2012/05/15

きょとんと首を傾げる少女を前に、十代は笑顔をひきつらせた。
まずいことをしてしまった。
過去に干渉することは未来を変えると言うこと。即ち人の過去をも書き換えてしまうということだ。
『……だから言ったじゃないか』
やれやれ、とひどく呆れた様子で魔物は姿を現した。…といっても明日香にはその姿は見えていない。
『いつもいつも、迂闊なんだよ君は』
魔物――ユベルはじとりと十代を睨み付け、続けて遊星の方へ視線を向けた。
彼も明日香と同じくきょとんとしていたが、暫くして状況を悟ったのか、バカにしたように十代を見下ろすユベルの姿を見て苦い笑みを漏らした。
「遊星、この人……」
見知らぬ人物に名前を呼ばれ困惑しきった表情で、明日香は遊星の服の袖をぎゅっと掴んだ。
その様子を見た十代は、はっと我に返る。
「…い、やあ〜!アスカって俺の知り合いにすっげーよく似た子だなあ!ほんと似てる!!」
とぼけた様子でわははと笑う十代を見、遊星も覚悟を決めたようだった。
「偶然ですね。彼女も明日香という名前だそうです」
よくやった、遊星!!
うまく調子を合わせてくれた遊星に対し、十代は心の中で親指を立てた。
そうなの、と言って明日香はようやく表情を綻ばせる。
――自分の見知っている『明日香』すぎて、目眩がした。
「そ、それで?どうしたんだよ遊星?」
慌てて話題をそらそうとする。
明日香がはっと目をわずかに見開いて、恥ずかしそうに俯いた。
それを見た遊星が代わりに答える。
「兄とはぐれてしまったそうです」
吹雪さんと?と思わず口にしそうになって、十代は慌てて言葉を飲み込んだ。
俺は彼女を知らない。当然、彼女の兄とも面識がない。そういう設定だった。
そう考えを巡らせながらも、十代ははて、と、首を傾げる。
妹を目に入れても痛くないくらい溺愛しているあの兄が、容易く彼女を見失ったりするだろうか。

『……そんなことより、どうする気だい』
ユベルの声でハッとする。
(どうもこうもないだろ)
『あのねぇ……ここでは小さい明日香ちゃんを騙せたとしても、帰ればいつもの明日香の記憶は改変されてる。賢い明日香のことだから、きっと君のことをバッチリ覚えているだろうね』
(う……)
それはなんだかまずい気がする。
どうしよう、と情けない顔で見上げてくる十代を見、ユベルはやれやれとため息を吐いた。

DA時代からトンデモ展開のオンパレードに散々遭遇してきた明日香のことだ。今更「記憶の改変」なんて実害の少ない事件で驚くはずがない。
けれども彼女はきっと、十代が何故過去に行ったのか、また無茶をしたのではないかと余計な心配をするはずだ。
そうしてさらに厄介なのが、彼女がそれを十代自身に問いただそうとしない点なのだ。
十代の自由奔放な生き方を否定しないための彼女なりの配慮なのだろう。それにたとえ訊いたとしても、十代はうやむやにして逃げてしまう。そしてそれは十代なりに明日香を心配させないための気遣いなわけであって、けれども何も知らない明日香は遠くで無茶をする十代を心配して気を揉んで……
そんな展開がお馬鹿な十代にも読めるのだ。だからこの状況をなんとかしたい。そういうことだ。

ああいやだ、なんで人間ってこうなんだろう。
心底うんざりしながらユベルは首を横に振った。こんなに馬鹿で回りくどい人間たちの手を取り足を取り世話をする羽目になってしまっている自分も自分だ。しかもよりにもよって、この目の前でぽかんとしている小娘のためにだなんて。

『……記憶を操作することはできるよ』
ため息混じりに魔物は告げる。
(本当か!?)
十代は瞳を輝かせ、ユベルは無愛想につんと空を仰ぎ見た。
『心の闇を、部分的な記憶ごと食べちゃうんだよ』
(心の闇って……)
そんな都合よく、と眉を寄せた十代を、ユベルは険しい表情で見下ろした。

