Crazy for



とろりとした乳白色で満たされた猫足のバスタブ。

風呂は命の洗濯、という言葉の通り、
体温よりも暖かく、熱すぎない温度を纏うこの時が
1日の時間の中での限られた至福であり、お気に入りである。


それを1人ではなく、
心を許した人と2人で過ごすのならば、尚の事。



広めのバスタブは
阿波野に後ろから抱きしめられる形で湯に沈んでも、つま先がその縁に届くことはない。


ゆっくりと足を伸ばして、
足の指だけをきれいに水面に並べてみると
大中小の大きさをした3匹の黄色いビニル製のアヒルが透子の親指を避けるようにしてぷかぷかと、泳いだ。

けれど、それだけ広くても、
どうしても密着してしまうのは
バスタブでもベッドの上でも同様で、

会えない時間が長ければ長いほど、透子は阿波野と肌を擦り合わせていたがる。


それを文句も言わず受け止める阿波野もまた、
彼女の肌の触り心地とか、柔らかさとか、
何も聞かずして、全て理解しようとする愛情の深さを。


正直に言えば、都合よく、
さらに突き詰めれば、心地良く、思っていたので

今の所は拒否するつもりもなければ、
当面の間、手放すつもりもなかった。





濡れて、しっとりとした阿波野の髪は
きちんとセットされているいつもとは当然違って
妙に艶っぽく感じる。

こういった彼の無防備な姿を見ることを許された
数少ない人間であることを自覚すればするほど
ズブズブと深みにはまっていくこの関係もまた、心地が良いのだから困ったものだ。



ちゃぷん、と音を立てて、向き合う形になると、
上半身を外気にさらす。

普段は圧倒的に、見下ろされることが多いけれど、
この時ばかりは阿波野を見下ろすことができる。



普段、彼がするように、
透子が阿波野の顎に人差し指を添えれば

口の端だけあげて笑う阿波野が透子を見上げる。



「どうしたよ」


「ねえ、お願いがあるのだけれど」



片眉をあげて、阿波野が先を促すと、
透子が妙な間をおいてから、真顔でこう言った。



「阿波野さんのこと、ひろにゃん、って呼んだら怒るかしら?」



そこで、阿波野はミルク色の水面がちゃぷちゃぷと揺れるくらい大きな声で笑う。



「なんだおめえ、ついにイカれたか?」


「そんなに笑わなくたっていいじゃない。かわいいと思ったの。それに、」



あまりにも阿波野が大笑いするものだから、
ぷくっと、態とらしく照れ隠しに頬を膨らませて、
肩までお湯に浸かりなおした。



気持ちがよさそうに、ぷかり、と透子の真横を泳いでいた真ん中の大きさのアヒルを掴んだ。
そのままそのオレンジ色の嘴を、阿波野の頬に押し付けてみた。



「それに、ひろにゃんみたいな人とこうしている時点で、イカれていると思わない?」


「結局、呼んでんじゃねえか。まぁ、違ぇねえな。」



クククッと漏らしながら、肩をゆらして笑う様は、
極道というよりもどちらかと言えば
時代劇に出てくる悪代官のようだと、透子は思った。



水面に漂う、透子の髪をすくいながら
阿波野はさらに呟いた。



「俺も、お前も、この世の中も」



阿波野の指先が、透子の頬を撫でる。
そのまま吸い付くような肌を摘んだ。



「みぃんな、イカれちまってんだから、な。」



阿波野が透子の髪と後頭部を濡らしながら、
そのまま引き寄せれば、


どちらともなく、唇を重ね合って


情欲の波に沈み込んだ。






【 Crazy for 】



溺れる者は なにを つかめばよかったのか








2016/04/21



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