ティグルから聞いた話では、エフミドの丘の手前を北にあるゾフィル氷刃海の氷は、運が良ければ連なって道になっているらしい。そこを通れば大陸の真ん中に迂回できる。
 だが、気味の悪い噂の多い場所で漁師も近づかない場所だ。もちろん氷の量が少なかったりすれば通れないし、氷が薄ければ一歩踏み出した途端沈んでしまう。
 それでも他に選択肢はないのだ。ならば通らないわけにはいかない。私たちには時間なんてないのだから。


「ううう、ううううう、寒い寒い寒い」
「おっさん、うざい」
「リタ、もっと言ってやって。寒いのはわかってるんだからそう何回も連呼されちゃたまんないわ」


 辿り着いた海は、想像を超える場所だった。雪と氷と吐く息で真っ白の視界はそれだけで寒さを増す。なのに隣で寒い寒いと連呼されてはストレスが溜まって仕方ない。
 慣れない氷の上は普通に歩くだけで気を使う。カロルなんてレイヴンを巻き込んで転んでしまった。
 私もつい滑りそうになったが、手をかけようとしたものを見て驚いた。氷が尖っているのかと思ったそれは、剣だった。氷から剣が生えていたのだ。


「なにこれ、危うく握りしめるところだったんだけど。うわあ……微妙に血出たし、最悪」
「ああ、それか。それはのナマエ姐、昔の海賊と帝国が争った名残なのじゃ」
「ん?そ、そう言や、なんかそんなのき、聞いたことあるな」
「ねえパティ、どうしてそんなこと知ってるの?」


 パティはまだ幼い。海賊であった祖父アイフリードのことを調べていた過程で知ったと言われればそれまでだが、どうしてだろうか納得できない。今のパティはまるで本当に見てきたかのような口ぶりだった。
 もしかしてアイフリードについて、何か思い出したのだろうか。
 その疑問を口にしようとしたとき、いきなりラピードが何かに警戒するように吠えた。


「なにどうしたのよ……って、ひゃあ!」


 傾いたリタの体を支えると同時に、私たちは足元に視線を釘付けにされる。
 分厚い氷の下を、なにか大きい影が泳いでいったのだ。魚というには大きすぎるそれ。始祖の隷長(エンテレケイア)ではないとジュディスは言うが、それはつまり今の影が魔物であることを表していた。

 襲ってくる様子がないのなら、わざわざこちらから喧嘩を売る必要はない。気にせず氷の上を進むのだが、ある地点に着くと先ほどの魔物が目の前にあった氷を体当たりで砕いたのだ。これでは先に進めない。別に渡れる氷を見つけなければならない。
 氷の下から衝撃を与え、私たちを海に落として食べるつもりなのかとも思ったが、それにしては様子が変だ。
 ただの偶然かと思い、一先ず別の氷を進むが、しばらく行った先の氷をまた目の前で砕かれてしまう。


「妙な魔物……嫌な感じがする」


 とはいえこちらは氷の上。むこうはその下だ。襲われる心配はないとはいえ、皆も妙な気配を感じ、一刻も早くここを抜けたいという思いが強くなっていく。

 それからも魔物の妨害を受けつつ、私たちは流氷から岩に乗り移った。岩といっても小さなもので、目的とする大陸まではまだ氷の上を通らなければならない。
 ただその岩の真ん中には巨大な緑色の結晶があった。ケーブ・モックやカドスでも見たそれは間違いない、エアルクレーネだ。
 ただ不思議なことにエアルの源泉であるそこからは、エアルが出ていない。枯れた跡かとも考えられるが、その割には辺りが荒廃していない。

 変だなと首を傾げていると、次の瞬間何かに気づいたらしいジュディスが声を荒らげた。


「みんな気をつけて!」


 慌てて振り返ると、すぐそばの海にはまたあの魔物だ。レイヴンが「大丈夫っしょ」なんて呑気な台詞を吐くが、すぐにそれも間違いだと気づく。
 なんと魔物は海から舞い上がり、空を飛び回り出したのだ。これはまずい。そう感じたときには既に遅かった。魔物が吠えると同時に、突如背中のエアルクレーネが活性化したのだ。
 ただでさえエアルの暴走で調子が悪いというのに、これほど近くのエアルが活性化しては、私でなくても動けなくなってしまう。咄嗟にユーリがカロルを突き飛ばしたおかげで彼一人は逃げられたが、こうなってしまってはもうどうしようもない。


「……まさか、エアルクレーネを狩りに使う魔物がいるなんて」
「うちとしたことが……こんなの、知らんかったのじゃ……」
「カロル、逃げろ!」


 死ぬのは嫌だ。絶対に嫌だ。それでも私の体は動かないし、浅い咳を繰り返せばそのうち口からは血が出てくる。
 カロル一人で戦って勝てる魔物ではない。彼を侮っているのではない。こんな魔物相手に一人だなんて、あそこに立っているのが誰だって無茶だ。


「カロル逃げて!」


 魔物も既に私たちという餌を確保している以上、無理してカロルを狩ろうとはしていない。彼一人なら逃げられるのだ。
 なのにどうしてか、彼はそうしようとしない。ここからでも見てわかるくらいその手は震えているのに、逃げようとしないのだ。


「僕がやらなきゃ……今やらなきゃ……」
「カロル!」
「今やらなくていつやるんだぁ!」


 カロルが武器を構えたことで、魔物も彼を獲物として認識する。その巨体で構うことなくカロルに襲いかかる。

 空を飛ぶ相手に一人。勝てるわけがない。事実彼がいくら魔物に向かっていっても、魔物が弱ることなく、反対にカロルの体に傷ばかり増えていく。「大丈夫」「皆を守るんだ」「逃げるもんか」繰り返される言葉は威勢が良いが、彼の体はボロボロだ。もう何度攻撃されては吹き飛ばされただろう。
 遂には武器まで弾き飛ばされ、見ているこちらが懇願する。もうやめてと。


「大丈夫なんだよ。だって、皆がいるもん。……僕の後ろには皆がいるから、僕がどんだけやられても僕に負けはないんだ」


 背後の私たちを振り返ることなく、カロルは走り出した。魔物の向こう側にある剣に向かって。カロルがその剣を手にすると同時に、魔物の尾がその小さな体を空高く弾き飛ばす。反射的にカロルの名前が喉から零れ落ちるが、彼は空中で態勢を整えると、大きく叫んだ。


「僕の勝ちだっ!」


 魔物の頭上から突き立てられる剣。魔物を殺す一撃とはいかなかったが、カロルの剣が頭を掠めた瞬間、エアルの放出が止まった。
 体が動き出したことを確認するが早いか、私はカロルに向かって走り出す。


「カロル!」


 空から落ちてくる勇者を受け止めると、そのまま背中を地面に打ち付ける。喉に残っていた血が吐き出されたが、胸に抱えたカロルが生きている、それが嬉しくて彼を抱いたまま両手の力を強くする。


「……ほんと、カロルはやっぱり強いよ」
「ナマエ、」
「まったくとんでもないことする少年だねえ。生きてるかぁ?」
「悪い。ちょっと道が混んでてな」


 改めて見たカロルの顔は、傷だらけだというのにどこか誇らしげだった。

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