『まだ気づかないのかい?』

次の瞬間、自分達より少し離れた場所で爆発音が響き、白い煙が立ち上った。




もしも君に、3





2012/04/18

「恋なんてしなければ良かった」

ため息混じりに吐き出す声は重い。

憂鬱そうに伏せた瞳で地面に散った花弁を見つめる。沢山のひとに踏みしめられて地面に貼りつき茶色くなったそれは、なんだか哀れだった。

「ボクはそうは思わない」

きらきらと輝く瞳は空を仰いで、はらはらと雪のように降りしきる花弁を追った。
薄紅色のそれは、視界をぼんやりと霞ませてゆく。暖かくって、心地よくって、うきうきする。

「…わたしとあなたは違うわ」
「そうかな?」

ゆらりと明日香の方に視線を寄せたレイは、次の瞬間思わずぷっと吹き出した。
「明日香先輩、頭」
ヤダ、と言って、明日香は頭に積もった花弁を迷惑そうに払い除ける。
「レイちゃんだって、頭の上、すごいわよ」
拗ねたように指を指す明日香を見、レイはくすくすと笑った。

「恋ってこんなに楽しいのに」











2012/03/30

十明日+ヨハレイっぽい

*

「……………」
「なに、その顔」
目の前で盛大にずっこけてめいいっぱいに丸くした目をこちらに向けているヨハンを見、十代は気分を損ねたように唇を尖らせた。
だっておま、それって、とヨハンは思わず十代を指差す。
「結婚するのかよ十代!!」
「っだあ!!違う!!チガウ!!!なんでそーなんだよ!!!」
ヨハンは話を聞かない。
そうかそうかやっと決心したのかおめでとう幸せになれよなどと勝手なことをすらすら呟いて、ぽんと軽く十代の肩を叩いた。
十代は頬を真っ赤に染めて、違う!黙れ!!と叫びながらヨハンの腕をとり後方に思い切りねじり上げる。
「ギャア痛い!!ギブ!!十代、ギブだって!!!!」
「お・ま・え・は!ちょっとは人の話を聞きやがれ!!!誰が…け、結婚するって言ったよ!!ああ?」
「だってお前が指輪を見に行きたいとか言うから…!」
「だっ、だから!!誕生日なんだよ、あいつの!!」
うわあ耳まで真っ赤。おもしれえ、とつい出そうになった言葉をヨハンは思わず飲み込む。
腕は未だ捕らえられたままだった。
「誕生日に指輪を贈るのか?洒落てんじゃん十代」
「だ…だって、女は喜ぶんだろ、そういうの…」
柄にもなく照れてもじもじしだす十代の姿が微笑ましくて、ヨハンはにやにやしながら彼の胸元を肘でつついた。
何だよ何か文句あるのかよ、と言いたげに十代は眉間を寄せる。
「理由はわかったけどさ、男二人でアクセサリー屋で指輪見るって、結構キモいと思わねえ?」
ヨハンのくせに至極まともなことを言う。
けれども今までそういった買い物を全くといって良いほどしてこなかった十代は、ひとりで品定めができる自信などちっとも持っていなかった。
だから日本にたまたま遊びに来ていたヨハンに助けを乞うたのに。
そう話すと、流石のヨハンも呆れてじとりと十代を睨みつけた。
「お前まじでそうなの?例えば去年の誕生日は何してたわけ?何かあげたのかよ?」
「い、や…去年は…俺、南の方に居たから…」
「南?」
「や、何か、ヤシの木とかあるとこ」
ハワイかどっかかな、と適当に見当をつけて、ヨハンはため息を吐いた。
「つまり、何も特別なことはしなかったんだな」
お前らよくそれで保つよなあ。心底疑問に思う。
彼女の心労を思うとため息しか零れない。
じゃあどうすりゃいいんだよ、と十代は理不尽にも声を尖らせる。
ヨハンはちょっとだけ考えこんで、はたと何かを思いついたように顔を上げた。
「女の子に相談すりゃいんじゃね?」
「女の子って…」
誰だよ、と問うた十代の目の前で、ヨハンは早速自分の携帯を取り出し目的の電話番号を押している。
このとき十代が感じた嫌な予感は見事に的中することとなるのであった。


