「やっぱり、だめか……」


 私が地下に置き去りにしてきたのは、なにもフード付きの上着だけではない。剣を二本、それに肝心の魔導器(ブラスティア)も捨ててきてしまった。
 どちらも壊れていて役に立たなかったが、一刻も早くユーリたちに追いつかないといけない状況で武器はともかく、魔導器を調達する暇などない。

 いつぞやのように魔導器がなくとも術が発動出来ないか試しもした。デューク曰く『満月の子の失敗作』というならば、期待したのだが結果は良くない。
 あの時と一体何が違うのか。
 デュークの言葉を思い出す。『なるほど、暴走した満月の子に反応して、力が強まっているのか』ーーつまり、私が今持つ力はエステルによって引き出されていると考えられる。過去に魔導器なしで術が使えたときも、すぐ側にはエステルがいた。


「エステルを助けに行くのにエステルがいないと術が使えないなんて……!」
「だからナマエちゃんは危ないから残っててって言ってるじゃない。魔導器なしでは無謀すぎるわよ」
「"レイヴン"うるさい!」


 頭を抱えてうんうんと唸っていたら、視界の端に現れたのは紫色の羽織。慣れた展開に、手元にあった本を力いっぱい投げつける。避けはしなかったらしく、気の抜ける声が「痛い」と嘆く。
 そう、いつも通りのレイヴンとの会話だ。


「直にアレクセイに追いつくってのに……武器がないと話にならないじゃない……」
「だから、丸腰だなんて危ないんだから大人しく留守番しててちょうだいって何回も言ってるでしょ」
「なんかないの?レイヴンがその弓を私に貸してくれるとかどう?」
「そしたらおっさんが困るじゃないの」


 レイヴンはよほど私をここに置いていきたいらしい。なにかないかと船室を漁る私の背に、じとっとした視線が刺さる。
 長期戦を覚悟してか隅にある木箱に腰掛けるあたり、まだまだ言いたいことはあるようだ。


「仕方ない、魔導器は諦めるわ。武器は…………ああもう、ここには弓しかないの?剣でもあればいいのに」


 とはいえ、ルブランたちから追い剥ぎするわけにもいかない。今こうして私たちをアレクセイの元へ送ってくれているが、彼らにもやらなければならないことがある。エステルのことも大事だが、騎士団長がいなくなって混乱している帝都をいつまでも放っておくわけにはいかないのだ。

 私が使っていたものと全く同じとまではいわないが、近しい武器があればと探していたのに、ここには埃を被った弓しか残されていない。
 爪先で弦を弾く。弛んだ様子もなくしっかりとしている。なるほど、これならまだ使えそうだ。
 一緒に置いてあった矢筒を背負うと、レイヴンはわかりやすく溜息を吐く。


「慣れない得物でアレクセイと戦うなんて無謀通り越してバカのやること。魔導器なしで奴と戦おうなんて死にに行くようなもんよ」
「レイヴン、」


 そっと手元で矢を番えた。レイヴンがはっきりとこちらを見たのを確認すると、そのお喋りな口に向けて弓を構える。彼が驚きに目を見開くよりもはやく弓を引き、放つ。その動作を素早く二度繰り返す。


「私がキャナリから教わったのは剣ばかりじゃないのよ」


 彼女から指導を受けたのはもう十年も前だが、いくらときが経とうと覚えた感覚と基本は変わらないものだ。たとえ魔導器がなかろうとも、一度身につけた技術は失われることがない。
 あっという間に数本の矢がレイヴンの右腕を壁に縫い付ける。
 これでもう私を置いていくなど言わなければ良いのだが、レイヴンは黙って私と自分の右腕を見比べていた。視線が数度行き帰りを繰り返し、突然壊れたように笑い出した。初めて見た彼の様子に、今度は私の方が目をぎょっとする。


「まったく……こんなことされたら流石のおっさんでも驚くわ……ほんと、心臓に悪いでしょ」
「いきなり笑い出すほうが怖いわよ。それで、もう文句はないでしょうね?」
「どうせおっさんが何言っても着いてくる気じゃないの。ならこっちもいい加減腹くくるわよ。そのかわり絶対に無茶はしなさんなよ」


 矢を引っこ抜き、レイヴンを壁から解放する。流石にもう反対するつもりはないようだが、しつこく釘を刺される。「そもそもこの弓だけじゃそう無茶もできない」と軽口を叩こうかと思ったが、その何倍もの言葉で返ってくるのが予想出来てやめた。



* * *



 仲間からのとても痛い"けじめ"を受けたレイヴンはほっぽり出し、私も皆の方へ一歩踏み出す。
 顔を見るなり飛びついてきてくれたパティを抱きとめながら口を開く。ただいま。再会の挨拶は思いつく中で一番短いもので終わらした。
 塞がっているとはいえ、全身傷だらけ。いつもの上掛どころか魔導器も剣も失くし、見慣れない弓を背負っている私。ひどく無様である。いったいどんな言葉が返ってくるのか期待したが、ユーリは微笑むと優しく私の頭に手を乗せた。


「お疲れさん」
「ナマエ姐おかえりなのじゃ!」


 じいんと広がる暖かさに、ここ最近緩みっぱなしの涙腺が刺激されるが、気合で押し留める。代わりに「私がいなくて寂しかったでしょ」と笑顔を向けると、ユーリは意外そうな表情をする。


「随分と変わったもんだな」


 それが見目だけを指しているのではないことは、いくら私でもわかった。


「なに?私に惚れそう?いいんだよ惚れても」
「いやいや、おっさんに刺されたらたまんねえからな。俺はやめとくわ」
「邪魔者はサメにガブリなのじゃ。ユーリにはうちがおるしの」
「……ちょっと、なんでこの流れでレイヴンが関係あるのよ」


 低い声であからさまに不機嫌だと伝えると、ユーリとパティは揃って眉間に皺を寄せる。お前はなにを言っているんだと言わんばかりの表情に、私の口角がひくつく。
 嗚呼もちろん二人がなにを言いたいのか全くわからないわけではない。ただそれが今の私にとっては聞きたくない台詞でしかなかった。


「あら、だってあなたーー」


 それまで静観していたジュディスまでもが楽しげに口を開くのを見て、観念してこちらから吐く。


「レイヴンにはもうとっくにフラれてるの、私。それもこっぴどく。乙女の心はもうずたずたよ」


 離れたところにいるフレンと当人にまで聞こえる声量で言ったのは当然わざとである。嘘はついていないーー些かオーバーに話したのは、ちょっとした意趣返しというやつだ。
 この場にいた者が一斉にレイヴンを見る。地面に転がっていたレイヴンに優しく手を差し伸べていたフレンですら、どう言葉をかければいいのかわからずに固まってしまった。

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