結局、デュークは多くを語らず、エアルを制御できるという剣ーー宙の戒典(デインノモス)をユーリに渡して去っていった。
 言わずと知れた皇帝の証であるその剣を、なぜ彼が持っていたのか。なぜこの剣はエアルを制御できるのか。
 わからないことだらけだが、いなくなった背中は何も語ってはくれない。封印された扉に向かってユーリが剣を掲げると、エステルの使う術式と同じものが現れ激しい光と共に入口の封印は解けた。


「エステルッ!」


 部屋の中ーー神殿の最深部は祭壇になっていた。ぐったりと横たわる一匹の始祖の隷長(エンテレケイア)のすぐそばに、エステルとアレクセイの姿は在った。


「また君たちか。どこまでも分をわきまえない連中だな。そうまでしてもおまえたちに姫は救えぬ、救えるのはこの私だけ」
「ふざけろ!」
「道具は使われてこそ、その本懐を遂げるのだよ。世界の毒も正しく使えば、それは得がたい福音となる。それができるのは私だけだ。姫、私と来なさい。私がいなければ、あなたの力は……」


 どこか芝居がかった口調でアレクセイは話す。だがそれは、自分がしていることが正義だと信じて疑わない、幼き頃に見た彼と何一つ変わらずに思えた。

 アレクセイは聖核(アパティア)を掲げ、神殿の入口で見たのと同じようにエステルの力を引き出そうとする。
 彼女の甲高い悲鳴があがるのと、それを止めようとしたジュディスが吹き飛ばされるのは同時のことだった。


「ははは、なにが始祖を隷長か!なにが世界の支配者か!」


 アレクセイの高笑いに隠れて、始祖の隷長は短い呻き声だけを残し命の輝きを終えた。そしてそれは直ぐに、聖核としての輝きを放ち、アレクセイの手に収まってしまう。

 これ以上は我慢ならなかったのか、視界の隅でフレンが密かに剣を構える。
 だが相手は騎士団の頂点に立つ男だ。僅かなそれを見逃すわけなく、再びエステルに聖核を掲げた。


「うわあああああっ!」


 赤い光が視界いっぱいに広がり、辺りのエアルが暴走をはじめる。
 膝から崩れ落ちそうになるのを、武器を支えにしてなんとか耐えるが、喉の奥からは鉄の味がこみ上げてくる。
 聖核によって引き出されるエステルの力は、エゴソーの森で感じたものの比ではない。一介の人間が扱っていいものではなかった。


「く…………っだらぁ!」


 皆の悲鳴、エステルの泣き叫ぶ声、まるで舞台劇を見るかのように楽しむアレクセイの笑い。全てが綯交ぜになったこの場を切り裂くような、雄々しい叫びが響く。
 扉の封印を破ったときと同じ、ユーリの持つ宙の戒典が光を放ち、エアルの暴走をあっという間に鎮めたのだ。

 一気に解放された私たちとは違い、アレクセイはさきほどまでの表情を崩し、宙の戒典を凝視している。


「なんだと?!なぜ貴様がその剣を持っている?デュークはどうした?!」
「あいつならこの剣寄越して、どっかいっちまったぜ。てめぇなんぞに用はないそうだ」
「……皮肉なものだな。長年追い求めたものが、不要になった途端、転がりこんでくるとは。そう、満月の子と聖核、それに我が知識があればもはや宙の戒典など不要」


 これで、アレクセイが幾らエステルの力をぶつけてこようが意味がないのはわかっただろうに、アレクセイは余裕のある表情に戻っていた。
 彼がそっとエステルに目を向けると、彼女の顔は大きく歪んだ。


「…………わからない。一緒にいたら私、皆を傷つけてしまう。でも……一緒にいたい!私、どうしたらいいのかわからない!」
「四の五の言うな!来い!エステル!わかんねぇことは皆で考えりゃいいんだ!」


 近づこうとする私たちを、エステルの力が吹き飛ばす。
 アレクセイがやったのではない。エステルの戸惑う感情に呼応して、満月の子の力が暴走しているのだ。
 大きく目を見開いて絶望した表情のまま、エステルはアレクセイと去っていった。

 急いで起き上がり、二人の後を追おうとするが、そこにひとつの影が現れる。
 橙色の鎧ーー直接顔を拝んだことはなかったが、それが誰かわからないわけがない。人魔戦争の英雄、平民出身の隊長ーーそう、シュヴァーン・オルトレインがそこにはいたのだ。


「いつも部下に任せきりで顔見せなかったクセに、どういう風の吹き回しだ?」


 俯いたままの顔の半分は、長い前髪で覆われている。
 噂のような英雄とはとても思えないその姿に、何故か異様にラピードが反応した。こっちに何かを伝えるように、幾度も吠えるのだ。


「……やはり犬の鼻はごまかせんか」
「え、」


 聴き馴染みのある声音に、武器を思わず取り落としそうになる。
 いや、わかっていたはずだ。エステルが消えたとき、彼も一緒にいなくなって、誰もがその可能性を考えた。

 全てを知られた男は、ゆっくりと顔を上げる。
 嗚呼、その顔はよく知っている。もう幾度となく見合わせたものだ。表情こそ大きく違うが、シュヴァーン・オルトレインは私の知るレイヴンという男と同じだったのだ。

 男はなにか弁明をするでもなく、剣を引き抜く。紅い刀身の切っ先がこちらに向けられ、身体の奥がずんと冷たく沈んだような感覚になる。


「帝国騎士団隊長主席シュヴァーン・オルトレイン、…………参る」

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