「あーっ!久しぶりだね十代!!も〜全然連絡してくれないんだもんっ心配してたんだからね!」
ヨハンに引きずられてやってきた駅前で待っていたのは後輩の早乙女レイだった。
細長い腕をぶんぶんと振り、此方に向かって走り寄ってくる。
身長が随分と伸びて顔付きも大人らしく成長していたが、さらさらと顔の横で揺れる真っ直ぐな黒髪や愛嬌のある丸い瞳は昔の面影をしっかりと残していた。
「俺も居るぞレイ」
十代との久々の再会に喜ぶレイの横で、ヨハンがほらほらと自分を指さす。
それをああはいはいと軽く受け流してレイはさっさと十代の腕を絡め捕った。
「なに?お前ら仲良かったっけ?しょっちゅう会ってんの?」
「う、ぶっ」
「違うよ!友達、友達!」
十代の質問に答えようとしたヨハンの腹部に軽いパンチを入れて、レイはあははと誤魔化すように笑った。
「あたし今アカデミアの院に居るんだけど、卒業したらヨーロッパに行こうと思ってるんだ。だからあっちの言葉とか習慣とかいろいろ教えてもらってるの!」
だから全然そんなんじゃないからっ!そう言って十代の腕をぐいぐいと引っ張る。
ちらりと垣間見えた彼女の頬は、微かに赤かった。


「ねえねえそれで、どんなの贈りたいか大体は決めてるの?」
アクセサリーのブランドショップが立ち並ぶ街の一角までやってきて、レイは足を止めて横の十代を見上げた。
十代はううんと首を捻る。実はというと、何も考えていない。
素直にそう伝えると、レイも先ほどのヨハンと同じように呆れ顔でじとりと自分を睨んできて、十代は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「明日香先輩も大変だなあ…」
思わずレイが零した言葉に、一歩後ろに立っていたヨハンもこくこくと頷く。
情けないが、ぐうの音も出ない。
「予算は?」
「結構ある」
そう言ってズボンのポケットから財布を取り出し、中身をレイに見せてやる。
レイの瞳が驚きでまあるく見開かれるのを、ヨハンは面白そうにじっと見つめていた。
「…十代、これ、ズボンのポケットに入れとく金額じゃないよ…気をつけなよ…」
「足りるかな?」
「余裕で結構いいのが買えるよ!どうしたの、このお金」
「バイト代とか、大会の賞金とか…」
「「十代がバイト!?」」
ヨハンとレイが声を合わせる。
なんでそんなに驚くんだよ…と十代は心外そうに眉間にしわを寄せた。
「大体俺がバイトしようがしまいが今は関係ないだろ!買えればいいんだよ、買えれば!どの店でもいいからはやく決めようぜ!」
そう言ってぐいと腕を引っ張ってくる十代を、レイは慌てて制止する。
「ちょ、ちょっと待ってよ十代!店に入る前に確認なんだけど、明日香先輩の指輪のサイズとかちゃんとわかってるの!?」
はた、と十代の歩みが止まる。
ヨハンとレイは顔を見合わせて、一呼吸ののち、やっぱりなあ、とため息を吐いた。
「それ知ってなきゃどうしようもないよ十代〜!電話で訊いたりできないの?」
「だってこれサプライズだし…」
「なに慣れないくせに洒落たことしようとしてんだよばかちん〜!!」
「しっ…仕方ないだろ〜!」
いかにも高級そうな店の並ぶ街角でギャアギャアと騒ぎ出す一行に、道行く人がちらりちらりと視線を投げかけながら通り過ぎてゆく。
かなり目立ってしまっていることに、本人たちは気が付かない。
そしてその目立ちまくりな一向の様子を少し離れた位置にあるカフェのオープンテラスからずっと眺めていた人物がいた。

