おやすみのひ


「43戦21勝1引き分け」
「なんだか綺麗に割れたわね…」

久しぶりの休日にカップルが屋内に閉じこもって嗜むことといえば―――この二人の場合はもちろん、デュエルである。

のんびりと起床して、朝食兼昼食をとってから今現在まで、ひたすらデュエルしていた。
日はすでに傾いている。


机の上のデッキを眺めながら、十代はやや不満そうに唇を尖らせていた。

「くっそ〜…昔は明日香に負けたことなんて無かったのにな〜」
「何言ってるのよ。わたしだって教師をしている以上、簡単に負けるわけにはいかないの。」
そんな十代にぴしゃりと言い放ち、明日香は洗濯物を取り込もうと席を立つ。
その間十代はひたすらうんうん唸ってデッキの調整をしていた。

明日香は本当に強くなった。
もともと人一倍のプライドを持ち、デュエルを心から愛していた彼女は強かったが、
大人になり教師という職業に就いて、その腕はまた一段と磨かれていた。

素直に、すごい、と思う。

だがそんな彼女の努力の結果の前に立たされて、十代は言いようのない不安感に駆り立てられていた。


(変わっていく、俺の知らない場所で。)

てきぱきと家事をこなす明日香の背中をぼんやりと見つめながら、十代は深く息を吐いた。




「なあ、あと一戦」

夕食を済ませた後、さっさと机上を片付けてしまってから、十代は相変わらずの笑顔で明日香に迫った。
こうすると彼女は断れないのだ。

「もう…仕方ないわね…」
いつもの台詞を呟いて、十代のデッキを切り始める。
手名付けたつもりなのに逆に手名付けられていようとは、微塵にも思わない明日香であった。

「あと一戦で俺の勝ち越しに一票!」
「いいえ、わたしが勝つわ。」
きっぱりと言い放つ明日香に、十代はにやりと笑みを浮かべて挑戦状をたたきつけた。
「じゃあお前が勝ったら、キスしてやる。」
「っはあ?」
何の脈絡もないようなその発言に、明日香は思わず素っ頓狂な声を上げる。
べつにそんなの欲しくないわ!と言いかけた唇の前に、十代の人差し指が突きつけられた。

「ただし!俺が勝ったら明日香が俺にキスすること!さーいくぜっ!デュエッ」
「は?え?な、なにを勝手に…!」
「俺のターンだっ」

完全に十代のペースに乗せられてしまっている。
明日香はとにかく自分の教師としてのプライドをかけて、勝利に全力を尽くすことにした。





「「引き分け…?」」
どうしようもなくなった手札と場とを交互に見つめて、二人とも情けない声を上げた。

「ねえ、この場合、もう一戦するのよね?」

時刻はすでに日付を跨いでいた。
いくら明日も休日だからといっても、さすがに疲れた。
風呂にも入れていない。
明日香はげんなりとした表情で、目の前の十代の顔を覗きこんだ。

「ん?ん〜…どうするかな〜…」
「もうわたし疲れたわ。続きは明日でいいじゃない?早くお風呂入って寝たいな。」
そう言って立ち上がろうとした明日香の腕を引っ張って、制止する。

「なに、じゅうだ…」
もう今日は嫌よ、と拒もうとした唇を、唐突に、十代のそれが塞いだ。


「な、な、な、」
真っ赤になって口元を拭う明日香を見て、十代は意地悪げに微笑んだ。
「だって、引き分けだったんだから。なあ、次は明日香の番だろ?」
「なっ、な…なに言ってんのよ!勝手に…!」
「はーやーくー」

そんなこと言われても、と、明日香は涙目になる。
第一自分からなんてしたことがない。
どうしていいかわからずに、十代の前に膝をついたまま硬直してしまう。

「明日香?」
「……」
「あすりーん?」
「う…うるさいわね……ちょっと待ちなさい…」

明日香は硬直したまま、耳まで真っ赤になってじっと十代の鎖骨のあたりを見つめている。
だいたい理不尽すぎるのだ。
なんでわたしがこんなに恥ずかしい思いをしなくてはならないのか―――ねえ十代、と、反旗を翻そうと顔を上げた明日香の両頬を、十代ががっちりと挟んだ。
どうあっても逃がさないつもりだ。
明日香は腹を括った。
一瞬、たった一瞬だ。

