あの頃はたしか剣の修行をはじめたばかりで、いつも父の後を追いかけ回していた。その日もいつもと同じように父を追いかけて屋敷を飛び出たはいいが、子供の足じゃすぐに父を見失い、へたりこんでしまったのだ。
 泣きじゃくる私を周りの人は疎ましそうに遠巻きに眺めるばかり。涙も枯れ果てた頃、ようやく声をかけてくれたのが彼だった。どう接していいのか分からず、恐る恐る差し出された手を、私は躊躇いもなく握った。私のより大きな、たこのある手が暖かくて、安心したのをよく覚えている。

 泣きやんだ私を見てホッとしたように笑った彼が、どこからかやってきた魔物にぐしゃりと食いつかれたところで夢は終幕を迎えたのだ。


「………………」


 なんであんな夢、今更見たんだろう。もうずっと忘れようと、記憶の片隅に追いやっていた人だ。名前ももう思い出せないのにこうして夢に見るのは、彼を思い出す鍵が最近になって出揃ったからだろうか。

 サイドテーブルに置かれた水を一杯飲み干すと少しは気分も晴れるが、拭いきれない不快感が胸の奥にまだ残っている。
 我慢してそれを飲み込むと、ようやく周りに気を使うくらいには余裕が出てくる。

 昨夜の記憶が途中ですっぱりと途切れている。どうやらレイヴンの背中で寝てしまったらしい。彼には迷惑をかけてしまったと思う反面、これまで彼にやられたことを思えば五分五分とも思える。

 適当に身支度を整えつつも、頭の端には"彼"がちらちらと横切る。どうして消えてくれないのだろうか。死んだらもう何をしても意味なんてないのにーー。



* * *



「ナマエ……また寝坊?」


 のんびりと欠伸をして部屋から出てきた私に、カロルから恨めしそうな視線が向けられる。たしかにロビーには私以外の皆が揃っている。
 そう、私以外。エステルの監視をしなきゃいけないレイヴンは当たり前だが、リタまでがここにいる。


「ケーブ・モック以外のエアルクレーネは旅してしらべるつもりだったし。けどヘリオードの時みたいに調査中、ひどい目にあわないとも限らない。一人よりもあんたたちと一緒の方がとりあえず安心よね」
「へえ、けどどうせならもっと友情溢れる理由にして欲しいな」
「ナマエがそれ言っちゃうんだ……」


 まあどんな理由であれ、リタが一緒に来るのは喜ばしい。焦らずに、聞きたいことを聞くことが出来るのはいいことだ。

 そして港への道すがら、顔を合わせづらくてユーリとはまともに話してない。気づいたエステルが気を回してくれたが、今は放っておいてほしい。
 彼らとの腐れ縁はなかなかのものだが、それも所詮ノードポリカまで。ノードポリカに着いたらさよならだ。だからそれまで、いつも通りの私でいさせてほしい。余計なことには気づかないでーー

 道中昨日見た狂い咲きの花が枯れているのが気になった。狂い咲きはエアルの乱れが原因だったりすることも多いらしいが、一晩でそれがどうにかなってしまったのだろうか。辺りでは竜使いが出たとの噂もあって、騒然としている。
 そんなとき、ふとエステルが一点を気にするように立ち止まった。


「あれ、ヨーデル……」


 ラゴウを追って乗った、あの沈み行く船でユーリに抱えられていた青年がそこにはいた。金髪碧眼の人当たりの良い笑みを浮かべた好青年である彼は、なんと先帝の甥っ子らしい。
 エステルと並んで次期皇帝候補である彼は、ドンとの友好協定締結に関してのやり取りでヘリオードに向かう途中とのこと。
 ダングレストを出るときに見た要塞ヘラクレスのせいで、話し合いは円滑に……というわけではないようだ。


「事前にヘラクレスのことを知っていれば止められたのですが……」


 騎士団の指揮権がないことを悔やみ、彼が帝位を欲しても今はそう簡単にいかないらしい。宙の戒典という帝国の至宝がなければ帝国継承出来ない。だがそれは十年前の人魔戦争から行方知れず。
 帝国の裏事情をうっかり垣間見た私たちに、上品に会釈をして彼は去って行った。


「あんなにたくさん、勘弁してくれ!」
「命がいくらあっめも足りねえよ!」


 そこへ男が二人、ちょうど彼と同じ方向へ走り抜けて行った。別に次期皇帝候補を狙った暗殺者などと物騒な話ではなく、二人も何かから逃げて目の前の波止場から出てきたようだ。
 泣き言を漏らしていた二人の背に、怒声を浴びせていたのはいつかのデイドン砦で見た女性。


「ギルド"蒼き獣"をブラックリストに追加よ!」
「はい社長」


 苛立ちを隠さずそう言った長い赤髪の彼女は"幸福の市場"の社長カウフマン。カロルはユーリがユニオンの重鎮と知り合いだという事実に驚きながらも、流通を取り仕切る彼女なら船を出してくれるかもしれないと明るく言った。
 彼女の方も私たちに気づいたのか、どこか含みのある笑みをこちらに向けてくる。


「あら、あなたはユーリ・ローウェル君。それにそっちは前回名刺をくれた子ね。まさか"魂の鉄槌"の子だったなんて、驚きだわ」
「覚えていてくださったなんて光栄です」
「手配書の効果ってすげえんだな」


 いつもの憎まれ口をきくユーリ。そんな彼は気にも止めず、カウフマンは怪しく目を光らせる。


「ねえ、あなたにピッタリの仕事があるんだけど」


 この季節、魚人の群れが船の積荷を襲ってくるので、それの護衛を頼みたいと。なるほど、先程走り抜けて行った人は魚人から逃げてのことだったらしい。彼らを思い浮かべたのか、骨なしばかりと憎々しげにカウフマンは吐き捨てた。

 めんどくさいと言いたげな顔のユーリだったが、幸福の市場がいつも護衛を頼んでいたのが紅の絆傭兵団だと分かると、一斉に非難の目を向けられる。
 誰かさんが潰しちゃったから。
 リタのそんな呟きがユーリにぐさりと突き刺さったように聞こえた。

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