「……何やってるのよ、あの人たち…」
仕事帰りに同期と立ち寄ったカフェでのんびりお茶をしてくつろいでいた明日香だったが、遠巻きに聴こえた喧噪の方へ目をやると、なんだか見覚えのある三人の姿が見えてがくりとした。
「なんだろうね、あれ」
同期の女性教師は可笑しそうに笑っている。
だが明日香は笑えない。
笑みの形に曲げた唇の端をひくひくと引き攣らせ、自分の恋人と旧友たちが何事か言い争っている様子を眺める。
彼が帰ってきたのは昨日の夜だった。今日は平日だし構えないわよ、と冷たくあしらって仕事に出たのだが、何をしているのかと思えば、随分と楽しそうではないか。
「……腕もあんなに組んじゃって…」
「え?明日香?どうしたの、あの人たち知り合い?」
「そんなわけないじゃない!」
明日香の剣幕に同僚はうわあと言ってたじろぐ。怖い。すごく怖いです天上院先生!
「ごめんなさい、急用ができちゃったわ。お勘定払っておくわね」
そう言ってすっくと席を立つ明日香を見上げながら、同僚はほっと胸を撫で下ろしたのであった。

「指輪のサイズがわからないんじゃなあ……うーん…」
一旦落ち着いて考えようと、冷静になったレイが切り出しなんとかその場は収まった。
ううんと首を捻る三人の中で、一番最初に声を上げたのはヨハンだった。
「十代お前さ、明日香の手、よく触るよな?」
「っぶは!!」
なんちゅーことを言うんだお前はと真っ赤になって睨んでくる十代を見、ヨハンは首を傾げた。
「え?触らないのか?」
どういう状況でなんて訊いてないのに、馬鹿だなあ…と思いながら、レイは頭一個分ほど背の高い十代を仰ぐ。
(こんな顔するんだなあ)
なんだか変な感じ。
ぼんやり思いながら、胸の奥がちくりと痛んだのには気づかないふりをした。
「レイの指と比べてみてさ〜細いか太いか同じくらいか。そしたら大体どのサイズ買えばいいかわかるんじゃないか?」
ナルホド、と感心する十代と、ええ〜、と胡散臭そうに顔をしかめるレイ。
「…大丈夫かなあソレ」
極めて原始的な方法だがそれしかなさそうである。
仕方ないかあ…とレイは十代の前へ左手を差し出す。
「……これセクハラで訴えられない?」
差し出されたレイの手に触れるのを一瞬躊躇い十代が問うと、ヨハンは大丈夫、大丈夫といってへらりと笑う。
「変なことしないよーに、俺がしっかり見張ってるからさ」
そう言った彼の手には、いつでも写メが撮れる状態の携帯電話がしっかりと握られていた。


(何よ…あれ!)
カフェにいる友人からは見えない位置の路地まで来て三人の様子をうかがっていた明日香は、ぎくりと身体を強ばらせた。
(なんで十代がレイちゃんの手を○×△□……)
その上一行が背後にあったブランドショップに入っていくのを見てしまい明日香は言葉が出ない。
その目にはもはやヨハンの姿は映っていない。
自分に内緒で昔の友人と落ち合っていた恋人がイチャイチャしながら高級そうな店に入った。証拠としてはそれだけで十分である。


********************************
パソコンいじってたら去年のかきかけ文章見つけました。
会話文中心にぐわーって書いてて手の入れどころがわからんちん+_+だったのでそのままここに載せちゃいます…
やる気が出たら校正して続きかきたいね…


