時を知る事 [ 1/2 ]

頬を撫ぜる風は何時もと変わらず、仙界独自の澄んだ心地よさを含んでいる。しかし相反して封神の書を手に歩く太公望の胸の内は過去を反芻し、追憶に淀んだままの感情の波を抱いている。突如として師である元始天尊より言い渡された『封神計画』について。その最終目的として挙げられた殷の皇后・妲己ら仙道を倒す事。過去にその皇后によって命を奪われてしまった故郷の一族達。


一度に多くの記憶が沸き起こるこの吐き出し様の無い、息の詰まるような、だが背を押す見えない何かが働いているような。
少しの緊張と進み出している何かを噛み締めるように太公望は静かに封神の書をきつく握り締めていた。

だが瞬きをし、軽く息を吐いた後に廊下の先――正しくはそのもっと向こう側。外を見据え、今から会おうと思っている人物の姿を脳裏で思い浮かべた。



崑崙山に元始天尊の弟子として連れてこられたのと同時期。
『太公望』という名を頂き、仙道としての修行を始めようとした頃だ。
人間界より仙人界へ渡ってきて、崑崙山へ入り謁見の間にて初めて出会った人物。まだ仙人や道士というものがどういった者たちなのか解らぬ頃に出会うには少しばかり――いや、十分すぎるほど強烈な印象を抱かせるには十分の外装を纏った女性。

今から会い、この封神計画について少し話をしたいと思うのだが、返って来るであろう反応と彼女が何時も浮かべているお決まりなあの笑みが簡単に浮かび彼は無意識に苦笑を浮かべた。あやつは何時もそうであったと。何時からか忘れるくらいに自然と隣に居て、同期のようでいて実際は修行をする際のもう1人の師としてわしを鍛えてくれた彼女は、不思議なくらいに傍に居ることを許してしまうような何かを抱かせる人物であった。元始天尊の次に出会った人物だからだろうか。それとも―――


「……笑われそうだのう」


細かいことを気にしない大雑把さというか、寛容さがあるといえばいいのか。修行の時だって始めの頃は勿論不甲斐ない自分のせいで怪我なり上手くいかぬことだってあったりしたのだが、決まって彼女は笑ってこう言うのだ。

「こんな事もあるさ」、と。

当初はこんなんで大丈夫なのかと不信を抱いた事も勿論あった。だが、年月を重ねる度にその彼女の波長と自身の性格とが不思議と合ったのか、時に修行をサボり人間界に降りては釣りをしたりただ単に壮大な自然の中で昼寝を決め込んだり桃をかっぱらったりと(勿論二人とも元始天尊の鉄拳制裁を受けたが)もう1人の師が彼女であったからこそ今の自分の一部が成り立っているような気もして、自然と太公望は笑みを零した。



それはある穏やかな、それでいて涼やかな日のことであった。


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