帝都に行く。文字で見ると至極簡単なことだが、現状としてはそうではなかった。
 避難民からの話で、親衛隊が帝都近くに陣取っていることはわかっていたが、現実はそれ以上にひどかった。親衛隊に加え、数え切れないほど多くの戦闘機械が導入されていたのだ。
 それらをフレン率いる騎士団が引き受けてくれなければ、私たちは帝都に近づくことすら難しかったに違いない。おかげで無事帝都に入ることができたのだが、そこはまさに地獄と呼ぶに相応しい有様となっていた。


「なんてこった、これがあの帝都なのか」
「空気が重い……ううう、吐いちゃったらごめんね」
「なるべく勘弁してくれ。皆離れるなよ、ナマエとおっさんは特にな」


 すぐそばには宙の戒典(デインノモス)があるというのに、街に入ったそのときから胸が圧迫されるような感覚に襲われる。
 空気が淀み、街中の植物は巨大化し好き好きに建物を覆い尽くしていた。人は一人も見当たらず、魔物が我が物顔で闊歩している。
 生まれてこの方、こんな酷い様子の帝都は見たことがない。空には確かに結界が展開しているというのに、帝都はどうなってしまったというのか。

 あまりの惨状にユーリは数秒立ち止まったが、またすぐに歩き出した。下町のことが心配なのだろう。下町へ続く道は完全に閉ざされている。
 ハルルに下町の住人が避難していなかったことを考えると、彼らがまだ下町に残されている可能性は高い。今すぐにでも助けにいきたいだろうに、ユーリはその気持ちをぐっと堪えて歩く。もちろんひいては下町の皆の為にもなるのだが、心情としては複雑だろう。


「貴族街のほうも、随分ひどいなあ……」


 下町とは反対側にある貴族街も、もちろん無事ではなかった。住民である貴族たちはとうに避難しており、ユーリのように知り合いがいるわけでもない。それでも植物に押しつぶされる屋敷を眺めていると物悲しくなる。

 後ろ髪ひかれる思いを無視して、先を急ぐ。
 アレクセイも私たちがここへくることは想定済のはずだ。なんの備えもしていないとは考えづらい。

 そっと城内に忍び込むが、予想に反して中は不気味なほど静まり返っていた。


「ナマエ姐、」


 足音だけが冷たく響く廊下で、不意にパティが小さく袖を引いた。


「どうしたの?」


 この頃、パティの様子がおかしいのは知っていた。時折私を見ては何か言いたげに口をもぐもぐとさせている。きっと前に言っていた大切な話をするときが来たのだろう。なにかに怯えているようにも見えるその姿は、見ているだけで心が痛む。
 だけど、私はなにもしなかった。聞かなかった。薄っぺらい気休めばかりを吐くこの唇でなにを言えばいいのかわからなかった。そして、今も答えはわからないままだ。


「ナマエ姐に大事な、……とても大事な話があるのじゃ」
「それは今じゃなきゃダメな話なの?」


 パティの顔を見ればそれがどれほど勇気のいるものだったかわかる。だが今その大事な話に気が取られて万が一があるのも避けたい。
 私だってこの小さな体を守ってあげたいと思う。だけれど、現実にそれは無理だ。私は万全ではなく、パティは別のなにかに気を取られている。こんなままじゃエステルを救うどころか、私たちの命すら危うい。


「正直に言うと、怖いのじゃ。全部話して……それで、うち……ナマエ姐にどんな顔して……けど、黙ったままも嫌なのじゃ……」
「じゃあさ、ふたつ約束しようか。その大事な話をするのはエステルを助けてから。それで、話が終わったら一緒にケーキ食べに行くの」


 今にも泣き出しそうなパティの手を握り、そう提案する。真っ直ぐ大きな瞳を見ていると思わず逸らしそうになるが、それだけはしない。
 パティの話がどんなものなのか私には想像もつかない。軽々しく「大丈夫だよ」なんても言えない。それでも、どんなに悲しく残酷な話でも、二人で一緒にケーキを食べればすこしくらい笑顔にはなれるだろう。


「一緒に美味しいやつ選ぼうね」
「……ナマエ姐と食べるケーキなら、きっとどれでも美味しいのじゃ」
「あ、それずるい。私もそう言えばよかった」


 すこしは顔色が良くなったパティに安堵したのも束の間。先頭を行くジュディスが扉の向こうに人の気配があると言い出したのだ。それも一人や二人ではないと言う。
 パティと二人で扉の脇に構えると、反対側についたユーリと目が合う。


「……………………」


 視線だけで会話をし、扉を開けるタイミングをはかっていたそのときだった。
 向こう側からバタンと勢いよく開かれた扉からなにか人のようなものが飛び出てきた。かと思いきや、勢いそのまま壁に激突したではないか。


「あだだだだだだだだだただ!」
「………………ルブラン小隊長?」


 呻き声と共に壁に顔をめり込ましているのは、アレクセイの親衛隊ではない。見慣れたオレンジ色の鎧に身を包んだシュヴァーン隊の面々ではないだろうか。
 こちらが状況を飲み込めずぽかんと口を開けていると、扉の向こうからぞろぞろと人がやってくる。服装からして城にいるには到底相応しくない庶民たちだ。その中にある一人を見つけた途端、ユーリが嬉しさを隠しきれてない表情で駆けて行った。


「じいさん、みんな!無事だったのか!」


 かわいそうに未だに頭を抑えて蹲る三人組に手を貸しながら、横目でユーリの様子を伺う。
 表には出さずともずっと心配していた下町の人たちと無事再会できて、ユーリはここ最近の憂鬱顔が嘘のようだ。


「まさかこれも全部ルブラン小隊長が?」
「はっ、それがその……フレン殿の命令で市民の避難を誘導していたのでありますが、その……ふと下町の住民の姿が見えないことに気が付きまして、命令にはなかったんでありますが、つまりその…………め、命令違反の罰は受けます!」


 彼らは胸をはるどころか、すぐそばにいる上官に土下座する勢いでそう言いきった。本来ならば誇るべき行いだというのに、真面目というか融通が効かないというか。思わず笑ってしまいながら、すぐそばにいる彼らの上官に視線を向ける。


「罰もなにも、俺ただのおっさんだからねぇ。それに市民を護るのは騎士の本分っしょ?……よくやったな」


 その行いを讃える言葉に、三人は嬉し涙を流す勢いであった。尊敬する隊長殿からのそれは、どんな宝石にも勝る財宝だろう。

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