たった一人で立ち上がった勇敢な少年を背負い、足早に氷刃海を抜ける。無茶をしたカロルのことはもちろん、帝都ーーひいてはエステルが心配だ。どこかの街で情報を得る必要があった。
 運良く氷刃海の向こう岸はハルルの街の目と鼻の先であった。無事見知った街に辿り着いたことに安堵すると同時に、その街の様子に眉を寄せる。


「……えらくごった返してんな」
「帝都から逃げてきた連中よ。キレイな身なりしてんでしょ?」


 一体帝都はどうなってしまったというのか。ハルルの結界は今のところ問題ないようだが、それもいつまでもつか分からない。
 発熱したカロルを休ませる為に宿屋に向かうが、そこも人が溢れていた。宿屋の主人の好意でどうにかカロルを休ませることができたが、ユーリたちはまたすぐ情報収集に出ていってしまった。
 宿屋に残ったのは、今はすやすや寝息を立てているカロルと、有無を言わさず残された私。それとお目付役のレイヴンだ。

 カロルの苦しそうな顔を見て、咄嗟に治癒術を使おうと手を伸ばすが、今の私には魔導器(ブラスティア)がないことを思い出す。長年連れ添った相棒がなくなったことを改めて思い知らされ、すこしばかり寂しくなる。
 そもそも解熱に治癒術は有効ではない。冷静でいるつもりが、大分テンパっていたようだ。そっと冷やしたタオルを彼の額にのせると、いくらか表情が和らいだ気がする。


「ナマエちゃんもすこし休んだら?少年のことなら俺が看とくから」
「ん、いいや。カロルみたいに無茶したわけでもないし、皆の話聞いてからのほうがゆっくり休めそうだもん。レイヴンこそ休みなよ。もう歳でしょ」
「そうそう最近疲れが溜まりやすくってね……っておっさんまだ三十六よ!」
「へー……冗談抜きではじめて知ったわ」


 思えば、あの幼い頃ですら、私は彼のことを名前でしか知らなかった。
 騎士団のいつも遊んでくれる優しい大好きなお兄さんーーダミュロンという名は私にとってそういう意味だった。
 どこの生まれなのか。兄弟はいるのか。なにが好きなのか。そういったことを何一つとして知らない。知っていたけど忘れた、という可能性がなくはないが、自分のことでいっぱいいっぱいだった当時の私がそれを聞いたとも思えない。


「もっと……いっぱい話せばよかったな」
 もう話すことが叶わない人たちのことを思うといつだって涙が出る。レイヴンに見えないように涙を拭い、カロルの額から落ちかけたタオルを直す。
 寂しさと苛立ちが綯い交ぜになった心がエステルに会いたいと叫んでいるようだった。


* * *


 結界魔導器(シルトブラスティア)が光を発し、同時に地震と落雷が街を襲った。しかも、その後に現れた光る靄が触れる植物すべてを巨大化さし、水を毒の沼に変えていった。
 まるで悪夢のようなそれが、今帝都で起こっている全てらしい。ザーフィアス全土を靄が包んだというのなら、もう人々は生きていく術がない。アレクセイは服従を要求し、それを拒み逃げ出した人たちに親衛隊をけしかけたというのだ。

 逃げきれず街に取り残されたであろう下町の住人、全ての中心にいるであろうエステル、この世界に残された時間。考えなければならない問題は山積みだ。頭が痛くなる。

 外でかき集めてきた情報を私とレイヴンに伝えると、なにか思いつめたような顔でユーリは再び宿屋を後にした。「ちょっと外の空気吸ってくる」なんて適当な言い訳をして。
 その後ろ姿を見送り、膝に顔を埋めて目を閉じる。ユーリは下町の人間だ。当然残された人々が心配なのだろう。
 一瞬呼び止めようかとも思ったが、ラピードも一緒のようだったし、一人(と一匹)の時間というのも大事だろう。特にユーリみたいなタイプには。仕方ないから後で迎えに行くくらいしてあげようかな、なんて考えつつそのまま意識を手放す。

 だが、次に目覚めたのはそう時間が経ってからではなかった。


「ばっかじゃないの?!」


 何事かと思うようなリタの叫び声。
 驚いて飛び起きる。窓の外は暗く、あれほど騒々しかった街も今は眠る時間のようだ。そんな時間にリタは一体何を騒いでいるのか。よく目を開けて見てみれば、その横にいるジュディスもかなり苛立った様子だ。それに加えて皆を起こして回るラピードの姿があれば、流石にこの状況の察しもつく。


「うっそ、私たち捨てられたの……?」
「その表現、なんだかとても屈辱的ね」
「えー……普通にありえないでしょ……」


 この状況で一人だけ姿の見えないユーリ。彼が私たちを置いて行ってしまったのは誰に尋ねるまでもなく明白だった。ラピードが全員を起こし終えると、親切な宿屋の主人に一筆を残し、慌ただしく宿を出る。
 ラピードも今回ばかりは主人に思うところがあるらしい。私たちを宿から追い出したあとは、早く歩けと言いたげに尻尾を揺らしている。
 その背中を追っている間、なぜやどうしての言葉は一度も誰からも発せられなかった。誰かに聞くまでもなく、彼がどうしてそんな行動をとったか分かってしまったからだ。

 ラピードに案内された先は、ハルルからすこし行った先にあるクオイの森だった。
 旅のはじめの頃、エステルと三人で訪れた朽ちた魔導器の傍で彼は呑気に寝転がっていた。だから私たちは安心して、カロルが彼にハンマーを振り下ろすのを見ていられた。残念なことに寸前で気づかれてしまったようだが、まだ足りないというのなら私が特別に拳を奮ってもいい。


「やっぱりさ、ありえなくない?自分のときばっか一人でかっこつける男ってどうかと思う。いやほんとに。絶対モテないから」
「ナマエ……実はけっこうキレてんだろ」
「なに言ってんの。普通にキレてるわよ。手が出ないだけありがたいって思って」


 「嫌だったらもう置いていかないでね」と釘を刺すように一言。もう二度と離れないと伝えるようにその腕に抱きついたのは、この後の台詞を周りに聞かれたくないという思惑もあった。


「あの……私さ、これでもちょっとはましになったから。そりゃユーリからしたら頼りないかもしれないし……まあ、迷惑もいっぱいかけた覚えはあるけど…………けど、そんなに弱くもないから」


 ユーリが一人で背負い込むことを決めたのは、彼の性格もあるだろうが、周りのーー例えば私のせいでもあるはずだ。自意識過剰ともいえるが、彼にはこれまで情けない姿ばかり見せてきた。いつでも責任から逃げて、泣いてばかりいた。
 たまに自分が情けなくなる。そして同時に腹が立つのだ。

 私のことを好きだと言ってくれたユーリなら、いつだって役に立ちたいと思うのだ。これでも。
 自分なりの言葉でそれを伝えると、なにがおかしいのか彼は突然目の前で笑い出した。


「ナマエってたまにかわいいこと言い出すよな」
「なっ、失礼でしょ!たまにって何なの、私はいつもかわいいわよ!」
「はいはい、そうだったな。ナマエはいつもかわいいな。ありがとうよ」
「適当っ!」

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