「実は私ね……あの船、ブラックホープ号に乗ってたんだ」
「じゃあナマエ姐はうちのじいちゃんのことを知っとるのか?」
「それが……知ってはいるはずなんだけど……」


 祖父の情報が得られるのではないかと僅かな希望を瞳に宿らせたパティの眼差しが痛い。
 だけど自分のことなのに不確かな言い回しをした私を見て、パティはまたすぐに表情を曇らせた。


「よく、覚えてないんだ。あの事件のこと……ううん、あの日の記憶が朧気にしか思い出せないの」
「それはやっぱりじいちゃんのせいで」
「違う、アイフリードは悪くない」


 地面に視線を落とし、泣きそうな顔で呟くパティ。彼女が言葉を最後まで紡ぐよりもはやく、ぴしゃりとそれを遮る。

 あの日のことは記憶がない。もう五年以上前のことなのに、一向に記憶が戻る気配もない。
 それなのに、ひとつだけ自信をもっていえることが私にはあった。


「言ったでしょ?アイフリードはそんなことする人じゃない。もちろんパティを納得させれる証拠はないけど、それでも私は信じたい」
「……ナマエ姐はどうしてそこまでじいちゃんのことを信じてくれるんじゃ?」
「理由は二つある。一つ目は、私の失った記憶がそう言ってるから。二つ目はアイフリードを信じることで私も信じられるから」


 意味がわからないでも言うようにとパティはこてんと首を傾げる。


「私のお父さんも先帝を殺したんじゃないかって疑われてる……って言っても、信じてる人のほうが多いんだけど」


 ミョウジ疑惑なんて言われているが、騎士団や貴族の人間には父の犯行だと決めつけたように話す人間が多い。
 だから帝国から離れた人が集まるダングレストの街は私の救いだった。だれも父のことを悪く言ったり、私のことを追ってきたりしない。

 それでも一人で父の無実を信じるのは辛かった。
 幼かった私が父の全てを理解してたとは言い難い。逆に、優しい面の裏側に冷酷な面を隠し持っている人間がいることは痛いくらいに理解していた。

 ーーやっぱり父が先帝を殺していて、私はその悪人の娘なんじゃないだろうか。
 一度考え出したら止まらなくて寝られなくなった夜は一度や二度ではない。


「自分勝手でごめんね。けど、これが私のすべてだよ」


 パティに語った言葉に嘘はひとつもない。これを聞いてパティが私と行くのをやめたいと言うのなら、私は彼女の言う通りにするだろう。
 だけども彼女は私を拒絶する言葉を吐くことはなかった。


「うちは、ナマエ姐と一緒に行くのじゃ……一緒にじいちゃんのことも、ナマエ姐のお父君のことも……」


 パティに抱きしめられた体はなぜだかひどく暖かくて、一瞬だけ体が軽くなった。
 恐る恐る私の腕もパティの背中に回すと、それは私なんかのものより全然小さくて、涙が止まらなかった。





「……………ぇ!」


 自分の名前を呼ぶ声に反応して飛び起きると、目の前ではパティが心配そうにこちらを見ていた。
 たしか今はミョルゾへの道標となる鐘を得るため、ヒピオニア大陸の赤い花の咲き誇る岸辺に向かっていたところだ。

 どうやらその道中の船の中で寝てしまっていたらしい。
 私が船で寝るなんて、それほどまでに船に慣れたのか、それともこんな場所でも睡眠を要するほど今の自分は駄目になっているのか。


「目が覚めたかの?ナマエ姐以外の皆はもう船から降りたのじゃ」
「私ったらいつも寝坊してる気がする……。ごめんね、パティはずっと船を操縦してたのに」
「ナマエ姐はここのところ調子がよくないからの、船に残るならうちからユーリたちに言っとくが?」


 パティの気遣いをありがたく思いながらもそれを断る。
 私よりも低い位置にある頭を撫でると、パティは照れくさそうに笑った。


「私があのとき言った言葉は、いまでも変わりないよ」


 アスピオで心無い男のせいで傷ついたパティの心がこれで癒せるとは思ってない。それでも私はパティの味方だと、もう一度しっかりと伝えたかった。

 パティにもそれが伝わったのだろう。
ベッドサイドに置いていた髪飾りを取ってくれた彼女の顔は、すこしだけだが元気を取り戻しているように見えた。
 私はそれを受け取り、素早く寝癖だけ直して船から降りた。

 すぐ近くのところにはユーリたちの姿があった。その足元は赤い花に埋め尽くされていて、一見すると砂浜の白がわからないほどだ。

 ただミョルゾへの道標となるものがあるようには見えない。


「……花でも摘んでみる?」
「寝ぼけてるにしてももうすこしましな提案ができるだろ」
「いやだってさ、ほんとになにもないよ?」


 あるのは白い砂浜、赤い花、そこにそびえる岸壁くらいだ。
 しかたないのですこしは真面目に手がかりを探そうと、ジュディスと一緒に岸壁を探っていく。岩を二十箇所ほど叩いて飽き飽きしはじめた頃、彼女がなにかに気づいたらしく声を上げた。


「待って……ここから空気が流れこんでるわ」


 彼女の言う箇所に手を当ててみると、たしかに空気の流れを感じることができた。どうやら一枚岩だと思っていたのが違ったらしい。
 邪魔な岩をどかそうと手をかけたとき、リタのどいて!という声と同時に彼女の放った魔術が飛んでくる。


「ちょっと!今の危なくない?!」
「うるさいわね、ちゃんと当たらなかったじゃない。あたしがそんなミスするとでも?」
「いや……たしかにそうだけど……」


 リタの魔術によって粉々に砕かれた岩の後ろからは、ぽっかりとした洞窟が現れた。
 薄暗く奥の様子はわからないが、ここに道標となる鐘があるとみて間違いないだろう。

 暗い洞窟が怖いのか、すこし様子のおかしいパティの手を掴んで奥へと進む。

 しばらく行くと空からの光が差し込む開けた場所に出た。そこに打ち立てられた無数の石。いくつかのものには人のものと思われる名前が刻まれている。
 もしかして場所を間違えたのだろうかと辺りをもう一度ぐるりと見渡すと、中央の石には名前ではないなにかが書いてあることに気づいた。


「ーーブラックホープ号事件の被害者、ここに眠る。その死を悼み、その死者をここに葬るものなり」


 引き攣った声が喉から溢れる。私の手からするりと体温が抜け落ち、パティががくりと膝をついた。
 慰めの言葉なんて出てこなかった。むしろ今までの私の言葉がより一層この光景を残酷に見せているのではないかという心配が大きく、一歩、また一歩と彼女から後ずさる。
 三歩目で足が地面から飛び出たなにかに引っかかり、私はその場に尻餅をつく。足に絡み付いたそれを持ち上げてみると、ひどく見覚えのある石に映った自分の顔がよく見えた。

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