「レイヴン、なんで……なんでなの!?」


 カロルの悲痛な声が、斬り合う合間にも響いてくる。
 "レイヴン"のときの彼と違い、剣を使っているがその動きは決して鈍くない。寧ろ私たちが知るものより苛烈を極めている。
 つまり、彼に手加減などなく、私たちを本気で殺すつもりできているーー。


「僕、レイヴンのこと好きだったんだよ」
「……残念だったな……ここにその本人がいなくて」
「あんたなんて、大っキライよ!」


 七人と一匹で相手をしているというのに、私たちに一切の余裕はない。
 一撃一撃が素早く重い。受け損なうだけで私たちの命の保証はないだろう。これが共に旅をした人間に向ける刃だというのなら、彼にとって私たちとはなんだったのか。
 リタやカロルのように問いかける言葉すら持たない私は、必死で戦いに集中しようとする。
 魔術を詠唱するリタを守るように前に立つ。地下でこれほど激しく戦っているせいかエアルの消費が激しい。なにもせずとも息が上がる。
 それでも、黙って見ているわけにはいかない。
 リタに近づく一撃を、二本のスティレットでどうにか受け止める。


「……私のこと、さぞ馬鹿な子供だって思ったんでしょうね」
「さあ。君のことはよく知らない」
「そう、だろうね……私も、知らなかった……なにも、」


 彼が何を思って私たちと一緒にいたのか。ドンのことをどう思っていたのか。エステルについて今、どう考えているのか。
 目の前の戦闘に集中しようとしても、一瞬で思考が埋めつくされる。なぜ、どうしての嵐は止まらない。だって知りたいのだ、その全てを。

 だけど彼から返ってきたのは、感情のない一太刀。
 とてもじゃないが受け止められるものじゃなく、かといって背後にリタを庇うこの状況で避けることもできず、まともに正面から攻撃を浴びた私は遠くの柱に背中から叩きつけられる。


「か、はっ……」
「ナマエ!」


 リタの私を呼ぶ声が聞こえたのは、私の首が絞まるのと同時だった。
 背骨が軋む痛みに次いで襲ってきたのは、酸欠の苦しさ。太い腕によって柱に押し付けられた私の喉はろくに息をすることもできない。苦しくなる呼吸をよそに、私はただ目の前の青い瞳を見つめる。
 剣を取り落とした私には抵抗する手段がない。彼が左手に持った剣をすこし動かすだけで、私の生命を終わらすことができるのだ。もちろん死にたくないと思った。だけどゆるゆると持ち上げられる剣を前に、私が出来ることなどもうなにもない。


「……ュロン、」


 喉の奥から絞り出された名前。なぜ今それを口に出したかなんて自分でもわからない。
 それでもこの状況で脳裏に蘇ったのが彼の名前だということと、同時に男の力が弱まったのは紛れもない真実だ。

「ナマエを……離せ、よっ!」


 一瞬にして、私は解放され床に崩れ落ちる。

 男は私に振り下ろそうとしていた剣を慌てて後ろに向けたがそれでは遅く、駆けつけたユーリの斬撃は、橙色の鎧の胸に突き刺さった。


「…………なに、それ」


 だが、そこから覗くのは、赤黒い血液でも、それを送り出す臓物でもなかった。
 胸の鎧が剥がれ落ちた先にあったのは、煌々と輝きを放つ魔導器(ブラスティア)だった。


「ふ、今の一撃でもまだ死なないとは……因果な体だ」
「な、なによ、これ魔導器……胸に埋め込んであるの?!」
「心臓ね、魔導器が代わりを果たしてる」
「……自前のは十年前になくした」


 既に喉は解放されたというのに、私の身体は再び呼吸を忘れたまま、男ーーレイヴンの呟きを眺めた。
 戦意喪失したのか、彼はゆっくりと剣を下ろす。


「あの戦争で俺は死んだはずだった。だが、アレクセイがこれで生き返らせた」
「……なら、それもヘルメス式ということ?なぜバウルは気付かなかったの?」
「多分、こいつがエアルの代わりに、俺の生命力で動いているからだろう」
「生命力で動く魔導器……そんな……」


 リタの思考は長く続かなかった。突如として神殿は轟音と共に振動をはじめたのだ。
 あからさまな爆発音に地震のような自然が起こす揺れでないことはすぐに理解できたが、古い神殿がこれに耐え切れるわけもない。もとよりあちらこちら崩れかけだったのだ。私たちが揺れに戸惑っている隙にあっさりと退路を塞いでくれる。


「……アレクセイだな。生き埋めにするつもりだ」
「馬鹿な、あなたがいるのに!」
「今や不要になったその剣さえ始末できればいい、そう言うことだろう」


 全てはじめからわかっていたことのようにレイヴンは呟くと、その場に座り込む。彼はアレクセイに捨て駒にされたというのに、怒りも悲しみも見せない。


「俺にとっては……ようやく訪れた終わりだ」


 その言葉にようやく私は悟る。
 レイヴンははじめから生きて帰るつもりなどなかったのだ。さきほどのユーリからの一撃、彼はあれすらも受け入れていたのだから。

 喉の奥で引き攣った悲鳴が上がる。
 だがユーリは違う。いつもと同じ、堂々とした姿でレイヴンに近づくと、その肩を強く握った。


「一人で勝手に終わった気になってんじゃねぇ!俺たちとの旅が全部芝居だったとしてもだ。ドンが死んだときの怒り、あれも演技だってのか?最後までケツ持つのがギルド流……ドンの遺志じゃねえのか!最後までしゃんと生きやがれ!」