おくりものさがし。





2012/02/13

差し出された缶を手にするのを、明日香は一瞬躊躇った。
知らないひとからモノを貰っちゃダメ、と母や先生からきつく言われていたからだ。
すると青年は深い紺色の瞳を明日香に向けて、「ココアは苦手か」と訊いた。
明日香は思わず首を横に振ると、青年の革の手袋をはめた掌から、ココアの缶を受け取った。
「ありが、とう」
鼻声で、なんだか情けない声が出た。恥ずかしくて明日香は慌てて顔をふせる。
缶は程よく温かくて、油断すると、泣いてしまいそうだった。

「一人なのか」
明日香が缶を開けゆっくりとココアを口にするのを見届けてから、青年は静かにそう訊いた。
明日香は再び首を横に振る。
「お兄ちゃんが、いなくって」
迷子か、と青年が呟く。
もう小学校の高学年になるというのに迷子になってしまった、という情けない事実を改めて認識し、鼻の奥がツンとした。

明日香の様子に気付いたのだろう。
青年は「大丈夫だ」とだけ言うと、次は手にしたスーパーの袋の中から、板チョコを一枚取り出して明日香に与えた。

「えっと…お兄さん…」
「遊星」
もの聞きたげに自分を見上げる明日香を見、青年はそう言った。
名前だろうか。随分変わった名前だし、やっぱり格好も変わってる。
不思議な人だなあ、と思いながら、明日香は割ってもらったチョコレートをひとくちかじった。

「あの、遊星さん、は、お買い物?」
ああ、と言って、遊星は辺りをきょろきょろと見渡した。
「俺も迷子を探していてな」
遊星の答えに明日香は瞳を丸くする。
「…遊星さんも?」
「遊星でいい」
そう言われて、ゆーせい、と明日香は小さく呟いてみた。やっぱり変わった名前だ。

「遊星の探しているのはどんな子?早く探してあげなくちゃ…」
わたしは大丈夫だから、と言って心配そうに眉を寄せる明日香を見、遊星は苦笑した。
「いや、正確には迷子じゃなくて」
「…?」
「あ!いた!!ゆーせっ!お〜い!!」
突然喧しい声が道行く人々の視線を集める。
遊星の視線の先を追うと、人混みを掻き分けてずんずんと此方にやってくる赤い姿が明日香にも見えた。
「おとな」
明日香は思わず呟いた。
遊星と同い年くらいだろうか。自分よりも、兄よりも、その人は随分大人だった。
「いきなり居なくなるなよな〜!今さっきあっちの店で懐かしいパックがさ!」
「十代さん、そんなことより―――」
彼は明日香たちが立っている場所まで駆け寄ると、瞳をキラキラ輝かせながら遊星の腕を引っ張ろうとした。
ふとその鳶色の目が遊星の横でぽかんとしている少女に向けられ、瞬間ぎょっと丸くなる。
ちょうど悪戯が見つかったときに、兄が見せる表情みたいに。

あすか、
と名を呼ばれ、明日香は首を傾げた。
一度会ったことがあっただろうか。

「……誰?」
もちろん彼と出会うのは、これが初めてのはずだった。






もしも君に、2





2012/01/16

どうしよう。
明日香はきょろきょろと辺りを見渡す。
背の高い建物が立ち並ぶ街中は、休日に沸き立つ人混みでいっぱいだ。
どんなに背伸びをしても、目を凝らしても、兄の白い背中は見当たらない。

どうして手を離してしまったんだろう。
母も兄も、あんなに心配してくれたのに。
思わず涙が溢れそうになる目元を、明日香は慌てて擦った。
泣いてる場合ではない。早く兄を探して、はぐれてしまったことを謝らなければ。
きっと彼もものすごく心配しているに違いないのだから。

