crépuscule



ホテル街の高くもなく、安くもない、
この街ではごく平均的な値段のそこへ連れてこられて。

否、結局はついてきてしまって。

いざその入り口を目の前にした時に躊躇した。



彼女をこの場所まで宥めつつ、
半ば強引に連れてきた男が
二の足を踏んでいる透子を振り返った。



ここまできたら、
もう引き返そうなんて思わないよね



なんて。

わけのわからないことを言って
その細い手首を掴み、引かれた腕と

反対方向へ何者かが透子の肩を引いた。



事の発端は放課後の繁華街で、
見知らぬ男に話しかけられたこと。

所謂、売り、をやんわりと強要してきた男はおそらく透子の父親とそう変わらない年齢だろう。



世の中にはそういう、取引があることをもちろん知っていたけれど
まさか自分がその対象になるなんて思っていなくて

どこか、非行少女を追ったドキュメンタリー番組を見ているかのような気持ちに感じた。






「よう、なんとか言ったらどうなんだよ。ずっと、だんまりじゃ、こちとらどうしようもねえだろうが。」



先ほど、透子の肩を引いたのは、
生徒の目の前でぷかぷかと煙草を燻らす佐川だ。


透子とは佐川の受け持つ教科の授業で週に何度か顔をあわせる程度。

もしかしたら、それ以外で接触したのは
これがはじめてかもしれない。



「それとも、あのまま放っといたほうが良かったか?そりゃ悪い事をしたな。」


「いえ、…ありがとうございました」



透子の分かりやすい口先だけの礼に、一瞬眉根を寄せるけれど
すぐにいつもの飄々とした表情へ戻る。

既に2本目の煙草はもはや殆ど灰と化していたが
佐川はちびちびと煙を吸い込む。



「よくやってんのか」



佐川が、先程から一向に目線を合わせない透子の顔を
わざわざ覗き込んでそう言う。



「はじめて、って言ったら信じます?」


「さあな。」



俯いたままの、透子の頬を片手で掴むと、
無理矢理に自分の方へ向ける。

透子が抵抗するものだから
佐川のカサついた指が、彼女の柔らかい頬に食い込む。


その顔は、お世辞にも可愛いらしいとは言えない
どちらかと言えば、小憎たらしい顔。


その表情に佐川は喉の奥で笑う。

どいつもこいつも、佐川と一対一で話すとなると
何故かこの表情をするのだから、もはや笑えてくるのだ。



佐川からして見れば、
いつだって彼ら愛すべき生徒たちを清く正しく、
学生としてあるべき道へ誘っているだけだというのに。


どういうわけだか、
いつも感謝された試しなどない。



「ただよぉ、つまんねーだろ?あんなんで補導でもされたら。偶々、俺が見つけたから良かったんだ、感謝しろ」



言って、煙草をまたひとくち吸って、
一度深く吸い込んだその煙を、思い切り透子に向かって吐いた。

透子の顔は不快感によってさらに歪む。

コホコホと噎せながら、透子の目尻に
煙のせいも相まって泪が浮かぶけれど、

それによって佐川が何か思うことなどなかった。



「ま、いいわ。さっさと帰れ。んでもってああゆうことやんならもっと賢くやれ。わかったな。」


「だから、やってない…」


「ああそうか。未遂、だったな」



ようやく透子を解放すると、
佐川はくるりと背を向けて立ち去ろうとする。



「学校とか、親に、言わないの?」



その声に、佐川は首だけ振り返って口の端を
下卑た笑みを含んで、引き上げた。


「んな、めんどくせーことするかよ。常習犯なら、俺にも良い思いさせてもらおうかと思っただけだ。」


一歩、透子へ近づくと
彼女の頭の先からつま先までをじっくりと
品定めをするかのように、視線を這わせた。



「教師のくせに最低。」



「お前さんもな。手前のケツも拭けねぇ餓鬼が粋がるな。さっさと糞して寝ちまえ。」



透子の頭を数回叩いて、佐川は踵を返すと
今度こそ、振り返らずにその場を去っていった。





ほんの少し、魔が差しただけ。


苦い罪悪感と、恥じた気持ちの中に生まれた安堵が
ぐるぐると嫌な感じに渦巻く。



そっと、それを黄昏の彼方へ放ってしまいたかった。






【 crépuscule 】



細く 長く のびる影を


ただ、ただ。










2016/06/20



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