(しんどい、なあ。)

積み重なった段ボール箱を一つ一つ丁寧に退かす。開け放った窓から生温い風が吹き込んできて、明日香は顔を上げた。遠慮なく注ぎ込んだ西日が、部屋を朱色に満たしている。
カーテンはどの箱に仕舞っただろうか。明日香はぼんやりと周囲を見渡したが、結局諦めて再び大量の荷物と格闘する作業に戻ることにした。

新生活ってもっとこう、ウキウキするものだと思っていた。でも実際はこうである。故郷からはるか遠くの地方の学校に配属されてしまったのが全ての元凶だった。当然知り合いなどひとりも居ないし、兄は心配したけれど、彼にだって自分の仕事があるから簡単には呼び出せない。
ひとりで部屋の片付けをしていると妙に寂しい気持ちになって、明日香はふと傍らの携帯電話に視線を移した。
簡単なことなのだ、きっと。
彼は電話をかければ嫌な顔一つせず応えてくれる。笑ってくれる。わたしに都合のいい温かな言葉をかけて励ましてくれる。
だけどこんなところで甘えてしまったら、これからもっとつらい現実にぶち当たったとき、きっともう二度と立ち上がれないってくらいぼろぼろになってしまう、気がして、
だから、すこしくらい苦しくても我慢しようと思っていた。発信ボタンを押すのは、もっと本当に、どうしようもないピンチに陥った時。
そう決心していたのに、携帯からふらりと目を離した瞬間、着信音がけたたましく鳴った。

「…もしもし?」
相手が軽く息を飲むのがわかる。お互い、電話はそんなに好きじゃなかった。顔は見えないのに耳ばかりくすぐったくて、どういう顔をしたらいいのかわからない。
それでも明日香はなんとか平静を保って名を呼んだ。
「十代?きこえてる?」
『おあ、う、ん、ああ』
どうしたのよ急に、と言って笑うと、十代はちょっと間を置いて、べつに、と小さく呟いた。
『引っ越し、今日だって聞いたから。もう片付いたのか?』
「うん。そんなに荷物なかったから大丈夫」
明日香はそう言いながら、部屋中の床を埋める段ボール箱をじとりと睨みつけた。
『ひとりなんだろ、そっち。戸締まりとか気をつけろよ。お前案外抜けてるところあるからなあ。飯とかちゃんと作れるのか?コンビニ飯ばっかだと体調崩すぞー』
「失礼ね!食事くらい作れるし、抜けてなんかいないわよっ」
言い返しながら、そういえば今夜は何を食べよう、と考えている。作る気力はこれっぽっちも残っていなかった。第一食器も調理器具も箱の中だ。あとでコンビニにでも買いに行こう。
『まあ何はともあれおめでとう、天上院先生。夢が叶ってよかったな』
十代はなんだか照れくさそうにそう言って、受話器の向こうで笑っていた。
そうだ、教師になるのが夢だった。ずっとずっと追い掛けていた夢をわたしは今やっと叶えてこの場所へ来たのだ。
ワクワクしないはずがない、
のに、
「…うん。ありがとう、十代。わたし頑張る」
なんで憂鬱だったのだろう。











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