「ーーレイヴン!」


 今にも泣き出しそうな情けない声を上げて走る。返事はなかった。またどこかが崩れていく絶望の音が響く部屋で、私は必死に叫んだ。
 砂塵を吸い込んで痛む喉に鞭を打ってでも叫ぶ。喉が裂けて壊れても構わない。そんなことより返事がないことが何よりも怖い。


「どこにいるの、お願い……返事をして!」


 変わらず返事はない。
 だけどどこからか、微かに擦れるような音がした。それだけで今の私には十分だった。すぐさまそこに駆け寄り辺りを見渡すと、橙色の布地が瓦礫の隙間から僅かに覗いていた。彼がここにいることは間違いないだろう。
 だが、彼を覆う瓦礫はとてもじゃないが人一人でどうこうできる大きさではない。おまけにその下で彼が本当にまだ息をしているかも分からない。それでもここで引き返してユーリたちと合流しようなどとは全く思わなかった。

 腰から剣を引き抜き、いつものように技を奮う。魔導器(ブラスティア)の力を借りればこの瓦礫を壊せるはずだ。
 なのに、どうしてか肝心なときに上手く魔導器が発動しない。慌てて足首を確認すると魔核(コア)の一部が大きく欠けていた。先の戦闘か、ここに戻る道中にぶつけたのか。


「なんで……今に限ってそうなるの!」


 いくら剣を瓦礫に突き立てても、魔導器の力無しではどうしようもない。歪に曲がってしまった武器を投げ捨てると、瓦礫にそっと両手をかけ持ち上げる。一センチ、一ミリでもいい。とにかくこの重い物を彼から退かさなくては。


「っああ、あああああああ!」


 掛け声と共に勢いだけで瓦礫を持ち上げる。そして息を整えるよりもはやく次の石に手をかける。ほんの小石のようなものから、己より大きなものまで様々だ。気づけばいつの間に傷つけたのか、手袋の中から血が汗と混じって滴り落ちている。すこし悩んだが、結局すぐ手袋も脱ぎ捨てる。こうなってしまっては滑るだけで邪魔なものだ。
 血の滲んだ両手で次の瓦礫を持ち上げる。いくつもの破片が手に突き刺さったが、私はすこしも気にならなかった。


「なんで、ここに……はやく逃げろ!」
「レイヴン……!」


 遂に探していた男を見つけ出したからだ。生気のない顔だが、まだ生きている。生きているのだ。
 私を見るなり驚きに目を見開いたレイヴンだったが、すぐに険しい表情ですぐに戻れと叫ぶ。当然だ。先ほど自分が命懸けで逃がした人間がのこのこと帰ってきたら、私だってそうするに違いない。


「どうしてよりによってナマエが…………死にたくないんじゃなかったのか!」
「そんなの、当たり前だよ……今だって死ぬのは怖い。足ががたがた震えて仕方ない……」
「なら早く戻れ!今ならまだ間に合うはずだ!」


 絶対的な拒絶に肩が震える。それでも両手はぴたりと瓦礫に張り付いたように離れようとしなかった。このまま全身がずたずたに引き裂かれ、真っ赤に染まっても、この場から立ち去ることだけは考えられない。


「俺は、君を死なせたくない!」
「そんなの……私だって、そうに決まってるじゃない!じゃなかったらこんなところになんて来ないわ!馬鹿じゃないの?私を生かしたいなら、まずあんたが生きる努力をしなさいよ!」


 気づいていた、レイヴンに私を殺すつもりがないことなんて。それは今この瞬間だけのことではない。シュヴァーンとして相対したときのこともだ。いや、厳密には違う。彼は私たちを本当に殺すつもりでいた。だけどどうしてか、私を掴み上げたあの一瞬、彼は私に殺してほしがっていた。
 必死で私を生かそうとするその口は、今も必死に死にたがっている。こんな状況になって尚
「生きたい」「助けてくれ」とは言わないのだ。分かっていたことだが、つい心が折れそうになる。堪えていたはずの涙がぼろぼろと落ちる。


「泣くほど怖いならはやく戻れ!君がそうまでして助ける価値など俺にはない!」
「ふ、ざけないで!残されるのがどれだけ辛いか、知ってるくせに……!私に何度同じ気持ちを味合わせるのよ!何もわかってないくせに……価値なんて私が決めてやるわ!」
「言ってることがめちゃくちゃだ!なんでそういつも我が儘ばかりで俺の言うことを聞かない……一度くらい大人しく聞け!」
「うるっさい!私をフったことを後悔するくらいに生きなさいっての!」


 もう何を言っているか自分でもわからない。そのくらい必死だった。悲しいのか腹ただしいのかもわからない。けど彼もそうなのだろう。頭の中がぐちゃぐちゃで、必死で、何を言ってるかわかってない。
 ーー私は"レイヴン"に我が儘なんて言ったことない。

 大好きだった。我が儘もたくさん言った。大切なこともたくさん教えてもらった。
 辛くて、胸が張り裂けそうで、どこかに置いてきてしまっていた彼の名前、表情、声色ーーもう全部忘れない。


「……"ダミュロン"のこと、ずっと待ってたんだよ私……」
「なに、を……」


 ずっと忘れ去られていた騎士の名前に、明らかな動揺が混ざる。
 当然だ。知らないなんて言わせない。わからないなんて許さない。誤魔化すことも認めない。
 帰らない約束を待つのはもう十分過ぎた。

 後少しで助けられるのに。どうしてこの手はこれ以上動かないのだろう。力を入れても血が溢れるばかり。新たに崩れた天井の一角が頭を掠める。鈍い音と共に思わず膝を折るが、決して手は離さない。視界の半分が赤に染まる。
 レイヴンが悲鳴に似た声で私を呼ぶが、そんなこと気にせず話し続ける。


「私ったら大好きだったのに、いつも嘘ついて、我が儘言って困らせて……結局…………約束したのに、結界の外に連れて行ってくれるって……」
「おいナマエ、血が!ナマエ!」
「お願いよ……なんでびくとも動かないの、いや……絶対離さない……」


 ぼろぼろと涙を流しながら必死に瓦礫を持ち上げるその下で、いつの間にかレイヴンも泣きそうだった。今にも泣き出しそうな声で私の名前を呼ぶのだ。小説でよくある死に別れの場面みたいで縁起でもない。
 私はーーまだ、諦めてなんかいない。


「シュヴァーン隊長ぉおおおお!」


 なんともいえない叫び声が聞こえたのは、私だけではなかったらしい。
 気の抜けた掛け声、怒鳴り声、そして爆発音。色んな音を連れてきた彼らは、まさに私にとって救世主だった。

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