 ユーリの叫び声は、遮断されたこの空間によく響いた。
 いや、空間だけではない。それは死を望んでいたレイヴンにも響いたのだ。俯いたまま苦笑をこぼした彼は、さっと立ち上がると埋もれた入口を弓矢で爆破する。
 完全に瓦礫がなくなったわけではないが、人間が通り抜けるには十分な大きさだった。


「ナマエ姐、危ないのじゃ!」


 だが、ただでさえ不安定な神殿は小さな爆発でさえ耐え切ることはできなかったらしい。
 パティの声に頭上を振り返ったときには既に天井は重力に従い落下をはじめていたのだ。
 来るべき衝撃に咄嗟に目を瞑ったが、いつまで経ってもそれは襲ってこない。恐る恐る瞼を開くと、頭から血を流したレイヴンがそれを支えていたのだ。


「どう、して……」


 彼の胸元で輝く魔導器の光が、それが如何に危険な行為か必死に訴えかけている。
 生命力で動くというのなら、彼の今の行動は命を削っているということではないのか。脳内になぜどうしての嵐が再来する。


「長くは保たない……早く脱出しろ」
「おっさん!」
「アレクセイは帝都に向かった。そこで計画を最終段階に、進めるつもりだ。あとは……おまえたち次第だ」


 そんな彼に、私はなにも言えなかった。
 カロルのように名前を呼ぶことも、リタやパティのように悲しみにくれることもできなかった。

 次に気づいたときには部屋の外にいて、再び瓦礫が覆い隠した扉からは、中の様子を伺い知ることはできなかった。彼がどうなったのか、それすらわからない。

 感情をどこかに置き去りにしたかのように、私の心は空っぽになっていた。ただ目の前を走る背中をただ見つめ、神殿内の来た道を必死に戻る。当然だ。私はまだ死にたくない。そのためにあちらこちらでふとした拍子に瓦礫が降ってくるような危険な道のりを進む。揺れはまだ収まらない。
 だがどうしてだか、進めば進むほど私の足は動くことを拒みはじめる。あれほど空っぽだった心が一歩進むごとに重くなるのだ。出口に近づいているのに、どうしてか後ろが気になって仕方ない。

 ーーいや、違う。どうしてかなんて、理由はわかりきっているじゃないか!


「…………ナマエ?」


 ぴたりと足を止めると、前を行くカロルが涙に汚れた顔で振り返る。
 私を呼んだ声は震えていて、その瞳は不安に揺れ動いている。カロルには私がこれから言う台詞が分かってしまったのだろう。


「皆は先に行ってて」
「なに言ってるのナマエ……?」
「ちょっと、まさか戻るとか言うつもりじゃないでしょう?!」
「そのまさかだよ。私、戻るね……あそこに」
「こんなときにバカ言わないでよ!嘘でしょ……だって、あんた……あんなに怖がってたじゃない……誰よりも、」


 リタが私の胸元を掴み上げる。その両手は小刻みに震えている。彼女は私を引き止めてくれているのだ、誰よりも弱虫な私を。

 彼女の言うことは正しい。私はとんでもないバカだ。ここで戻っても、無惨な死体を一つ見つけるだけかもしれない。いや、無事にたどり着ける保証すらない。命懸けで私たちを通してくれた彼を裏切る行動でもある。
 それでも私は行くと決めたのだ、他でもない私が決めた。

 無言で見つめ返すと、彼女はゆるゆると手を放した。納得はしてないだろう。ただ、私を引き止めることは不可能だと悟ってしまったのだ。


「あのさユーリ、よかったらこの鞄預かっててくれない?」
「……ナマエ、本気か?」
「大丈夫。ユーリこそ、エステルのこと頼んだからね。そっちこそ私がいなくても大丈夫なんでしょうね?」


 最後にパティに向き直るが、彼女は地面をじっと見つめて私を見てはくれなかった。
 その頭に被った海賊帽子を数度撫で、小さな身体を確かめるようにぎゅっと抱きしめる。


「ごめんねパティ。離れていくのは私のほうだった。だけど、必ず戻ってくるから。パティの大事な話を聞きに」
「……………………うちは、ナマエ姐をずっと待っとるのじゃ」
「うん。ユーリたちと一緒に待ってて」


 もうこれ以上私のせいで皆を引き止めることはできない。そっとパティの背中を押すと、彼女は振り返ることなく、すこし先にいる仲間たちの元へ駆けていった。

 一人一人、私から遠のいていく。最後に残ったユーリは一度だけこっちを見たが、なにも言わなかった。仲間のことを誰よりも考えている彼が私を置いていくことに葛藤を抱えていることは確かだろう。それでも私を引き止めないのは、私が生きて帰ることを諦めていないからだ。その可能性がどれだけ低くても。私が心中でもするつもりなら殴ってでも止めただろう。
 既に色んなものを背負っている彼に、また余計なものを背負わせたと思う。それでも私は皆と一緒にはいけない。だから最後に一番の笑顔で叫ぶ。


「またね!」


 大きく手を振って叫ぶと、彼は迷いを振り切って去っていった。
 暗く寂しい神殿内に一人残されると、途端に弱虫が顔を出しそうになる。だけど、それに負けないように、私は再び最深部へ向けて、一歩踏み出す。

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