明日香は桜色の唇をぎゅっと結ぶと、できるだけ人混みを避けるように道の端へ出た。
あまりこの場所から動かない方がいいかもしれない。ならば兄の目につきやすいような、少し高台になっている場所は無いだろうか。
明日香は少し離れた場所に見通しの良い店先の階段を見つけると、急いでそこへ駆け寄った。
建物は家族向けの大型量販店のようだった。
出入り口を利用する人々の邪魔にならないようできるだけ端っこの方に寄ると、明日香はもう一度、うんと背伸びをして、目下の人混みを見渡してみた。
やっぱり兄の姿はない。
(このまま見つからなかったらどうしよう…)
明日香は自分のコートのポケットを探った。
二百五十円。
最寄り駅までの電車賃はこれでなんとかなるかもしれないが、駅から自宅までのバスには乗れないかもしれない。
一人で歩いて帰れるだろうか。駅員さんに電話を貸してもらえないだろうか。
ぐるぐるといろんなことを考えていると、そのうちまた泣きたい気分になってきて、明日香はその場に踞った。
買ってもらったばかりのコートが汚れてしまう。
でももうくたくただった。一度座ってしまったら、もう二度と立って歩けない気さえした。


「おい」
男のひとの声がした。周りは人々の喧騒で煩いのに、そのひとの声だけが、まるで濾したみたいにまっすぐ耳に届いて、明日香は僅かに視線を上げた。
皮のブーツに青いジャケット。
不思議な格好をしたひとだな、と、明日香は両目を瞬いた。
青年がひとり、明日香の目の前に立っていた。
目元の金色の刺青が、何よりも印象的だった。




もしも君に、1





2011/10/24

「貴女は嘘ばかり吐くわよね」

自分とおなじ色をした瞳がにんまりと細められ、明日香は不愉快そうに眉を寄せた。
気持ち悪い。
全身を白い制服で覆った彼女は不敵に唇を歪めて笑う。かつて自分がそうであったように。

「何を、言っているの」
半歩ほど後退りながらも、明日香は負けじと彼女の冷めた瞳を睨めつける。
それを嘲笑うかのように、「明日香」はふっと瞼を閉じた。

「わたしは嘘吐きが大嫌い。だから貴女のことも大嫌い」

結構だわ、と言って、明日香は笑った。
何を知った風な。何も知らないくせに。私の気持ちも、彼の抱えているものも、そんなに単純ではないのだ。
何も知らないくせに、なにも。
怒りは徐々に重みを増し明日香の腹の底に溜まってゆく。


ああ、だけどね、と言って、彼女は嬉しそうに両手の白い指先を胸の前で絡ませる。
「貴女は兄さんを守るために、咄嗟に彼を殴ったわね。あれは気持ち良かったわ。嘘のない素晴らしい行動だった。
わたしはそういうのが、好き」
だからねえ、もう嘘は辞めましょう?
自分に向かって伸ばされた白い腕を咄嗟に振り払い、明日香は吐き出すように呟いた。
「嘘を吐かなければ、上手くいかないことだってあるわ」
彼女は実につまらなそうに、鼻を鳴らす。ああいやだ、と呟き不快感を露わにする。
冷たい琥珀色の瞳が、明日香の姿をぎらりと捉えた。
「じゃあ貴女はこれがなるべくしてなった結果だったというの」
再び伸ばされた腕は、明日香の首筋をそっとなぞる。
「ええ、そうよ」
「そんなわけないじゃない!!!」
絶叫。
首を掴まれ横向に引き倒されて、明日香は一瞬意識を飛ばした。
彼女は横たわる明日香の上に跨って、掴んだ肩をがくがくと前後に揺さぶりながら、わけのわからないことを叫んでいる。
ぼんやりとした意識の中、明日香はまるで他人のように彼女の姿を眺めていた。

可哀想なひと。


「ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、わたしは、こんな、こんな、もの、ちがう!!!だって、好きなんだもの!!!わたしの身体で嘘を吐かないで!!!わたしは、わたしは、だってわたしは、彼と、!!!」

生温かい滴がぼたりと明日香の頬に落ち、重力に従い伝ってゆく。
剥き出しの綺麗な涙だ。
嘘だらけの、建て前に埋もれたわたしのものとは似ても似つかない、本物の、自分。

「一緒に、なりたかったのよ」
泣き崩れる白い身体を抱き留めて、明日香はごめんなさい、と呟いた。


嘘吐きな鏡





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