アレクセイは去った。
 後を任されたのは、実は彼の部下であったイエガーだったが、イエガーはなぜか私たちに武器を向けることもなく、あまつさえエステルの居場所を私たちに教えて去っていったのだ。

 残された私たちはというと、直ぐには動けずにいた。
 パティは凄まじいほどアレクセイへの怒りを顕にし、リタは一刻も早くアレクセイをーーひいてはエステルを追いたそうにしている。ユーリとフレンはすこし離れたところに場所を変え、二人で話している。時折ユーリの声が聞こえるだけであとはなにを言ってるか、よくわからない。


「でも、レイヴンは?」
「エステルを渡して、どっかに逃げちゃったんでしょ!」
「そんな……レイヴンがそんなことするはずがない……」
「現にエステルは攫われちゃって、あのおっさんはいない!そう考えるのが……理論的でしょ!」
「彼も捕まったのかもしれないけどね」


 リタの言葉は、嫌になるほどすとんと、私の心に入りこんできた。今の状況でカロルのようにレイヴンを信じられる余裕はなく、ジュディスのように前向きに考えられることもなかったからだ。


「アレクセイ……彼が、ヘルメス式の技術を持ち出していたのね……」


 これまでのありとあらゆる点が、すべてが一つに繋がっていく。
 ラゴウの天候を操る魔導器(ブラスティア)、フェローを狙っていたキュモール、あのヘラクレスという要塞。ああ、イエガーが部下だというのなら、ドンの死すら彼の思惑通りなのだろう。


「ナマエ……あのさ、大丈夫?」


 膝を抱えて丸まる私に、わざわざカロルは声をかけてきてくれる。そこにはカロルの優しさと、ほんのすこしの疑問が燻っていることも、私はわかっている。


「私のお父さんのこと……なんとなく、わかってたでしょ」
「じゃあ、やっぱり……」


 リタたちからの返事はなかった。既にユーリも知っていることだ。口に出さなかっただけで、賢いリタや察しの良いジュディスはとうにわかっていただろう。


「そうだよ、私のお父さんは……あの前隊長主席。ごめん……今は、これ以上話したくない……」
「……うん、わかった」
「私、それでもお父さんのこと信じてる……違う、認めたくないの……お父さんは……だって……」


 アレクセイの言葉が思い出される。もしかしたら父はアレクセイに言われて先帝を殺したのかもしれない。信じてると言ったものの、嫌な考えばかりが浮かぶ。
 彼に騙されていた人が多すぎてーーいや、父とアレクセイは友人だった。騙すまでもない。友に言われるがまま、手を汚したのだろうか。

 ぐるぐる、同じものが頭の中で行ったり来たりしている。


「うちは、ナマエ姐のこと……その父君のことも信じてるのじゃ」


 ふっと、背中に暖かいものが触れた。首に回された小さな腕に、涙がぼろぼろと零れ落ちる。それはまるで、パティと一緒に行くと決めた、あのときのようだった。

 どうしてパティは信じられるのだろう。無責任な言葉で自分を傷つけた私をーーいや、これはその咎なのかもしれない。
 きゅっと息が苦しくなり、首に回る体温が途端に怖くなってきた。
 この温もりにいつか裏切られるのが怖いのか。それとも離れていく未来が怖いのか。はたまた失ってしまうことを恐れているのか、自分でもよくわからない。

 ただはっきりとしているのは、今一人で置いていかれたら、私はきっと死んでしまうだろう。


「一人は、いや……私から離れないで……ごめんなさい、パティ……」
「ナマエ姐、」


 少し前もこうしてレイヴンに縋りついた。そして今は、相手をパティにすり替えて同じように泣きついている。
 きっと相手は誰でもいいのだ。自分を優しく包みこんでくれるなら。あの人に似ていたから、同じ境遇だからーー理由なんていくらでも作れる。
 自分が傷つけた少女にだって縋りつく、なんて浅ましく醜いのだろう。


「…………謝るのは、うちのほうじゃ」
「え?」
「ナマエ姐、大切な話があるのじゃ。すごく、大事な。だから……それまでは、うちはナマエ姐から絶対に離れん。約束するのじゃ」


 突然のパティの言葉に顔を上げると、彼女はこれまで見たことのないほど真剣な表情で私を見つめていた。吸い込まれそうなほど真っ直ぐな瞳に涙も止まり、時が止まったかのように見入ってしまう。


「おーい、こっちの話はついたぞ」


 ユーリの声にはっと立ち上がる。袖口で雑に目元を拭い、そちらに目をやる。パティも私の背中から一度離れ、その小さな手を私のものにそっと絡ませた。
 ユーリの後ろにはフレンが続いており、彼は私たちに向き合うなり丁寧にお辞儀をした。


「ここからは僕も同行させてもらうことになったんだ。足手纏いにはならないはずだから、よろしく頼む」


 フレンの言葉に、離れた位置にいる副官のソディアは隠すこともなく顔を歪ませる。だが彼自身の意思を無視することもソディアには出来ず、彼女はヨーデル殿下の元へと戻っていった。

 エステルを攫われたこと。アレクセイの本性を見抜けなかったこと。フレンはそれらに強く責任を感じているのだろうが、こういうときの行動力は、やはりユーリと似通ったものを感じる。


「……パティは、ユーリたちと一緒に行くんでしょ?」


 私の言葉に、パティの手が一瞬小さく震えた。彼女はアレクセイに敵意を抱いている。もちろん彼の後を追うだろう。
 だけど彼女は言ってしまったのだ。私と一緒にいる、と。
 もし私がここで「彼らとは行けない」と一言発すれば、きっとパティは頷いてくれる。そう、なぜだか自信があった。


「大丈夫だよ、私も行く。私は、パティと行く。パティが嫌だって言うまで絶対に離さない……はじめから、そういう約束だったもんね」
「ナマエ姐……そうなのじゃ!うちとナマエ姐でレイヴンとエステルを助けるんじゃからの!」
「うん、うん……」


 手の中にある小さな温もりを、固く握りしめる。絶対に離さない。失いたくない。
 それだけわかっていれば十分だった。まだ立って歩ける。


「よし!バクティオン神殿にいくぞ。エステルとレイヴンを助けて、アレクセイの奴をぶっ飛ばす!」


 バクティオン神殿はヒピオニア大陸にあるらしい。
 ここからは大陸からして違う。結局、アレクセイがエステルを手に入れて何をするつもりなのかすら、私たちはわかっていない。

 取り返しのつかないことになる前に、私がまた足を止めてしまう前に、はやく、はやく追いつかなければーー。

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