HONEY



誰かがやらなくてはいけない、
けれど、誰もやりたくない仕事を引き受けるのはある意味慣れていたのだが。


ちょっとした指摘事項を、気難しいと定評の上司に
あくまで、やんわりと伝えてみたところ、

どうやらそれは逆鱗であったらしく。


指摘事項云々は、かなり早い段階で
どこかへ行ってしまった。

いわれもないどこからか引っ張り出された
謎のお叱りを受けた後
同僚に少しでも慰めになれば、と
最近流行りの甘ったるいクリームがたっぷり乗ったラテを差し入れられたのは午後一番の事。


それ以外でも、なんだかうまくいかない事が
今日はとても多くて。


そんな日に限って、
否、そんな日だからか、
残業になって。


会社を出てから、時間を知る事だけに特化したシンプルな腕時計を見やれば、
終電までそんなに時間はなかったけれど

今日の残業のおかげで明日、取り急ぎやらなきゃいけない事もついでに済ませてしまった数時間から数分前の出来事が、透子の足を駅とは反対側に向かわせた。





馴染みのバーの一番奥のカウンター席に座って、グラスを傾ける。
2杯目は何にしようかと思案していたところで、店に入る直前に連絡をした冴島が到着した。


「平日のど真ん中に、珍しいな。」


挨拶もそこそこに、グラスを合わせるだけの乾杯をして、ひとくち煽ってから冴島が言った。


「珍しいことついでに、先に伝えておくけれど。
冴島さんを呼んだ時点で、明日はズル休みをするという決意を固めたの。私、今夜は冴島さんを帰すつもりも寝かすつもりもないから、覚悟しておいて。」



片付けても次から次へと湧いてくる仕事とか、

消化できずに消えていく有給とか、

行列のできるパン屋さんのサンドイッチの味よりも
片手に持った書類の内容に意識を向けなければならないお昼休みだとか、

上司のわけのわからないお小言とか。


普段は、なんとも思わないそれが
今日は全てにおいて

腑に落ちなかったのだから仕方がない。


ただただ、消えていく有給を
たまには忌引き以外の事柄で。


「私用」のため、唐突に使ってみてもいいじゃないか。


と思い立ってしまったのだから。

そんな身勝手が許されるくらいの立場は
とうの昔に手に入れていた筈なのだし。



絵に描いたように、ニッコリと子供のように無邪気な笑顔を浮かべる透子が重ねて珍しい。

思わず、ポンポンとその大きな掌で透子の頭を撫でてやると、猫のように目を細める透子。


「たまにはええんやないか。毎日毎日張り詰めとったら流石に疲れるやろ。」


「冴島さんなら、そう言ってくれると思ってた。」


頭を撫でる手をとって、指先を絡める。

透子の指先に触れる少し硬い指先が、
やさしく指と指の股を撫でるのがくすぐったかった。


普段、こんなスキンシップの取り方はなかなかしないけれど。
今日は特別なのだから、仕方ない。


いつも来ているはずのバーの照明も
お誂え向きに、今日は少し暗めな気がする。


「ねえ、お願いがあるんだけど。」


「なんやねん、改まって。」


一度試すように上目遣いで見つめてから、
冴島を更にこちらへ引き寄せるようにして、伝える。


「冴島さんに、甘やかされたいの」


耳たぶに、唇が触れるか触れないかくらいの距離で
吐息交じりに伝える手法は、実はかなり久しぶりの登場。


「できれば、今夜だけじゃなくて…」


慣れないことはやはり、
するものじゃないのかもしれない。

尻窄みになっていく、自分の意気地のなさを恨めしく思った。


そんな風に思って絡ませた指先を解くのと、
冴島が透子の腰をグッと引き寄せたのは
ほとんど同時だった。

今度は冴島が透子の耳を捉えて言った。



「ほんなら、とことん可愛がったるわ」



透子の気持ちが全て見透かされているのかと思うくらい、
欲しかったもの以上の言葉とその行動は、暗い店内でもわかってしまう程、透子の頬を赤く染めた。



透子の腰に回された大きな掌が、
脇腹からお尻までの、
滑らかで、女らしい曲線をゆるりと撫でるたびに
背中がゾクゾクと泡立った。


それなのに、いやらしい大人の手つきとは相反する
なんとも思っていないかのような涼しい横顔は、
あまりにもセクシーすぎて。


まだ、そんなにアルコールは摂取していないはずなのに
思わずクラクラしてしまう。



火照り始めた体を冷やさなくては。


頼みそびれていた2杯目に
透子は、冴島と揃いの銘柄のウイスキーを注文した。






【 HONEY 】





彼の唇を潤ませた、トロリとした琥珀色の液体は、

甘美で 濃密な それみたいだったから







2016/04/13




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