長老の家の奥にある壁画。そこに記されていたのは、とんでもない伝承だった。

 過去にもやはりエアルの乱れは起きていた。そのエアルの穢れは嵩じて大いなる災いを招き、それを怖れを込め、星喰(ほしは)みと名付けた。
 まるで世界を飲み込もうとするかのような黒い絵は、見るもの全ての不安を煽るようだった。
 そして人々は一丸となり、星喰みに立ち向かった。結果、古代ゲライオス文明は滅んでしまったが、星喰みは鎮められた。
 そう、そこで終わるなら、ただの昔話だった。だが最後の一文、あまりに衝撃の言葉が刻まれていた。

 世の祈りを受け満月の子らは命燃え果つ。星喰みは虚空へと消え去り。
 かくて世は永らえたり。されど我らは罪を忘れず、ここに世々語り継がん。
 アスール.240

 壁画を読み解くジュディスの言葉を聞き、エステルが飛び出していってしまったのも無理はない。
 無理に彼女を追うことはしなかった。追いかけたところで誰もかける言葉を持ち合わせていなかったからだ。それに私たちも長老に宿を借り、一度ゆっくりと頭を休ませる必要があった。


「あの伝承からだと前に星喰みが起きたのは、満月の子の力が原因とは言い切れないもんだった」
「けどよ。世の祈りを受け、満月の子らは命燃え果つってのは……」
「星喰みの原因の満月の子らの命を絶ったことで、危機を回避したとも取れるわ」
「で、でもさ、僕たちが、確実に原因となってるヘルメス式魔導器(ブラスティア)を止めれば良いんだよね……?」
「ヘルメス式だけじゃないかもな。あの伝承からだと、すべての魔導器がエアルを乱してるって感じだった」


 曖昧な壁画でのみ伝えられる過去の厄災。その解釈には今も皆の間を様々な解釈が飛び交うが、過去に厄災が起きた。クリティア族は魔導器を捨てることを選んだ。満月の子はエアルを乱す。その三点は間違いないはずだ。

 部屋の隅で、膝に顔を埋めて丸くなっているリタに、ユーリがそっと声をかける。彼女は覇気のない声で、ぼそぼそと語った。


「長老、魔導器に普通も特殊もないって言ってた。つまり違うのは術式によって扱うエアルの量の大小のみって事だと思う」
「俺たちが使ってるこいつもか?」
「武醒魔導器(ボーディブラスティア)は特殊だけど、術式によってエアルを用いる以上、どの魔導器も同じよ……。それに術式はどのみちエアルを必要とするもの。多分、ヘルメス式も満月の子も、本質的には危険の一部でしかない。魔導器の数が増え続ければわ遅かれ早かれ星喰みが起こる。始祖の隷長(エンテレケイア)はそれを恐れてるんだわ」


 リタの考えーーいや、ほぼ間違いはないだろう。これまでに得た情報と何ら矛盾のない、素晴らしく救いのない答えだった。
 彼女が家族のように愛情を込めた魔導器、それに誰よりも心を開いているエステル。その二つが世界の害悪だと言われたに他ならない。


「じゃあ全部の魔導器を止めなきゃダメなの?このミョルゾの人たちみたいに?」


 現実、それは無理な話だ。私たちは武醒魔導器がないと魔物と戦えないし、街から結界魔導器(シルトブラスティア)が消えれば人々はいつも脅威と隣り合わせの生活になる。
 水を汲む、灯りをつける、船を動かす、生活のどの場面にも、既に魔導器はなくてはならないものとなっているのだ。それは魔導器の行き届いた貴族だけでなく、庶民にとっても同じだ。


「魔導器を使ってもエアルが消費しなければ良いのだけど……夢物語なのかしらね」


 そのとき、ジュディスがぽつりと呟いた一言に、あれほどまでに落ち込んでいたリタが突然勢いよく立ち上がった。
 近くにいたカロルが驚いて椅子から転げ落ちたが、彼女は気にすることなく、思いついた一つの答えを口にした。


「リゾマータの公式……」
「なんだそれ?」
「あらゆるものはエアルの昇華、還元、構築、分解により成り立ってるんだけどらそのエアルの仕組み自体に自由に干渉することが可能になるはずの未知の理論が予想されてるの。それを確率するために、世界中の魔導士が追い求めている。現代魔導学な最終到達点よ」


 それさえわかれば、星喰みの問題も、満月の子の問題も全て解決できる未知の公式。そもそも、本当にそんなものあるがどうかすら定かではない。

 だが、リタは異常なまでに燃えていた。絶対に公式を見つけてやるのだと、さきほどまでの姿が嘘のように、目はらんらんと輝いていた。


「あれ?どこいくこ?レイヴン?」
「散歩よ。世界を救うとか、魔導学の最終到達点とか、話が壮大すぎて、おっさん、ちっとついていけないわ」


 話も一段落したところで、レイヴンが部屋から出ていく。
 彼も思うところがあるのだろう。私自身、状況がうまく飲み込めていない。星喰みだとか、満月の子の最期だとか、ひどく残酷な御伽噺を聞いている気分だった。そう、まるでーー


「……ナマエはいきなりすぎて実感がわかないか?」
「なあに、ユーリは心が読めるの?いやだなあ」
「この状況でぽかんと口開けて天井見てたら誰だってそう思うだろ」
「いやだ、もっとはやく教えてよ」


 心配そうに私を見てくるのは、彼が誰より私の生への執着を知っているからだ。そんな私がいつものように泣きわめくこともなく、静かに天井を見上げていたらそりゃ誰だって驚くか。


「最近、ふわふわしてるの」
「ふわふわ?」
「生きてるのか死んでるのか、よくわからなくなっちゃった。死にたくないのに、もう地に足が着いてないように感じて……」


 私はどこかおかしくなったのかもしれない。
 縋り先を失った私は、それはそれは惨めなものだ。なにを支えに生きていけばわからない。ただ状況に流されるがままにふわふわと、まるで深い海を漂っているみたいに思える。


「よく、わからないの……」


 寄る辺を失った私はただ、静かに次の波が来るのを待っていた。どこかへ押し流してくれるような大きな波を。
 そして、その波がやってきたのは、すぐあとのことだった。

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