かたく目を閉じて、いつも彼がそうするように、首を傾いで、すこし前へ、

「っだ!」
ごち、と、鈍い音とともに、十代が呻き声を漏らし、後ろに倒れた。
その体の上に跨った格好のまま、明日香は目をぱちくりさせる。

「あすりん…それ…キスじゃなくて体当たり…」
「えっ?あ、ごめん、痛かった!?」
じんじんと痛む口元を抑えて、十代は上半身を起こした。
まさかそうくるとは…。
まったく予想外の被害をもたらしてくれた当の明日香は、おろおろしながらこちらの顔を覗きこんでいた。
「大丈夫?ごめんなさい…歯、折れたりしてない…?唇も、切れちゃったかな…」
自分の不甲斐なさに、今にも泣き出しそうである。
目尻に涙を浮かべながら心配そうに表情を曇らせている明日香は普段の彼女とは似ても似つかないほど頼りなく、弱々しくて、

「かっっっ、わいいなあもう!」
突然がばっと前から抱擁され、明日香はわけがわからずにただただ目をまあるく見開いた。
ぎゅうぎゅう抱き締められて、息が苦しい。
「ちょ、ちょっと!十代…!」
「かわいいかわいいっ!明日香は不器用だからなー!」
「なによ。バカにしてるの?」
「ちがうちがう。あー…もう今日はデュエルいいや。同率で引き分け!」
明日香はほっと胸を撫で下ろす。
十代のことだから、勝敗が決まるまで延々とデュエルする可能性もあり得る…と思っていたのだが、さすがに彼も疲れたらしい。

そういうことならば早く風呂に入って床につきたいのだが…

「ねえ十代、離してくれない?」
緩められる気配のない抱擁に、明日香はとうとう抗議の声を上げた。
しかし十代は離すどころか逆に力をこめ、ぎゅう、と明日香の身体を抱きこむ。

「ちょ…ちょっと……」
「唇切れた」
「え?…っん」
食むように、唇を塞がれた。
長い舌が、明日香の整った歯列を割って、口内に忍び込む。
べろり、と口腔を舐め、柔らかな舌を絡めとると、薄く開いた目の前で、彼女の長い睫毛がふわふわと揺れた。
抱き締めた身体から面白いくらいに力が抜けていく。
逃げようとする頭の後ろを左手で支えて、さらに深く噛みついた。



恐る恐る差し出した舌が彼の唇に触れた。
血の味がする。
やっぱり切ってしまったんだ、と、明日香は僅かな罪悪感を覚えるが、元々は十代の言い出した理不尽な罰ゲームが原因なのだ。
わたしは全力をつくしたし、それで怪我をさせてしまったのは申し訳ないとは思うが、そもそもあんなことを強制した十代が悪い。

しかしそれでも怪我をさせてしまったのは事実。
明日香は僅かな罪悪感を頼りに舌を伸ばす。

痛みを与えないよう、割けた傷を塞ぐように、優しく、優しく。
まるでミルクを掬う猫のように。

もどかしくくすぐるようなその刺激にしびれを切らし、十代は明日香の身体をぐ、と床に押し倒した。

さすがの明日香も我に帰る。
風呂にも入っていないのに、居間でそんなことができる筈がない。
構わず首筋に顔を埋め服に手をかけようとする十代の胸元を渾身の力で押しのけて、明日香は慌てて言った。

「ストップ!ストップだってば!!先にお風呂!ね?」
「なに?一緒に風呂に入りたい?」
それならばと身体を起こした十代の腕からさっと抜け出して、明日香は近くにあったティッシュの箱を彼めがけて思い切り投げつけた。
「だれもそんなこと言ってないでしょ!いい?覗いたら歯の一本や二本じゃすまないから!!」
「あ…明日香先輩こわいドン…」
「わかったわね!!」ぴしゃん、と、脱衣所の扉が閉じられる。
眼前で受け止めたティッシュの箱を意味もなく弄びながら、十代はぽつりと呟いた。

「…どう思う、ユベル」
すると、十代と風呂場にいる明日香以外には誰もいない筈の部屋に魔物の声が響いた。
「十代、歯の一本や二本どうってことないよ!ぼく、あすりんとお風呂入りたいな〜♪」
(…大人しくしていよう。)
予想通りの応えに十代は溜め息をついて、珈琲でも淹れようと台所に赴いた。
時計の針は午前一時を指していた。


まだまだ長い夜になりそうだ。









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