラスなんて受験だなんだと個人プレーに徹しがちで、皆自分のことにいっぱいいっぱいになることは目に見えている。それにそもそも、私はあまり学校に行かない。
 この考えをそのまま坂田に伝えられたらいいのだけど、言ってしまえば私が強がっていると思って坂田はきっと余計に気を回すだろう。

「……なに?」

 坂田が炬燵から出たと思ったら、私の隣に無理矢理移動してきた。私の問いに答えずに、坂田はぐりぐりと私を押して炬燵に入り込む。テーブルの上の珈琲が揺れる。

「坂田どうしたの、珈琲零れちゃうよ」

 揺れる二つのマグカップを気にしつつ坂田を見ると、どういうわけか思いつめた顔をしていた。もしかしたら、クラス替えではない何か別のことを考えているのだろうか。いきなりの坂田の奇行の理由に考えを巡らせていると、炬燵の中で私の左手の上に坂田の手が被さった。突然のことに坂田を顔を見ようとしても、坂田は顔を反らして、それでいて私の左手をそのまま強く握った。手を繋いでいる。そう思った途端、気恥ずかしくなった。男の人と手をつないだことが初めてというわけでもないというのに。

「こんなに寂しく感じてんのって、俺だけなわけ?」
「え……」
「名前は、俺と違うクラスになんの、嫌じゃねーの?」

 やっと私の方を向いたその表情は真剣なのに、普段の坂田を思えば想像もつかないほどに寂しげだった。坂田の手は驚くほど熱く、冷えた私の手まで暖める。
 私を射抜く真っ直ぐな瞳は、有無を言わせぬ強引さと、小動物のような放っておけないと思わせる何かを総苞していた。その瞳を直視していられない思いから、答えをはぐらかすように坂田の右肩に私の頭を預けぴったりと寄り添う。遠くに坂田の心音が聞こえるような気さえした。

「私も、坂田と同じだよ」
「違う」
「違わないよ」
「俺は、俺の知らないところで名前が他の男と仲良くしたり、俺の知らない名前が増えていくのが嫌だって思ってんだぞ」

 同じ言葉で、同じニュアンスで。明確なことを言わずに今日まで来たツケが回ってきたのだろうか。坂田はダムが決壊したように、心の内を吐露していった。私はいつかこうなることをなんとなく、わかっていた。そして、その坂田の思いを嬉しいと思いながら、自分も坂田に好意を寄せていながら、この特別な関係を壊すことを恐れていた。友達ならずっと坂田の隣に居られるけれど、恋人同士になってしまったらいつかくる別れの時を考えずにはいられない。私は臆病で、小心者だ。
 やはり言葉にすることが怖い私は、坂田の膝に手を置いて、自分の唇を坂田のそれに重ねた。自分の気持ちをうまく表現する言葉が見つからない。一瞬目を見開いて息を飲んだ坂田は、両手を私の背中と頭に回して角度を変えてまた唇を重ねた。

「俺は、名前が嫌んなるまで側にいっから」

 ハッとした私に、ようやくいつもの余裕を取り戻した坂田は不敵に口角をあげた。そして坂田は私の唇を食むようにしてから咥内に舌を捻じ込んだ。舌は頬裏や歯茎をなぞって、何度も出入りを繰り返す。上唇や舌を吸われ、口端からどちらともわからない唾液が伝う。坂田にされるがままになりながら、私は坂田の優しさと察しの良さに甘えて背中に回す腕に力を込めた。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -